269:二人の一人

きみとぼくの冒険。第9巻 第4章

 

 

【いかないで!】

 

 

僕を呼び止める、大人の人の声がする。

 

僕は今から月の王子様と一緒に、星のプールを作る予定なのに。一体だれだろう!

 

『いかないで、おねがい』

『……だれ?』

 

振り返ると、そこには知らない大人の男の人が居た。一歩一歩俺へと近づいてくる。

僕には大人の友達なんて居ないのに、一体この人は誰だろう?

 

『俺だよ。一緒に、ずっと遊んで、冒険をした』

『僕、貴方なんて知らないよ。だって、僕には大人のお友達は居ないから』

 

そう、僕には大人の友達は居ない。

俺を置いて、大人になるような友達は居ない。

 

『ごめんなさい。嘘を吐いて。でも、俺が君の友達だって事は嘘じゃない』

『…………うそつきはきらい。だって、うそは僕をくるしくさせるから。そんな事してくる人は、友達じゃない』

 

僕は隣に居る、月の王子様の手をギュッと握り締めた。

すると、王子様もギュッと握り返してくれる。うれしい。僕はここでずっと、王子様と遊ぶんだ。

 

だって、大人になったら夢は見ないのよってお母さんが言った。大人は夢を見ない。そしたら、どうやって王子様と遊べばいいんだ。僕には王子様とファーしか友達が居ないのに。

 

引っ越しをして、誰も僕の周りからは友達は居なくなった。

あんなに寂しい世界には戻りたくない。

夢を見ない大人になんてなりたくない。

 

『いかないで!俺は大人だけど、お願い!待ってるから!キミも大人になって!一緒に生誕の日をお祝いしよう!』

『生誕の日なんて嫌い!大人もいや!外もいや!ひとりぼっちもいや!』

 

僕がそう言って知らない男の人に向かってさけぶと、おとこの人は悲しそうな顔で、僕に言った。

 

『俺は、君を一人にはさせない。だから、』

 

ぜったいに、させない。

 

男の人は足を止めることなく僕の目の前までやって来ると、自分の手を差し出してきた。

 

 

『手を、つないで、一緒に、かえろう』

 

 

そのしゅんかん、男の人の指にあった指輪がキラリと星のように光り輝いた。

 

 

 

 

       〇

 

 

 

 

「いかないで、あうと」

 

 

 部屋の中に響く、その幼子の懇願するような声に、俺は胸を掴まれるような想いだった。それは向こうの俺も同じだったようで、大好きなウィズの人形に向かって歩き出していた足をピタリと止めた。

 

『…………』

 

 止めて、振り返っていた。そりゃあそうだ。アレは俺の望みという本心を体現した俺なのだから。本当の望みの前に、抗えよう筈もない。

 

 だから、俺はアレを切り離した。

 望めば望む程、傷付く事を知ったから。成長して、その事に気付いたから。

 だから、狭い部屋に閉じ込めて、出て来ないでとお願いした。

 

 俺は、俺を閉じ込めて、生きていた。でも、そろそろ、覚悟をするべきなのかもしれない。

 

——–そろそろ、自分の幸福の為に傷付く勇気を持ちな?

 

 その通りだ。ヴァイス。

 “誰かの為”という大義名分を笠に着て、自分の存在意義を確認して回るなんて、そんなの“傲慢”だ。子供の癇癪と同じじゃないか。

存在意義を確認する為に、振りかざしてきた自己犠牲で、結局、俺はどれだけ“俺”を大切に想っている人達の事を傷付けてきたのだろう。

 

———アウト!お前、自分の人生の辛さを、他人に、俺に押し付けるな!?

———何が俺達の為だ!自分がただ逃げたいだけの癖に、ご立派な理由に俺を利用するなよ!

 

 インの言葉が頭を過る。

 もう、ぐうの音も出ない。両手を上げて、白旗でも振ろうではないか。

 まさに、その通りだ!俺はいつも“自分”しか見ていなかった。自分しか見ていないくせに、本当の自分は見えない所に隠して見えなくした。結局、俺は他人からも自分からも目を逸らしていたのだ。

 

 蹲って、顔を膝にうめて過ごしていた。

これじゃあ、誰も幸福になど出来る筈もない。

 

 俺は子供のような傲慢さで、自分を傷付け、結局は周囲も傷付けていたのだ。

 

『ねぇ、』

 

 俺は「いかないで、」とうわ言のように口にする男の隣を通り過ぎ、振り返った“俺”へと向かった。向かって、向き合った。真正面から、隠していた俺を見た。

 

『ねえ、もう。声、出るよね』

『……あ』

 

 俺の問いに目を逸らす相手の手を、俺はソッと握った。その拍子に、触れた相手の口から、難なく声が漏れる。そう、この声。俺はこの声から逃げたかった。自分の本心から、逃げたかった。

 

『やっぱり。触ってもぜんぜん、温かくならないな』

『……う、ん』

 

 触れても先程のヴァイスのように、一切暖かさを感じないその手。そりゃあそうだ。だって、この目の前の俺も、俺なのだ。俺達、ではない。俺一人なのだ。

 

『まだ、ちょっと一つに戻るのは時間が要るけれど』

『……うん』

 

 二人じゃない。一人だ。だから、温かい訳ない。けれど、これが当たり前の姿なのだ。俺達こそが、寄り添っていなきゃいけなかったのだ。声を受け入れる準備は出来た。発する勇気を持った。

 

 俺は、これから俺の為に傷つく。

 

「そうだった、そうだった。そう思ってたんだった。あぁ、分かったら急に腹が立ってきた」

 

 俺は俺と手を繋いだまま、立ち尽くすウィズの前に向き直ると、ハッキリと口にした。

 

「『ウィズ。俺は、もうお前の幸福の為には生きられない』」

「……あぁ、アウト」

 

 ウィズが向き直った俺に向かって、凄く変な顔をしてくる。ウィズのこんな顔は初めて見る。もしかして、俺って俺だけじゃなくて、ウィズもちゃんと見てなかったのかもしれない。

 

「『お前の幸福なんて、』」

 

 けれど、それと同時に徐々に俺の中にはとめどない感情が湧き上がってくる。あぁ、これも久しぶり。熱くて、止められない。心って、こんなに“つなみ”みたいに急に襲ってくるのか。

 

 そりゃあ、怖くて逃げだしたくもなる。

 けれど、もうここまで来たら逃げられないぞ。だって、その波はもう、目の前まで来ているのだから。

 

「『しらないっ!俺はっ、おれが、いちばん幸せになりたいのに!なのにっ』」

「……うん」

 

 飲まれた。

 頭からすっぽり、つま先まで。それは完全に俺を覆い尽くしたのだ。

 

「『お、おれの幸福にはウィズが要るのに、ウィズはちがった!おれをインだって言う!さいしょから、おれは、ちがうって言ったのにっ!』」

「……うん、そうだった。お前は最初から」

———“アウト”だったのに。

 

 ウィズが俺の名を口にした瞬間。頭から飲まれた大波に、俺は勢いよくさらわれた。息が出来ない。苦しい。苦しいから、もがくしかない。

 

「『おれが、ウィズのことを、どんなに想って、考えて口にしても!全部、インに取られるっ!おれが考えたことなのに、おれが、ウィズにあげたかった言葉だったのに!ウィズは口では”アウト”って言いながら、心の中では”イン”っておもってる!』」

 

 目から沢山の何かが零れる。あんまり零れてきて鬱陶しいから、俺はソレを乱暴に袖で拭ってやろうとした。けれど、その腕は俺の顔に到達する前に、ウィズの力強い手によって止められてしまった。

 

 どうして。“これ”は邪魔だ。消さないと。

 

「泣いていいんだ。アウト。今までの分も、ぜんぶ。俺や周囲がお前にしてきた事を、水に流してくれなんて言えない。言わない。だから、せめて、涙くらい……好きなだけ流してくれ。もう、なにひとつ、俺の前で我慢するな」

———-アウト。

 

 アウト、アウト、アウト。

 ウィズの口から何度も発せられる“アウト”と言う名前。

 

「『うそだ!』」

 

 好きなだけ。そんな子供みたいなことを、大人がしていいのか。大声で、本当の事を言って泣いたら、皆も、ウィズも、ガッカリして離れていくんじゃないのか。

 

 “お前”じゃないって言うんじゃないのか!

 

 

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