(外伝32):金持ち父さん、貧乏父さん(28)

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『ヨル、大丈夫か?』

『っは、っは、っげほっげほっ』

 

 ヨルは思ったより、体力が無かった。

 

 俺はヨルと手を繋いで走るのが嬉し過ぎて、思わず村の中心から、荒地の街道まで走って来てしまったのだが、先程からヨルは、ずっと膝をついて地面に頭を向けている。肩は呼吸と共に激しく上下しており、ともかく苦しそうだ。

 

 まさか、こんなに苦しそうなヨルを見る事になるとは。

 

『っげほ、っはぁ、っげほ』

『……ヨル?』

『っげほっげほ』

 

 今や、呼吸を邪魔するように吐き出され始めた咳に、俺は徐々に不安が大きく膨らんでいくのを感じた。

この咳は、昼間に荒地の街道に向かった時に聞こえてきた『げほっ』と同じ声だ。もしかしたら、ヨルは昼間からずっと具合が悪かったのかもしれない。

 

『ヨル、ごめんな。俺、ヨルと走るのが嬉しくて、ヨルの事、考えてなかった』

『……い、いいっ。気に、っげほ』

『ああっ!ヨル!病気なのか!?俺がおぶってやるから、家に帰ろう!』

 

 俺が膝をつくヨルの前に、背を向けて“おんぶ”のポーズを取る。これをすると、まだインなどはヒョコと反射のように背中に飛び乗ってくるものだ。

 だから、きっとヨルも飛び乗ってくれると思ったのだが。

 

『ヨル、おいで』

『…………』

 

 一向に背中に何の重みも加わらないので、俺は顔だけ後ろに向けて声を掛ける。

すると、そこには何か気に食わない事でもあったのか、それはもう、悔し気な表情を浮かべて、地面に拳を立てるヨルの姿があった。

 

『っ俺を年寄り扱いするなっ!?』

『年寄り?俺はヨルを年寄り扱いなんかしちゃいないぞ!動くのがきついみたいだから、おんぶを……』

『それをっ!年寄り扱いというんだっ!不愉快極まりない!』

『なっ、何を怒ってるんだ?そんな、ヨル。じゃあ、お前は一体何歳だと言うんだ!?』

『……年齢など別に良いだろ』

『ヨルが言ったんじゃないか!俺はそんな事を、ちっとも思っちゃいないのに!』

『……年寄りではないが、お前のように若くはない』

 

 まだ、呼吸は完全には整っていないものの、普通に会話で出来るまでに回復したヨルに、俺はおんぶのポーズを止めて振り返った。

 俺が若い?ヨルは一体俺をいくつだと思っているのだろうか。

 

『俺だって、もう若いという訳じゃない。今年で28になるし。昔のように体も動かん』

『……は?』

『だいたい、男は50過ぎたら死ぬからな。俺ももう半分終わったようなもんだ。イン達が独り立ちをしたら、後は死ぬだけさ』

 

 だから、村長を含む、村の年寄り連中はそろそろ死ぬ頃だろう。そこまで考え、ふと、俺はとてもヒドイ言葉が頭を過るのを感じた。けれど、確かに思ってしまったのだから仕方がない。

 あんな奴、早くくたばってしまえばいいのに。なんて。

 

『スルー』

『なんだ?』

『お前、案外……年だったんだな。見た目が若いので、もっと若いものだと思っていた』

『ははっ。一体、ヨルは俺をいくつだと思っていたんだ』

 

 まぁ、見た目が年齢より幼く見えるというのは、子供の頃からよくあった事だ。成長も他の奴らよりも格段に遅かったし、あとは“落ち着きがない”から、そう見られるのだと、俺はちゃんと分かっている。

 

『俺も、もう、あちこちガタガタさ。昨日のヨルとのダンスも、あと10年若かったら、もっと素晴らしく“追従”できただろう』

 

 俺は目を閉じ、昨日のヨルとのダンスを想った。あれは本当に素晴らしい時間だった。何をどう互いに決めた訳でもなかったのに、いつの間にか俺が“追従”、ヨルが“導き”になっていた。

 まぁ、ダンスとはそう言うものだ。むしろ、そう言うものであるべきだ。

 踊りながら、自分の納まるべき、心地の良い所へとおさまっていく。

 それが出来たのは、相手がこのヨルに他ならなかったからだろう。

 

『昨日のお前も、充分素晴らしかった。10年前など、俺の知らぬお前を出す必要はない』

『……そうだな』

 

 あぁ、やっといつもの心地の良いヨルの声に戻った。もう、呼吸も乱れていないし、今は静かなヨルだ。

 

『俺も30とは言え、もう少し体力をつけなければな』

『大丈夫だ。もう無理やり走らせたりしない』

 

 あぁ、ヨルは俺より年上だったのか。てっきり、俺と同じか、年下だと思っていたのだが。

 

———-不愉快だ。帰る。

 

 出会い頭の、あの静かに癇癪玉を弾けさすヨルの姿が、頭から抜けない。もしかすると、俺はずっとヨルの事を“弟”のように、可愛く思っていたのかもしれない。

 だから、俺はヨルをこんなにも好きなのかも。あぁ、そうかも。

 

『ふふ』

 

 けれど、そんな事を言えば、ヨルは機嫌が悪くなると分かっている為、俺は余計な事は言わない事にした。ただ、笑みだけは我慢できずに零れてしまう。あの頃のヨルを思えば、よくもまぁこんなに仲良くなれたと思う。

 

 いや、仲良くしてくれていると思う。俺にこんな仲の良い人間が出来るなんて、夢のようだ。

 

『何を笑っている』

『いや、楽しくてな』

『……俺は、お前が走る時に、付いていけない不甲斐ない“俺”にはなりたくない』

『俺はヨルを置いて走ったりしないさ』

『そんな言葉は信用できない。……っふ。お前は蝶なのだろう?花を見つけたら一目散に飛んで行くに違いない』

 

 どうやら昼間に俺の言っていた事を聞いていたらしい。俺は昼間、ヨルに話しかけてはいけないのだが、そんな中でも俺の言葉はヨルに届いていたのか。

 

『……っ!そうか!俺は、ちょうちょだったな!』

 

 そう口にした途端、俺は本当に蝶のように舞い踊りたくなった。此処はいつもの原っぱでも、大岩の上でもない。

足場も悪く、夜は狼も出るかもしれない“荒れ地の街道”だ。それなのに、そんなのは全然関係ない気がした。

 

『っあはは!そうそう!俺はちょうちょだ!』

『おい。スルー、転ぶぞ』

『転ばない!俺は飛んでるからな!』

 

 嬉しい、嬉しい!俺は変わり者だけど、皆にとっては邪魔者かもしれないけど、明日もやっぱり付いて行こう!

だって、一緒に行けば、ヨルの見える所に居る事はできる!もしかしたら、またヨルが俺の言葉を聞いていてくれるかも!

 

『なら、俺にとっての花はヨルだな!俺はヨルを見ると飛んで行きたくなるから!』

『っ!』

 

 言いながら、まさにそうだ!と俺は強く確信した。踊らなければ、飛ばなければ。傍に俺の花が居るのだから。

 けれど、その俺の蝶としての最高の舞は、一瞬の後、終わりを告げた。俺は掴まってしまったのだ。

人間に、いや、俺の花に、いや、ヨルに。

 

『は?』

 

 一拍の後、首筋に何かヌルリとする生暖かい感覚が走った。そして、これには少し覚えのある感覚だ。けれど、それが何だったかを思い出す間もなく、次の瞬間には、ガブリと歯を突き立てられる感覚。

 

『っひ!は、は?え?』

 

———-イン、その首の……歯形?は、どうした。

———-あぁ!コレ!これね!オブが噛んだんだよ!急に!ガブって!オレ、びっくりしたよ!

 

 ヨルが俺の首筋を噛んでいる!それこそまるで――。

 

『な、な、な!お、狼だ!狼が居る!』

『……』

 

 突き立てられる。容赦なく、深く、奥まで。

 きっと、もう俺の首筋には、イン同様、ハッキリとした歯形が付いている事だろう。さすが、親子。子供の狼がやる事は、もちろん大人の狼もやる。だって、子供は、いつだって大人の真似をする生き物なのだから。

 そりゃあもう、子供よりも立派に。激しく、強く。

 

『……っふ。狼か』

『な、なんで?なんで?噛んだ?やっぱりヨルは狼で、俺が、お、美味しそうに見えたのか?俺を、食うのか?』

 

 ヨルは俺のお花だと思った。そうに違いないと、蝶のように飛んで、花の蜜を吸ってヒラヒラと舞ってやろうと思ったのに。

 まさか、俺がヨルの“ごはん”になってしまうなんて!

 

『そうだな。花よりは、狼の方が……愉快だ』

 

 俺はやっと首元から離れて行った、笑みを浮かべるそのヨルの顔に、思わず噛まれた部分に手をやった。噛まれた拍子に舐められていたせいで、少しばかり湿っている。

また、舐められた。それに噛まれた。

 もしかして、ヨルは酒を呑んでいるんじゃないだろうか。酔っているんじゃ、ないだろうか。

 

『え。あの、ヨル。ま、また酒を、飲み過ぎたのか?』

『っふ。お前が焦っているのは、やっぱり楽しいな』

———–また、噛んでやろうか。

 

 そう言ってニヤリと笑うヨルの顔に、俺は何故か体の芯から沸騰するような感覚に陥った。だって、このヨルからは酒の匂いはしない。噛まれた時に、それはハッキリわかっていた。

 ヨルからは、酒の匂いではなく、いつものヨルの素敵な匂いしかしなかったから。

 

『……この、狼め』

 

 お花だと思っていたのに、花の皮を被った狼だったとは。俺が少しだけ悔しさを晴らすように、そう言ってやれば、ヨルはいつもの月にまで届くような素敵な笑みではなく、獲物を見つけた狼のような目で俺を見て言った。

 

『また、噛まれないように気を付ける事だな』

 

 

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