19:金持ち父さん、貧乏父さん(19)

『お前の娘はなんという名前だ?』

『……ビニースだ』

 

 ビニース。ふうむ、良い名前じゃないか!

 ニアと同じくらい良い名前だ!

 

『ビニースも、もうきっとお前の中で止まっている“小さな子”ではないはずだ。なぁ、夕まぐれ。子供の……女の子の成長なんて、春みたいに、その瞬間が来たら一気に花開くんだぞ?』

『……まだビニースは、12歳だ』

『夕まぐれさん?私は10歳よ?もう10代。ほとんど大人なんだからね!12歳なんて、もう私だったら、王子様が迎えにきているころよ!』

 

 夕まぐれの必死の反論に、隣からニアが素晴らしい一級品の自惚れを売りにかかる。押し売りも押し売り。けれど、ちょうど良い。

 ニア!そのままその大きな自惚れを、この男に投げつけてやれ!

 

『ねぇ、夕まぐれさん。あなた、ビニースを赤ちゃんみたいに扱っていてはダメよ?そんな事するお父さんなら、私はだいきらいになるわ!』

『ぐ』

『私がビニースだったら、お父さんがダンスがへたくそなら、私がじょうずにおどらせてあげるって、がんばっちゃう!だって、そのくらい出来なきゃ、本当の王子様が来たときに、うまく踊れないじゃない!』

『……王子様は来ないかもし』

『来るわよ!おんなのことのことろには、ぜったい!だから、もうすぐビニースのところにも絶対おうじさまが来るわ!おとうさんはその時までの“代わりの”おうじさまなんだから!いい?ビニースはもう大人よ!そして、私も大人よ!だから、赤ちゃん扱いしたら、嫌いになるからね!』

『…………』

 

 辛かろう、夕まぐれ。

 そりゃあそうだ。女の子なんて、本当に小さい時は可愛くて可愛くて可愛くて可愛かったんだ。ニアだってそうだ。

 

 いや、インだって可愛いさ。けれど、またその可愛さとは違うんだ!違う!これをどう説明すればよいのか、俺にも分からないが!種類が違うんだ!

 そして『もう、おとなよ!』とか、『代わりのおうじさま』とか言っている、その可愛い子は、俺の娘なんだからな!夕まぐれ!お前より、俺のが辛いんだ!

 

『……はぁ』

 

 俺は『わかるよ』という、全身全霊の気持ちを込めて、もう一度夕まぐれの肩をポンポンと叩いてやる。お前と、俺は仲間だ。同士だ。

 我儘で、可愛いくて、口の達者な女の子を持つ、同じ父親という“代わり”のおうじさまの仲間だ。

 

『ぷれしゃこうかいでびゅーは、アレだ。父親がよからぬ男から娘を守る為の儀式の場ではないだろ?娘の成長をお前が感じる素晴らしい儀式の日だ。そして、いつか本当の王子様が現れた時に、父親が娘から手を離す準備をする儀式でもある』

『けれど、本当に、まだ、12歳だ』

『けれど、いつか16歳にもなる』

『そうよ。夕まぐれさん。あなた、寂しいからと言って大人なんだから、駄々をこねないで』

 

 春になれば花が咲くように、子供もいつかは大人になる。

それを、いつまでも冬の蕾のままの花扱いをしていたら、まるで見当違い。足元ばかり見て、相手を弱い存在だと同じ立場に立たせなかったら、ダンスなんて踊れやしない。

 

『寂しいかもしれないが、そろそろお前はビニースを守ってやらねばならない存在から、一人の個人として対等に扱ってやるべきだ!ビニースはお前の足元には居ない!目の前にいる!』

 

 それは、お前の弟だって同じだぞ!

 とは、ここでは言わなかった。ビニースの事が分かれば、そんな事は当たり前のように理解できる事である筈だからだ。

 

 人は不安になると、下を見て安心したがる。問題から目を背けて、安心に走ろうとする。この夕まぐれにとって、それが弟であり、この場所に来る事だったのだろう。

 だから、この男は他人との距離を正しく測れなかった。上に置いてもだめ、下に置いてもだめ。

 

『ダンスは対等な立場で踊ること!今日の先生からの言葉はコレだけだ!よく覚えておくように!』

『…………』

 

 他者との距離感は、全て対等である所から、正しく測れる!

 その事を、この夕まぐれはニアを通して分かってくれた筈だ!分かってなかったら、もう知らん!

 

『さて、今日のダンスの練習はここまで!残り3日も、最後までちゃんと練習するぞ!ちゃんと来いよ!夕まぐれ!』

『そうよ!女神様を待たせたらいけないのよ!夕まぐれさん!』

 

 そう、俺とニアが夕まぐれに声を掛け、妙な表情のまま立ち尽くす夕まぐれに背を向けた。お腹が空いた!早く帰らなければ!

 

『あ』

 

 ニアと共に家に帰ろうとした時。俺はふと、一つだけ言い忘れていた事を思い出した。

 

『夕まぐれ!お前、ちゃんと息子の事も、たまには“よくやったな!”と、よしよししてやれよ!息子も、ちゃんと立派な“男”に成長している!女の子ばかりに目を向けていると、いつか息子に足元をすくわれるぞ』

『は?』

『じゃあな、また明日!』

『また、あしたねー!』

『おいっ!なんだ!それは!』

 

 俺は後ろから、意味が分からなんとばかりに焦った声を上げる夕まぐれを無視し、酷く鳴り響く腹を抱え、ニアと共に家に帰った。

 

『……はぁ』

『なあに?わたしの傍でためいきをつかないでよ、おとうさん。いやなモノが私にまで移るわ!ためいきは、あっちで一人でついてきて!』

『あい』

 

 あぁ、手厳しい。女の子は本当に手厳し過ぎる。

 あぁ、そうか。俺はニアに本物の王子様が来るまでの“代わり”だから仕方がないのか。

 

『くそう!』

 

父親とは、なんとも道化な生き物である!