266:大好きなお人形と

 

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きみとぼくの冒険。第9巻 第3章

 

 

【こっちを見て!】

 

 

 

王子様が勇気をだして、おおきく、おもい扉を開くと、そこには予想通りのこうけいがひろがっていました。

 

『王子様―!待って!今度は月の裏側の大穴に行こうよ!そこに星のプールをつくろう!』

『いいね。そうしよう!』

 

あの子と、王子様。

まあ、王子様と言っても、あの子の“ゆめのなか”の王子様なのですが。

その二人が楽しそうに、子供部屋で飛び回って遊んでいます。その時のあの子の、なんと楽しそうなことと言ったら!

 

私はあの子があんなに楽しそうなのは、はじめてみます。

それに気付いたのでしょう。私の隣に立つ王子様はガクガクと震えるばかりで、どうする事も出来ずにいます。

 

私は王子様を放っておいて、あの子の元へと飛びました。

早くあの子を起こしてあげないと!どんどん“外のじかん”に置いていかれてしまう!そうすれば、本当の世界で、あの子だけ置いてけぼりになってしまうじゃあ、ありませんか!

 

それは、いけない事です!だめです!あの子はちゃんと“おとな”にならなくっちゃ!

急がなくてもいい。ゆっくりでもいい。

けれど、止まってちゃいけない!

 

『こんなところで何をやっているの!早く向こうにかえりますよ!』

『えっ!』

 

私はバタバタと羽をはばたかせながら言います。あの子の周りを飛び回って、ほらほら!と急かすように。

けれど、そんな私のことばに、あの子は最初こそおどろいたような顔をしていましたが、すぐに不機嫌そうな表情にかわりました。

 

『なに、きゅうに来て!僕は今、月の王子様と遊んでるところなんだから!じゃましないで!ね!王子様!』

『そうだよ。おれたち、これから大穴に星のプールを作るんだ』

 

そういって、二人のしっかりとつながれた手に、私はぎょっとしました。

その手には、ぜったいこの手ははなさないぞ!という強い“いし”が感じられたからです。

 

『なにを言っているんですか!あなたは起きなければ!起きて、王子様みたいな“おとな”にならなければ!』

『なにをいってるの!?へんな事を言うのはやめて!僕も王子様も子供だよ!ずっとここで二人で遊ぶんだ!すきな事をして、ふたりで、ずっと!』

 

そう、あの子と夢の中の王子様はぴたりと互いの体をくっつけあうと、私に背をむけました。

 

『いこう!王子様!』

『うんっ!ずっといっしょにあそぼう!』

 

あの子は目覚めるのをいやがっている。ずっと夢の中にいたいと思っている。

わたしではもうどうする事もできない。

そう思ったわたしは、すぐさまホンモノの王子様の立ち尽くす場所に飛んでいきました。

 

『王子様!はやく、あの子の所へ行って!自分がホンモノだって言って!一緒におきようって言ってください!いっしょに大人になろうって!あなたは、本当はもう大人かもしれないけど、待ってるからって!ねえ!』

『……でも』

 

でも。

そう言って未だにブルブルとふるえる王子様に、私は今度こそほんきで怒りました!ええ、怒りましたとも!

 

『いつまでそうして震えているつもりですか!泣いて、怖がって!ごめんなさいも言えない!こんなんじゃ、あの子はぜったいに“あなた”なんて選びませんよ!夢の中の、あの子につごうの良い”あなた”と、永遠に遊び続けます!それでいいんですか!?』

『…………』

 

私が羽をどんなにバタつかせても、もう王子様はうつむくばかりで何も言いません。

あぁっ!もう!こんな弱虫なおとな、もう私は知りません!知りませんよ!もう!

 

『もういいっ!わたしひとりで何とかします!あなたはもうここから出ておいきなさい!ひとりで、王様でも王子様でもしていなさい!わたしは、あの子を生誕の日まで連れて行きます!』

 

生誕の日を楽しみにしていたあの子を、こんな生誕の日も”えいえん”に来ない世界に置いてはおけません!

そう、今にも子供部屋を飛び出そうとする二人の姿に、わたしは『まって!』と声をあげました。けれど、それは後ろから聞こえてきた、とても低い、静かな、けれど、必死な声によって、かきけされました。

 

『まって!行かないで!』

 

そう言って、わたしの隣を駆け抜けていった人影は、こどもの姿なんかではなく。

 

ひとりの、りっぱな“おとな”の姿をしていました。

 

 

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「なんで、俺が居るのに……そんな、偽物に抱きしめられているんだっ!アウト!」

 

 

 アウト。

 そう、俺に向かって叫んでくる一人の男の人に、俺はビクリと体が揺れるのを止められなかった。

 

 こわい。

 蹲るように座り込む俺の体を横から守るように抱きしめてくれるウィズの腕に、俺は思わず力を込めた。こわい。こわい。今まで真っ暗で、外から誰か来る事なんて一度だってなかったのに、どうして急にこんなに騒がしくなっているのだろう。

 

 どうして、目の前の男の人は、こんなに怒って俺の事を見ているのだろう。

 

『…………』

 

 俺は少しだけ口を開けてみた。開けてみたけれど、この部屋に閉じこもって随分と経つせいで、声の出し方を忘れてしまったようだ。

 開けた口は、何の音も発する事なく、ただ空気を漏らすだけだ。

 なにも、しゃべれない。

 

『…………』

「アウト!ソイツから離れろ!」

 

 その間も、急に入ってきた男の人は、激しく怒りながら俺の、俺達の方へとやって来る。こわい。こわい。こわい。

 俺はウィズの腕に更にギュッとしがみつくと、チラと顔を上げた。上げた先には、俺の大好きなウィズの姿。ウィズは『大丈夫だ。心配ない』と、俺に向かって、すぐに優しい笑みと言葉をくれた。

 

 あぁ、安心する。ウィズは、言わなくても俺の気持ちを分かってくれる。守ってくれる。

 

 そんな俺に、いつの間にかすぐ目の前まで近づいていた、あの男の人の影が俺の頭上へとかかった。

 こわい。

 

『余所者は、出て行け』

「なんだと?」

 

 そして、俺の気持ちを代弁するように、俺を抱き締めてくれていたウィズが、俺と男の人の間に立ちはだかる。でも、ウィズが少しでも離れていくのが嫌で、蹲っていた体を起こすと、ウィズの背中に隠れながら、その背中に抱き着く。

 

 ぴったりとくっついてないと不安だ。だから、くっついていないと。

 

「っ!アウト!どうしてっ!」

 

 あぁ、自分の足で立つのも久しぶりだ。少しよろけるけれど、ウィズを抱き締めていれば、立っていられる。落ち着く。

 

 “この”ウィズは、怖くない。安心する。大好きだ。