249:退屈を消すもの

「お前だって入る気なのだろう。俺とお前で何が違う?」

「違うよ!全然違う!僕はアウトにちゃんと許可を貰ったもの!“ヴァイスなら、俺の中に入っていいよ?”って可愛く許可をくれた!」

「そんな口約束など、お前の妄想だと一体誰が証明する」

「そんな!僕をもうろくジジイみたいに言わないで!ウィズ!お前は“言霊”の重要性をわかっちゃいない!だいたい!簡単に他者のマナの中になんて、普通は入れないんだ!お願いだから、神官なんだしそのくらい分かってよ!」

 

 ヴァイスの青ざめた顔でされる説得など、俺の耳には入らない。俺は中身が子供なので、自分に都合の悪い情報は頭に入れないように出来ているのだ。

 

「いいから連れて行け」

「いや!だから!僕が意地悪でお前を連れて行かないって言っている訳じゃなくてさ!無理なモノは無理なんだって!この僕だって、何度もアウトに口付けをして、アウトの中の僕のマナを定着さて、やっと道を作ったんだ!ポッと出のお前じゃ無理無理!」

 

 口付け。

 ヴァイスから、さも当然のように口にされたその言葉に、俺は一瞬、頭の中の癇癪玉が弾けそうになった。けれど、今はそれを不用意に弾けさせている場合ではない。

 今はともかく、俺もアウトの中に入って、アウトの意識を引っ張り上げる事のみに尽力しなければ。

 

 コイツへの制裁など、後からいくらだって出来る。

 

「言霊と、口付けによるマナの定着があればいいんだな?」

「はぁ?お前、ここに来て急に勢いを盛り返すんじゃないよ!お前なんて、自分のした事に対する責任の重さで押しつぶされて泣いてたらいいんだ!そうやって泣いて待ってさえいれば、お前の“半分”は望む結果を、アウトが連れて来てくれるかもしれないんだからさ!」

 

 何か隣でヴァイスがワーワーと騒いでいる。うるさい。そう言えば、昔からコイツの声は頭に響く。端的に言えば。

 

「うるさい、黙れ」

「はぁ!?」

 

 俺は隣で憤慨の声を上げるヴァイスを無視し、アウトの体に掛けられた毛布をめくる。めくって、寝衣のボタンを一つ一つ、ゆっくりと開いていった。

 

「え?え?なにするの?小石頭?どうしてこのタイミングでお前の理性は小石になった?」

「…………」

 

 口付けによるマナの定着。それは、結局体内の開かれた部分というのは、往々にしてマナの放出口となりやすいからだ。だとすれば。

 

「見ろ」

 

 俺はアウトの寝衣の前を完全に開き、騒ぎ散らすヴァイスに見せる。見せつけてやる。俺がどれだけ執念深く、そして異常性をもった気持ちの悪い男か。

 

「は?」

「俺は確かに口付けはしていない。けどな。俺はこの1カ月、毎日毎晩、アウトに跡を付けた。つけ続けた」

 

 開かれたアウトの体。そこには病気ではないかと思える程、上半身いっぱいに俺の付けた口付けの跡が散らばっている。口ではないが、俺はその分、時間と想いを込めた。これで、ある程度アウトの中にも、俺を受け入れる小道くらいは出来ている筈だ。

 

「そうだろ?アウト」

 

 そう、俺が癖のようにアウトの体に出来た跡へと、指で線を引くようになぞる。いつもはこうすると、いくら寝ていてもアウトから声が漏れたものだったが。

 

「…………」

 

 今はその声すら聞けないとは。

 あぁ、アウト。お前は一体どこまで落ちてしまったんだ。

 

「っき、気持ち、悪い」

「そうか。俺もお前の事は気持ち悪いと思っているから、これでお相子だな」

「いや、お前なんかのソレと一緒にするなよ!?不名誉過ぎる!」

「あと、言霊があればいいんだろ?」

「聞いてないよ!?コイツ!もう、やだー!」

 

 俺を見るヴァイスの目には、俺に対する“責め”も“嘲り”も、そして少しの“愉快さ”も、何一つ一切消えて無くなってしまっていた。今、コイツの目に映る俺への感情はと言えば、ハッキリとした“嫌悪”だけ。

 あぁ、俺はこの腹立たしい飲んだくれを、俺の存在をもってしてここまで不愉快な気持ちに出来ているのだと思うと、自身の気持ち悪さにすら、胸を張れそうだ。

 

 俺は左手をアウトの体に触れたまま、右手で胸ポケットの奥に入れていた1つの時計を取り出した。

 

「これには、アウトの言霊が乗っている」

「……なに?その懐中時計」

 

 俺が取り出したのは、1つの古めかしい懐中時計だった。そして、それはどこか懐かしい風合いを醸し出している。

 

———–ほら!コレ!ウィズにやるよ!俺からのメードの土産!

 

 そう言って、アウトがあの日。時計台の上で俺にくれた。今の俺にとって、とても重要で、大切な言葉と共に。

 

————-ウィズ。時計ってさ、何の為にあるか知っているか?昔、誰かが教えてくれたんだけどさ。時計って、

 

『「会いたい人とすれ違わないようにする為にあるんだ」』

 

 そう、アウトが俺に言った。

 遠い昔、もう一人の俺が、インに教えてあげたように。今度はアウトが俺に教えてくれた。

 

———–だから、ウィズ。ウィズもそれを持ってたら、この時計台の壁の絵みたいに、会いたい人に会えるよ。それはお守りだから、しっかり持っておくように!

 

「俺は会いたい人に会いに行く」

「……へぇ、あながち。ただのこじつけじゃあなさそうだね」

 

 俺の持っている懐中時計を見て、ヴァイスが口に手を当て、興味深そうに呟いた。この短時間で、俺はこの“ヴァイス”という男の、行動の本質を完全に掴んだ。

 

 俺は、最初こそ、この男の行動理念は『相手が自分のお気に入りであるかどうか』という、一見すると、本人のみが完全に主導権を握っている類のモノだと思っていた。だからこそ、アウトには、あそこまで自身の全てを尽くすように動いていたのだ、と。

 

 けれど、実際にはそうではなかった。

 実はそれよりももっとヴァイスに対して影響力も大きく、そして相手が、つまり、この俺が主導権を握る事が出来る要点が、一つだけある。

 

 それは――。

 

「俺がアウトの中でどうなるのか。ヴァイス。お前は知りたくないのか?」

「…………!」

 

 コイツの“退屈”をしのいでやれるかどうか、だ。

 

「確かに。それは気になる。招かれざる他者のマナを、アウトがどう扱うのか。いや、そもそもこのウィズというマナの中にある2種類のマナがどういう反応を見せるのか。異端の中に異端が入ると、世界はどう動くのか。気になる!これは凄く面白い事になりそうだ!」

 

 そう言って目にキラリとした星の如き輝きを宿し、そしてキャラキャラと笑い始めたヴァイスに、俺は心底、彼に対し“気持ち悪さ”を覚えた。

 あぁ、これで本当にお相子だ。