『……全部、お前のせいだ』
『お前の咳は、俺のせいではなかろうに!』
『っげほ、げほっ!』
お前のせい。
このヴァーサスが、一体“何を”俺のせいだと言っているのか、その確たるところは分からないが、ともかく苦しそうだ。俺はふわふわ達を撫でるのを、一旦やめて、咳き込むヴァーサスの元へと向かった。普段なら、俺が近寄ると、これでもかという程、鋭い目で俺の事を睨んでくるのだが、今はそれどころではないらしい。
ヴァーサスは、幼い頃から体が非常に弱かった。
『ほら、大丈夫か。肥料なら、後から俺が届けてやるから、帰った方がいい。ここには、見えないだけで、みんなの毛が舞っている。早く離れた方がいいぞ』
『っげほ、うるっ、うるさいっ!げほっ、っぐ。うえっ』
余りに咳が激し過ぎて、とうとう、ヴァーサスはえずき始めてしまった。可哀想に。そう、俺がヴァーサスの背に手をかけてやろうとした時だった。
『何をしている』
家畜の広場の入口から、低く、そして皺がれた声が俺の耳に響いてきた。
あぁ、怒っている。この声の主は、とてつもなく怒っている。それこそ、俺には何度も向けられてきた声。
『ヴァーサス』
ヴァーサスの名が呼ばれる。
その声に、その瞬間、俺は腹の底にゾゾとした、嫌なモノが走るのを感じた。振り返らなくとも、この声を聞けば、誰がそこに立っているのかなど明白だ。それは、ヴァーサスも同じだったようで、それまで苦し気に吐き出されていた咳を、ハタと止めた。
咳すら、まともに出せなくなるとは。
『お前、俺の息子に何をしようとした』
『別に、なにも……』
俺はヴァーサスに伸ばそうとしていた手を引っ込めると、すぐにヴァーサスから距離を取った。情けない事に、未だにこの怒りに満ちた声を聞くと、俺は声も出せず、体も上手く動かせなくなる。
俺の息子、と呼ばれたヴァーサスも口元に手を当て、蹲っていた体を起こす。
『ヴァーサス。お前はそんな事をしなくていい。また熱を出すぞ』
『す、すみません。父さん』
ヴァーサスはすぐに広場の入口に立っていた老いぼれの元に駆けだすと、酷く悔しそうに眉を顰めた表情で、チラリと俺の方を見た。
そんな、何もかも“お前のせいだ”という目で見られても困る。本当に、困る。
『おい、お前』
『な、なんだよ』
お前、と誰の事でもない呼び名が、逆に、誰でも当てはまる呼び名が、俺に向けて放たれる。
皺がれた声、小さくなった体。きっと、もうすぐコイツもくたばる。ただの年寄りだ。
“村長”なんて器でもない癖に、必死にしがみついて来たその役職だか、名誉だか分からぬモノに固執する、その醜悪な老いぼれに、俺は、名すら呼ばれない。
目も向けられない。
『うちまで、そいつを届けろ。いいな。すぐにだ』
『……』
『返事をしろ』
『……あぁ』
俺はヴァーサスの肩から降ろされた籠を、ぼんやりと眺めながら去って行く“親子”の背を見送った。
『早く、くたばればいいのに』
誰が、とは言わない。ただ、思わず口に出してしまった言葉に、俺は体の傷跡がズキリと痛むような錯覚に襲われた。襲われ、それが幻の痛みである事を知ると、どうしようもなく不甲斐ない気持ちになって、むしょうに何かを殴りたくなった。
殴って、殴って、殴り倒して。全てを破壊したい気持ち。
ふんふんふん
『けもる……』
けれど、それは足元にやってきたふわふわの毛モノによって、一気に鎮められた。鎮められた事で、先程まで俺の中で溢れかえっていた、醜く狂暴な破壊衝動が、一気に俺の中へと冷静さをもって入り込んでくる。
『俺は、最低だ。ちっとも素敵じゃないなぁ。けもる』
ふんふんふんふん
そう、俺の足元で、まるで俺を慰めるように体を寄せてくれるふわふわに、俺は思わず顔を、その毛の中にうずめた。ふわふわで、やわらかい。俺は、こんな風になりたかった。
『お前達は、俺の次にかわいい』
こんな風に、生きたい。お前達のように、ふわふわで、あたたかく、生きたい。アイツのような生き方とは、まるで真逆な。お前達のように。
———スルー。
そう思った時、何故か、俺の頭にヨルの笑顔が浮かんだ。ヨルが、俺を呼ぶ声がする。
あぁ、早く夜にならないだろうか。早く、ヨルに会いたい。会いたい。
会いたい。