23:金持ち父さん、貧乏父さん(23)

 

 あぁ、まったく!まったく!

 

 一晩眠れば、俺はどんな事だって上手にケロリと出来る筈なのに、目覚めた瞬間も、未だに俺のかなりやは真っ黒だった。

 いや!むしろ夢の中にもヨルは出てきて、俺がやめてと言っても無視して、俺のカナリヤに黒の液体をドバドバとかけていったのだ。

 

 俺の事を無視するのは、最近のヨルはずっとだった!

 うんうん唸りながら難しい顔をして、俺が『ヨル』と呼んでも『あぁ』と、生返事ばっかり!それでも、俺はヨルが大変な難しい悩みを抱えて苦しんでいると思ったから、ずっとずっと我慢していたのに!

 

 

———-……辛くはない。むしろ少し楽しい程だ。

 

 なのに、アイツは俺が隣に居るのに“恋”について楽しい事を、一人で考えていたのだ。俺はずっとヨルの事を考えて、話しかけるのも、一緒に踊りたいのも我慢していたのに!

 

『真っ黒だ!真っ黒!俺のかなりやは、炭より真っ黒だ!』

『おとうさん、うるさいわ』

 

 そう、すげなく口にしてくるのは、俺の隣を歩く娘のニアだ。俺達は今二人で、夕まぐれのお見送りをする為に、約束の広場へと向かっているところである。

 

『ニア……疲れたんじゃないか?お父さんが抱っこしてやろうか?』

『いやよ。こんな皆の前で。赤ちゃんじゃないのよ?私』

『っ!』

 

 あぁっ!なんてことだ!赤ちゃんじゃなかったのか!うちのニアは!

 つい、こないだまでニアは赤ちゃんだったような気がするのだが。我儘で癇癪持ちの、自惚れ屋の、可愛い可愛い俺の赤ちゃんだった筈なのに!

 

『そんなっ!』

 

昨日から妙に大人っぽく見えてしまうのは、俺が夕まぐれとのダンスを間近で見ていたせいだろうか。

 

『ニア!赤ちゃんに戻ってくれ!』

『はあ!?いやよ!私はもう10代の大人なんだから、赤ちゃんになんて戻れないの!』

 

 ニアも大人っぽくなるし!インまでこんな事を言い出したら、俺は一体誰と遊べばいいんだ!

 

『あぁぁぁぁああ』

『おとうさん、うるさいわ。赤ちゃんみたいに泣かないで』

 

 あぁ、ニアは本当に冷たい。女の子の成長は早すぎて、男の俺には全然ついて行けない。村で一番足の速い俺がだぞ!?

 こんな事なら、ダンスの特訓なんてしなきゃ良かった!

 ダンスなんてずっと下手クソでいれば、こんな――!

 

『……それは、違うな』

 

 そこまで考えて、俺はいけないいけないと、拳を作った手で、コツンと自分の頭を叩いた。

ダンスの特訓はニアには必要だった。そうでなければ、ニアは俺の知らない所で、転んで赤ちゃんみたいに泣かなければならなかったのだから。

 ダンスの特訓は、俺がニアにしてあげなくちゃならなかったのだ。

 

『はぁ』

 

 今、俺は物凄く、嫌な奴だ。

 ヨルの事もそう。ヨルが楽しかったのなら、俺も一緒に楽しいように、楽しい歌と踊りを踊ってやれば良かったのだ。

 なのに、ヨルが楽しいのを、俺はこんなにも怒っている。俺は嫌な奴だ。心の中のかなりやを真っ黒にしたのは、ヨルじゃなくて、俺だ。

 

 でも。でも。でも。

 

『オブー!』

『イン!』

 

 俺はふと、原っぱの方から聞こえて来た元気な二人の声に、顔を上げずに耳だけ反応した。オブとインだ。あの二人は、二人で遊んで居る時は、お互いしか見えていない。

 もうこの世界には、お互いしか居ないって顔で、手を繋ぎ合うのだ。

 

 俺は、あの二人が羨ましい。俺にはそんな人、居ない。

 俺は、インが羨ましい。インにはオブが居るから。俺にとってのヨルがそうであって欲しかった。

 

 でも、それは二人がまだ“子供”だからだ。俺はもう“大人”だから、我慢しなければならない。大人になっていくニアの背中を見送るように、ヨルが一人で楽しい気持ちになっているのを、良かったねと隣で喜んであげなければ。

 

 ヨルが一人で楽しいのなら、それでいいじゃないか。俺も一人で歌って踊ればいいのだから。

 

『お父さん』

 

 その瞬間、俺の手に小さな温もりがそっと触れてきた。

 

『とくべつに、手を繋いであげるわ。私は赤ちゃんじゃないけどね』

『ニア』

 

 ニアが手を繋いでくれた。でも、これはニアが赤ちゃんだからしてくれたのではない。きっと、この手は。

 

———-お父さんが、赤ちゃんみたいな顔をしてるから。今日だけトクベツよ。

 

 声なきニアの声が聞こえた気がした。

 そうか、確かに昨日、ニアは夕まぐれに言っていた。

 

———女の子はね、やさしいから男の人が“本当に”気にしている事は口にしないのよ。

 

 ニアは本当に、もう赤ちゃんではないのだ。それどころか、本当の本当に大人になろうとしている。背も伸びた、言う事も大人びた。抱っことせがまなくなった。

 女の子は、お父さんが格好良くない事を知って、少し大人に成る。そうなのだとしたら、ニアをここまで“大人”にしたのは、俺じゃないか!

 

『ニア、ありがとう』

『どういたしまして』

 

 俺はニアに手を引かれながら、広場までの道のりを歩いた。今日は夕まぐれと『サヨナラ』をする日なのに、まるで俺は子供のニアとも『サヨナラ』する日のような気がして、寂しくなった。

 

 そんな事を考えていたら、俺とニアは村の広場に到着していた。そこには、まだ夕まぐれはおらず、居るのは村の集会場に集まる若い男衆。もうそろそろ行われる、山肌の補正工事について、話しているのだろう。

 

 そこには、何時ものようにヨルの姿もある。

 ヨルは夕まぐれの見送りはしないのだろうか。

 

『お父さんも、仲間に入れて貰えばいいのよ。素直にね』

 

 下の方から、ニアのスンとした声がする。俺がヨルを見ているのを、どうやら仲間に入りたいのだと勘違いしたらしい。

 俺は別に寂しがってなどいない!

 

『お父さんには、ヴィアも、インも、ニアも居る!』

『あのね、家族以外のたいせつな人だって、ひつようよ?だって、私やお兄ちゃんだって、いつまでもあの家に居るわけじゃないんだから!お母さんだって、ずっとお父さんとは遊んであげられないのよ?』

『ぐ』

 

 なんでこうも女の子は寂しい事ばかり言うんだ!

 俺だってヨルがそうなってくれたら良いなって思ったのに、ヨルは“違った”から仕方がないじゃないか!

 

『よう、見送りご苦労』

『っ!ににに、ニア!』

 

 そう、俺がニアの手をギュウッと握り締めながら口を窄めていると、後ろから聞き慣れた男の声と、獣の子供の鳴き声ような音が俺の耳に響いてきた。

 振り返ると、そこにはいつものように俺達のような出で立ちとは一線を画した、素敵な格好で立つ夕まぐれと、その子のビロウの姿。

 

 あぁ、もうビロウに関してはニアの存在に耳も顔も真っ赤ではないか!

 恋だ!ビロウはニアに恋している!あれ?恋?恋ってどこかで出てこなかったか?