256:アウトの酒場

         〇

 

 

「これはまた驚いた!普通に街じゃないか!」

「そうだな」

 

 広い草原を抜けた先にあった、民家の立ち並ぶ場所。そこは一歩足を踏み入れると、不思議な事に、一気に周囲の様相を変えた。

 そこは建築様式こそ様々だが、至って普通の城下町の風景が広がっていたのだ。しかも、そこには当たり前のように大勢の人々が往来を闊歩している。

 

「いやぁ、この目でこうして直接見るまでは信じがたかったけど、アウトって本当に、これまでの輪で閉じ込められた人達全員を外に出しちゃったんだねぇ」

「……信じられん」

 

 ここに来るまでの間に、ちらほらとヴァイスにアウトの“特異性”については聞いていた。聞いてはいたが、本当にアウト以外の人間が、こんなにもその形をハッキリと姿を保って存在しているとは。しかも、それぞれのマナの残滓が、それぞれ交流を持っている様子も見受けられる。

 

 俺は、周囲で楽し気に会話を楽しむ人々の姿に、驚きを超え、最早感嘆の息を漏らすしかなかった。

 

「俺なんて2つに分かれただけでも、精神を保つのに苦労したというのに」

「それは、お前が狭量だからさ」

 

 そう、生意気にも放たれた言葉に対し、しかし、俺は完全にぐうの音も出なかった。開き直って「俺は狭量だ、悪いか」と言ってやってもよかったのだが、アウトに、ここまでの人格の差を見せつけられると、最早何も言うべきではないと思えてくる。

 

「と、言いたいところだけどね。別に狭量云々は置いておいて、普通は“そう”なるモノなんだよ」

「……別に、お前に気を遣われる筋合いはない」

「いや、僕はお前に気を遣う謂れはないからね。気なんか遣っちゃいないさ。だから事実だけ言うとね、多分、お前はあのまま2つに分かれたまま、現実世界で過ごし続けたら……。そうだね、遅かれ早かれ精神を崩壊させて意識を混沌へ落とすか、自殺するかのどちらかだったと思うよ。今までマナを精神に複数宿した人間は、基本的にそのどちらかだったから。マナは“迷子”になったら大変なんだよ」

「マナの、迷子」

 

———-だから、良かったね。ここで別々になれて。

 

 そう、無邪気な笑顔を向けられて、最早俺はなんと言ってよいのか分からなかった。確かに、精神が複数あるという状態は、明らかに異常だった。それは体験した俺が一番よくわかっている。

 2つの精神があるという事は、望む事も複数存在するという事だ。互いの望みが一致している時は良いが、互いの望みが相反するモノだった場合、それは確かに精神を崩壊させるには十分である。

 

「ねぇ、なんか皆、同じところに向かってない?」

「ん」

 

 別れた片方が、今どこで何をしているのか思案していると、ヴァイスは俺にむかって闊歩する人々を指さしてきた。

 それは確かにその通りで、皆一様に同じ方向へと向かって進んでいる。聞こえてくる話し声に耳を傾けてみると『今日は何の酒を飲もうかしらね』などと楽し気な様子だ。

 

 酒?もしかして――。

 

「ねぇ!酒場があるんじゃない!?」

「……おい、こんな場所でまで飲もうとするな。この飲んだくれ」

 

 急に目を輝かせ始めたヴァイスを前に、俺は心底呆れかえってしまった。まさか、アウトのマナの中でまで酒を飲もうとするとは。

 やはり、コイツはどんな業を背負っていようと、ただの“飲んだくれ”である。

 

「いや、勘違いしないでくれたまえよ。この世界の住人が皆一様に向かっているという事は、だよ?この世界の現在の主導権を握っている“アウト”だって居るかもしれない、と僕は思ったわけだよ」

「……けどな」

 

 一理ある。一理あるのだが、酒への欲望を透けて見せてくるコイツに同意するのは、非常に気持ちの面で納得いかない。

 いかないのだが。

 

「それに、アウトだって酒場が大好きだった。まず当たるとしたら、そこが一番可能性が高いと思うなー!あ!でも、別にいいよ!僕がアッチを見てくるから!ウィズ!お前は別の場所を見てくるといい!ああ!そうしよう!二手に分かれた方が、アウトもすぐ見つかるさ!」

「ぐ」

「この一世界分ものマナの残滓の眠る、この圧倒的な世界で!お前なら、きっとアウトを見つけられるよ!なにせ、重い想いで重くアウトを愛しているんだもんね!世界の中心で愛でも叫んでくるといい!きっとアウトも答えてくれるさ!じゃ!僕は酒場で愛を叫んでくるから!」

「ちょっ、待て!」

 

 言いたい事だけを言って、風のように駆けだすヴァイスに、俺は思わずその後を追った。ハッキリ言ってヴァイスの後を追うなんて、非常に不愉快かつ、最高に腹が立つのだが、そんな自分の感情よりも、ヴァイスがアウトのマナを先に見つけ出す方が、よっぽど許しがたかった。

 

「何なんだ、アイツ!本当に風みたいじゃないか!?」

 

 先程まで隣を歩いていた筈なのに、ヴァイスはその軽い身のこなしで、どんどん先に行く。そして酒場と思しき場所に近づくにつれ、歩みを進める人々の数も増え、その間をすり抜けて行くのが非常に困難になった。

 

「……何故、こんなにも人が。どうして、皆してあの場所へ向かおうとする」

 

 街の中央付近に建つ、1軒の建物。外目に見ても、別になんてことのない外観の酒場だ。そこまで大きいようには見えない。

 こんなにも大勢の客を収容できるような大きさには、まるきり見えないのだが。

 

「っふ、一体、俺は何を」

 

 俺は余りの人の多さに、走るのは諦めた。諦めて、人の流れに乗り、歩む事にした。

 収容出来るかどうかなんて、何を愚かな現実世界の理屈を持ちだしているのだろう。ここはアウトの中だ。

 そして、アウトは誰であっても受け入れる。これまでの輪の全ての鍵を開け、こんな街、いや、世界を作り上げる程の人物なのだ。

 

 アウトの中にある酒場。そこはきっと、どんなに大勢の人だって受け入れるし、そして、アウトは笑顔で彼らを迎え入れている。

 

「あぁ、居るんだろ。アウト。やっと、会える」

 

 俺もどこかでハッキリと理解していた。あの場所にアウトが居る事を。なにせ、あそこからはどうにも俺の心を惹かせる“何か”を感じるのだ。