260:真っ白な器

 

 

『インを見つけたら、すぐに元に戻すから』

 

 俺は目をゆっくりと開きながら、この世界の皆に言い訳をする。きっと戻すのはインがやってくれる筈だ。その頃には、俺はもうマスターではないけれど、インもきっと上手にやれると思う。

 だって、インはとっても想像力豊かな子なのだから。

 

「これは……」

「あぁ!そうそう!僕の知ってるマナの中って、こんな感じだよ!」

 

 俺は隣でそれぞれの反応を見せる彼らに、あれ?と首を傾げた。俺は世界を真っ白にした。真っ白というのは、“最初の状態”に戻したという事だ。

 だから、俺の目の前には延々と続く長い道のりの両脇の壁に、たくさんの扉がある。

 

 この扉の先が、それぞれの皆の居場所。皆の思い出のお部屋。ながーく、ながーく続く道のりに山のようにある扉たちは、この世界の皆の思い出が全部詰まっている。

 だから、この世界の住人であれば、俺が世界をこの状態にすると、それぞれの部屋の中に帰って行ってしまう筈なのに。

 

『貴方達、もしかして“外”から来たの?』

 

 俺はあり得ないと思いつつ尋ねてみる。すると、長く続く道と大量の扉に目を奪われていた二人が、互いに目を合わせて、明らかに気まずそうに俺から目を逸らした。

 どうやら、外から来た人達らしい。

 

『うーん、道理で俺の言う事を一つも聞いてくれないと思ったよ』

「ごめんねー!でも、僕はちゃんと本人からいいよって言ってもらってるんだよ?コイツは勝手に付いて来ただけだけどさ」

 

 少年の方が、美しい彼を指さしてそんな事を言う。それに対し、男は一瞬何かを言い返そうと口を開きかけたが、バチリと俺と目が合った瞬間、何かを言うのを止めてしまった。

 勝手に入って来た事による後ろめたさでも感じているのかもしれない。

 

『まぁ。貴方は物凄く身勝手そうだしね。別に、もう、なんだっていいよ。入ったものは仕方がない』

「……お前はそうやって、何でもかんでも流して受け入れるな」

『じゃあ、出て行ってって言ったら、貴方は出て行ってくれるの?』

「出て行くわけないだろ」

 

 即答である。

 ここまでくると、最早この男が何であれ、俺は少しばかり愉快な気持ちになってしまった。ここまで外の人間で“俺”に執着してくれる人が居るなんて。

 何故だろう。悪い気はしない。しないどころか、嬉しいじゃないか。

 

 俺はそんな自分でも掴み切れない気分のまま、肩をすくめると、改めて『まったく』と、誰かからよく聞いたような物言いを、なぞるように口にしてしまった。

 

『ほらね。だったら、別にいいよ。好きにしな。居たければいればいい、出て行きたくなったら出ていけばいい』

「アウト。なんで、そんな……」

『俺はアウトじゃない。出て行けって言った訳でもないのに、なんでそんな傷ついた顔してるんだよ。意味がわからないよ』

 

 何をどう思ってそんな傷ついたような顔になるのか。

 まぁ、機会があれば、その理由を酒でも一緒に飲みながら聞いてみたかった。けれど、その機会はもう来ない。

 

『さて、インの部屋に行くか』

 

 俺は腰に手を当てると、目当ての部屋に向かって歩き出した。その後ろを、二人も何やかんやと騒ぎながらついてくる。

 

「ねぇ、マスター。君は全部の部屋を把握しているのかい?誰がどこに居るのか」

『はぁ?当たり前じゃん!わかんない訳ないだろ?』

「当たり前かぁ……ほんっと、キミって異端!恐れ入るよ!」

 

 異端。

 少年の方の口から飛び出して来た、その中々に嫌な雰囲気を纏わせる言葉を、俺は聞かなかった事にした。

 異端なんかじゃない。当たり前だ。大した事じゃない。

 

『別に、普通だよ』

「ごめん、ごめん。そうだね。普通だね」

『そうさ、普通』

 

 俺は全ての部屋を把握している。どこに誰が居るのか、知っているのだ。だって、俺が全部“開けた”んだから。

 

 あの、右奥の部屋は柊愛子さん。そして、今通り過ぎた左側の部屋が、上木茂さん。そして、左手前の部屋がペンディング君。

 他にも全員知っている。みんな、みんな俺の大切な人達だ。だから、早く終わらせて、外に出してあげたい。

 

あの部屋じゃあ、あんまり狭すぎる。

 早く世界を戻して、出してあげないと。すごく、窮屈だろうから。

 

『とうちゃーく』

 

 俺は、とある一つの部屋の前へと到達すると、ゆっくりと扉に向き直った。仁王立ちである。

 さて、やっとインの部屋の前についた。隠れたって無駄だと、インも分かっている筈なのだ。こうして、俺が来る事も、インも分かった上で逃げだしたに違いない。最後の悪あがきって奴なのだろう。

 

『イン!隠れたって無駄だからな!』

 

 俺はコンコンと、扉をノックして声を掛ける。最初は、まだ大人として対応してやらないと。まだまだインは15歳。その辺、俺はちゃんと分かっているんだ。

 なにせ、大人だからな!

 

『マスターなんか嫌い!嫌い!来るな!』

『……イン?それ以上そんな事を言うと、俺もそろそろ怒るよ?』

 

 が、既に堪忍袋の緒が切れそうだ。俺だって好きで大人に成った訳ではないのだ!それに、最初に会った時は、インの方が圧倒的に年上だったじゃないか!

 なんで今更俺が“大人”ぶってやらなきゃならない!?

 

『だいたい、なんでマスターが怒るのさ!怒りたいのは俺の方だよ!なんで、マスターが自分の人生を嫌になったからって、俺がその後始末をしなきゃならないの!?自分でなんとかしなよ!自分の人生でしょ!?大人でしょ!?』

『ぐ』

 

 扉の向こうから、圧倒的正論を放たれ、さっそく論破されそうになる。さっそく言葉に詰まってしまった俺に対し、隣でそれを見ていた二人が、妙に生暖かい視線を向けてくるのは気のせいだろうか。

 あぁ、気のせいだろう。絶対に気のせいだ!

 

 

『うるさい!うるさい!うるさい!だって、皆俺じゃなくてお前が良いって言うんだ!俺なんか要らないって言うんだ!』

『だーかーらー!皆って誰!?俺は“みんな”って言葉には騙されないぞ!』

『みんなはみんなだ!』

『だから!そのみんなの中身を教えてよ!?』

 

 俺はカーッと頭に血が上るのを感じると、大声で叫んでいた。

 

『ウィズ!ウィズが言ったんだ!インがいいって!インが居ないとウィズは幸せになれないんだ!』

 

 俺は叫びながら、一気にドアノブに手を掛けた。もうこうなったら実力行使だ。部屋の鍵は俺が全部開けたから、悪いが無理やりにでも押し入ってやる!

 

 そう、思ったのに。