25:金持ち父さん、貧乏父さん(25)

『ニアのダンスは、俺の次に素晴らしいな!』

『……お父さんのそういうところ、少し好きで、少し嫌いだわ』

『なんだ?ニア』

 

 いや、さすがにいくら何でも俺より上手くはない!これも本当!

 俺は耳元で、ぶすくれた声を上げるニアを抱きかかえたまま、俺達の方を笑って見ている夕まぐれの方へと歩み寄った。

 

『夕まぐれ、お前も上手になったな!お前はあまり良い奴ではないが、サヨナラだから、お前にも春をやろう!』

『春、ね』

 

 俺はポケットの中に一輪だけ用意していた黄色の花を取り出すと、夕まぐれの方へと突き出した。黄色の花は、一番たくさんヨルにあげたが、一本分くらいなら、コイツにもあげていいかなと思ったのだ。

 

『こんな春は、初めてもらったよ』

 

 俺から春を受け取った夕まぐれは、なんとも言えない顔で黄色の花を見つめていた。その隣では、ともかく終始ぽかんとしていたビロウの姿がある。俺は、急いでもう片方のポケットから、白い花を一輪取り出すと、ニアに渡した。

 

『ニア、これをビロウに』

『……なんで?』

『なんでも!』

 

 何が何だか分からなかっただろう。

 あぁ、なんて可哀想なニアに恋する哀れなビロウ!最後くらい、ちょっとでも良い想いをさせてやらねば、この男の子の恋心があんまり可哀想だ!

 

 俺は名残惜しい気持ちを抑えながら、抱っこしていたニアを地面へと下ろした。すると、地面に足をついたと同時に、ニアはクルリとビロウへと体を向ける。

 

『ぅあっ!に、にあ』

 

 その瞬間、ビロウの心臓の音が、俺にも聞こえたのかと思う程、ビロウの体が震えた。

 そんなビロウに、ニアはスンとした表情のまま、一輪の白い花を差し出しながら、小さく一言だけ呟いた。

 

『ごめんね』

『え!?まだ告白もしてないのに!?うそ!』

 

 そうだぞ!ニア!まだ告白もされていないのに、事前に男を振るとは、一体どんな悪い女なんだ!さすがに、告白くらいはさせてやれよ!

 そう、俺が思っているとニアが眉を顰め、訳が分からないといった表情を浮かべた。

 

『何を言っているの?……足をふんで、ごめんねって言ったのよ。私は』

『あ』

 

 そうか、ニアは恋する男の気持ちを早々になぎ倒したのではなく、あの日のダンスについて謝っているのだ。

 たくさん、足を踏んでごめんね、と。

 

『……ニア、あの、その』

『なあに』

 

 ビロウがニアから貰った白い花を見つめ、耳を真っ赤にして、次の瞬間、ニアに向かって大いに叫んでいた。

 

『俺、また来ます!大きくなってまた来ますから!その時は、また俺と踊ってくれませんか!』

『…………』

 

 息子の突然の未来への約束の告白に、夕まぐれが面白い位に目を瞬かせている。どうやら、息子のこんな姿を見るのは初めてのようだ。

 もしかして、男の成長というのは遅ればせながら”恋”が運んで来るモノなのかもしれない。

 俺は、顔を真っ赤にするビロウを前に、はたとそんな事を思った。

 

『そう、私とダンスを……』

 

 そんな必死なビロウの姿に、ニアは口元だけの形の良い笑みを浮かべると、どう考えても、もう赤ちゃんではな言わない台詞を言い放った。

 

『その時の、あなたしだいね』

『っ!』

 

 あぁっ!ニアはもう完全に男を手玉に取る方法を会得してしまった!なんて悪い女の笑みなんだ!

 これはもう完全に赤ちゃんのニアとはサヨナラだ!そして、サヨナラがある時、必ずそこには次の”はじめまして”が存在する。

 

———はじめまして、大人のニア。

 

 俺は足元で繰り広げられる、小さな大人達の悲喜こもごもを、なんとも言えない気分で見つめていた。そのせいで、俺は気付かなかった。

 

 いつの間にか、ヨルと夕まぐれが二人して向かい合っている事に。

 

『よお、見送りはないと思っていたが、来てくれて嬉しいよ』

『エア、お前は……いつも、俺を』

 

 兄弟二人が、何か俺には分からない話をしている。きっと、ヨルも夕まぐれにサヨナラを言いたくなったのかもしれない。どんなに嫌な奴でも、兄は兄だ。家族なのだ。

 

『一つ、お前に謝りたい事があった。最後にそれを伝えられそうで、良かった』

『……なんだ』

 

 夕まぐれが俺の渡した黄色い一輪の花を手で遊ばせながら、フッと小さく笑った。その顔は、まるでヨルだ。ヨルを恐れなくなった夕まぐれは、もう、殆ど夜になった。

 素敵な顔になったじゃないか。

 

『…………』

 

 けれど、そんな夕まぐれをヨルは心底不愉快そうに見つめている。似合わない程に拳を握りしめて。

 

『昔、お前のカナリヤをインクで黒く染めた事があったな』

『……そのせいで、あのカナリヤは死んだ』

 

 そうだったのか。かなりやは死んだのか。

 俺はその瞬間、拳を握り締めるヨルの後ろに、またしても、小さなヨルを見た。かなりやの亡骸を手に、おいおいと泣く、小さなヨル。

 それはピーちゃんが死んでしまって泣きわめく、俺の姿と重なった。

 

『悪かった』

『っ!』

『俺は、少し……あのカナリヤが羨ましかったんだ。それを心底大事にするお前に、腹が立ったんだ』

 

 黄色い花は夕まぐれの手の中で風に揺れた。

 あぁ、もう本当の春だ。暖かい。気持ちいい。

 

 俺が頬を撫でる風を感じながら、目を閉じ、夕まぐれの謝罪を歌のように聞いていると、その曲は驚くほど容赦なくぶった切られた。

 もちろん、ヨルによって。

 

『絶対、許さん』

『……お前』

『死んでも許さん』

 

 あぁっ!まったくヨル!お前ってやつは!そんなに、そのかなりやが大好きだったんだな!大人になっても忘れられないくらいに!

 もしかすると、ヨルの恋の相手は、そのかなりやだったのかもしれない。

 

 そう思うと、俺は漏れ出る笑いを隠す為に、夕まぐれ達に背を向けた。

 夕まぐれへのサヨナラは、歌に込めた。

 

 だから、もう良いのだ。