251:幸福の遺りカスと

 インが死んだ。

 けれど、俺は未だに生きている。ダラダラと、特に意味のない毎日を、ただただ無為に生きている。

 

 正直、インが死んだ後の俺の人生で、記憶に残るような事は殆ど何もなかった。インから贈られた“あいたい”という言葉を見た瞬間、俺は完全に自分を自分として捉える事が出来なくなっていたのだ。

 

 “オブ”という人間に起こる様々な事象や、それに伴って付随してくる感情など、それら全てが他人事だった。もうこの生で、俺は今後、何かを感じて生きていく事はないのだろう。

 

 そんな俺を見てフロムは言った。

 

——–そんなお前の姿を、インは望んじゃいない。お前はインを忘れて幸せになるべきだ。

 

 そんな、自分の半身を失った事のない人間からかけられる、どこまでも薄っぺらい言葉に、俺は鼻で笑ってやるしかなかった。

 本当にフロムは真っ直ぐだ。真っ直ぐで、考えが足りない。

 

——–お前が俺のようにならない事を、祈るよ。

 

 それだけ言って、数か月後。流行り病の感染者も落ち着いた機会を見計らい、俺は、あの思い出の地を去った。それから、俺があの場所に戻る事は二度となかった。

 

 本当は俺もインと一緒に死んでも良かった。

 別にもう、何だか全てがどうでも良かったし、インの居なくなった“この”世界に、正直何の未練もなかったし。

 

 けれど、俺はふと思ったのだ。

 俺が死んだら、俺はどうやってインを思い出したらいい?

 

 おかしな話だが、俺はそんな事を本気で思い、死ぬのを一旦止めた。死ぬ事はいつでも出来る。ともかく俺は、後悔の引き金と共に思い出される、インの記憶だけを頼りに日々を過ごした。

インの事を思い出す時だけは、他人事のような感情が、ほんの少し“オブ”へと戻る。その時に感じる、痛みと幸福が、俺にとっては少しばかり気持ちよかった。

 

 あぁ、そうだ。

 いつだったか、首都の屋敷にフロムが訪れて来た事があった。その時に見たフロムは、まるで俺の知るフロムとは別人のように成り果てていた。

 生きる力を漲らせ、何にでも真っ直ぐ向き合っていた、かつての親友の姿は、今やどこにも見当たらなかったのだ。

 あまり覚えていないのだが、どうやらニアが死んだらしい。

 

 フロムには悪いが、俺はただ「へえ」としか言えなかった。ただ、フロムは虚ろな目のまま、俺に言った。その言葉の真っ直ぐさだけは、あの頃と変わりなくて、本当にこの男は不器用だな、と苦笑したのを覚えている。

 

———-オブ。俺が間違っていた。何も分からず、インを忘れて幸せになれなんて言って。本当に悪かった。今日は、これだけ伝えたかったんだ。

 

 そう言って、フロムは本当にそれだけ伝えると、すぐに俺から背を向けた。きっと、もうフロムにも、この世界で幸せは訪れないのだろうな、と。俺はぼんやりと思った。

 

 そして、もうこれがフロムを見る最後なのだろうという事も、何となく察した。フロムはどこまでも真っ直ぐだ。真っ直ぐで淀みなく、俺のように思考の海で会いたい人に会える事を、よしとする人間ではない。

 

 フロムは、俺に会う事で、この世界に最期にサヨナラを言いに来たに違いない。

 俺もあんな風に真っすぐ生き抜けられたら。

 

 俺は歪んでいる。歪んでいるから、今日もこの思考の中にある“イン”に会いに行く。後悔の引き金を何度も引き、痛みと幸福の遺りカスをかき集めて、ただぼんやりと生きる。

 

 こうして、俺は。

 死ぬまで、生きた。

 

 

 

 

        ●

 

 

 

 

 

きみとぼくの冒険。第8巻。第5章。

 

 

【あいにいく!】

 

 

 おうじさま。

 一つだけ、この子を起こせるかもしれない方法を見つけました。

 

 ええ、ほんとうです。

 私はとてもとてもかしこいフクロウのファーですから。はるか、はるか遠くまでひとっとびして、いろんな事を調べてきましたよ。

 

 だから、泣かないで。

 きっと、私がこの子を起こしてみせます。

 

 起こすって、おかしいですね。

 本当はこの子はこの世界にも、ねむる事でやってくるのに。さぁ、わたしは今からこの子の夢の夢の世界へと行ってきます。

 

 だいじょうぶ。この子の右手にしているゆびわ、これは私がこの子にあげたもの。

子供の夢は深くて広くて、きっと迷子になってしまうかもしれないけれど、この指輪の光を辿って行けば、きっと私なら、この子に会えるはず。

 

 えっ、一緒に行きたい?

 だめです、だめです。

 さっきも言ったでしょう?子供の夢の中は、あなたが思っている以上に深くて広い。そして、あの指輪の光を辿れるのは、遥か遠くまでみとおし、飛んでゆける私だけです。

 

 あなたにはきっと、あの指輪の光は見えないのだから。

 

 えっ、えっ。

 あなたも、この子に指輪をあげた?あぁっ!いつのまに!

 確かに左手にしているソレは私の知らない指輪です。しかも、あなたの指にもおんなじモノが付いているじゃないですか!

 

 一緒に星の石で作った?まったくいつの間に。

 指輪の交換なんて楽しそうなことを、私に内緒にしているなんて。

 

 同じ指輪。それなら、きっとあなたも迷子になる心配はないでしょう。暗い場所でも見通せる私と違って、貴方にはそれができる目がない。

できないけれど、きっとあの子のくれたその指輪が、あなたを導いてくれる筈です。

 

 さぁ、いきましょう!

 迷子のあの子を探しに!早く起きなければ、えいえんに“大人”になんかなれませんよ!もう起きる時間ですよ!そう言ってあげなければ!

 

 私の言葉に、王子様は深く頷くと、私と一緒にあの子の夢の中へと飛び込んでいった。