35:金持ち父さん、貧乏父さん(35)

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 俺は駆けた。村の誰よりも早いその足で。狼よりは遅いけれど、人間の中では誰よりも早い、その俺の足。その足を、俺は会いたい人に会いに行く為に、めいっぱい動かした。

 

 ヨル、ヨル、ヨル、ヨル!

 

 

『ヨルっ!』

 

 俺は非常にヨルに会いたかったので、今日は早めに大岩まで向かったのだ。なので、きっとまだヨルは居ないだろうと思っていたのに。

 思っていたのに!!

 

『ヨルヨルヨルヨル!』

 

 ヨルは既に大岩の上に腰かけていた。腰かけて月を眺めていた。その横顔が、いつも以上に素敵で、踊りながら月に登っていくような気持ちさえしたので、本当はもっと、ずっと眺めていたかったのだが、それは“俺自身”が許さなかった。

 

『ヨルー!』

『スルー』

 

 そう!俺は“こうしんりょく”だから、ヨルに引っ張られるのだ!ヨルを見たら、名前をたくさん呼んで、走って近づかなければ気が済まない!世界がそんな風に出来ているように、俺もそんな風に出来ているのだ。

 

 これは、世界の決まりだ!

 

『今日は早いな!俺は早く来てヨルをたくさん待つつもりだったのに!ヨルも早かった!あははは!負けたな!大負けしてしまった!』

 

 俺はいつも以上に嬉しくて、嬉しくて、一気に大岩の上まで駆け上がった。さすがの俺も、余りに興奮し過ぎて、息が乱れる。肩で息をしているせいで、俺の事を見ているヨルの視線を、受け止める事が出来ない。

 

『スルー、落ち着け』

『あぁっ、ヨル!会いたかった!いつも会っているが、今日はもっと会いたかったから、早く会えて嬉しい!』

 

 嬉しい、嬉しい!俺は余りの嬉しさに、大岩の上で、少しだけ踊った。今日は“試した事を二人で考える”遊びもあるが、早く会えたので、歌ってみようか!あぁ、そうしよう!今日はヨルの好きな歌を歌って、一緒に踊って、それから、ええと。

 

『スルー、少し座れ』

『いいや!これから踊ろうかと思って』

『座るんだ、スルー』

 

 ヨルの声は、静かで優しい。別に命令されている訳でもなければ、強制力がある訳でもないのに、俺はヨルの言葉に従って、ストンと大岩のヨルの隣へと腰かけた。

ヨルが座るように言うならば、まずは座ろうではないか。歌も踊りも、“考える”遊びも、今日は時間があるのだから、全部出来るだろう。

 

『スルー。俺が座るように言っておいてなんだが、お前は本当に犬のようだな。尾が見えるようだぞ』

『ヨルは狼だもんな!』

『……いや、そういう問題ではなく。少しは怒ってもいいところなのだがな』

 

 一体、俺は何を怒ると言うのだろう!ヨルが狼で、俺が犬。それならば、あの2つはとても良く似た生き物なので、逆に俺は嬉しい気持ちでいっぱいだ!

 

『まぁいい。スルー』

『なんだ!ヨル!』

 

 俺が、それこそ犬のようにヨルの方へ体を向け、そして身を乗り出すようにヨルの顔へと顔を近づけた。いつもはここの辺りで、ヨルが『ぶつかるだろうが』と言って、俺の体を押し、自分は離れて行ってしまうのだが――。

 

『…………』

『…………』

 

 今日は、ヨルは自分の体を俺から避ける事も、俺を押しやる事もなかった。そのせいで、俺はヨルとひたすら至近距離で顔を見合わせている。

あれれ?なんだ、これは。こんなに他人と顔を間近に合わせる事なんて、滅多にない。いや、滅多にないどころか、ない!

 

 そう、俺がいつもと違うヨルの行動に、目をこれでもかと言う程瞬かせていると、その瞬間、ヨルは距離を保ったまま『ふっ』と、漏れだすように笑った。その漏れた息が、俺の口に当たる。

そのくらい、俺達の距離は、物凄く近いのだ。

 

『摩擦力がないと、どうだ?』

『……ああぁっ!』

 

——-今度、摩擦力がなくなったらどうなるか。実験してやろう。

 

 そう、確かにヨルは昨日そんな事を言っていた。あぁ、あぁ!!これは“試し”遊びだったのか!もう本当にびっくりした!びっくり、びっくりだ!

俺は“理由”の分かったヨルの変化に、心底ホッとすると、ヨルから距離を取ろうと、体を後ろに下げようとした。

が、それは叶わなかった。

 

『スルー。ダメだろう。お前は、俺の向心力なのだから。下がってはいけない』

『っ!!』

 

 俺はヨルによって、片手で後頭部を固定されてしまった。こんな事をされたのでは、俺はまったく後ろに下がる事が出来ない!

 それ故に、俺の目の前には、未だに素敵すぎる笑みを、小さく口元に浮かべたヨルが、これでもかという程広がっている。

 

『さぁ、どうだ?スルー、摩擦力のない俺は』

『ぐ、ぐ……ぅ』

 

 そう言って、ハッキリとからかうような声で問われてしまえば、俺はまるで、いつもの調子が出せなくなってしまった。だって、とても素敵なのだ。ヨルが、全部素敵なのが悪い。

だから、俺はもう、いつもの“俺”が、迷子になってしまい、ただ、本当に一欠けらだけ残った、俺の真ん中にある少しの”俺”の部分で答えるしかなかった。

 

『っは、はずかしいな』

『っ!』

 

 そう、俺が絞り出すように必死に紡ぎ出した言葉と共に、目の前のヨルとハッキリと目を合わせた瞬間。

 ヨルはその瞬間、物凄い“まさつりょく”を発揮した。一気に俺から体と顔を離し、それだけでは足りなかったのか、そのまま後ろに下がり、下がり過ぎた挙句――。

 

『ヨルっ!?』

 

 ヨルは勢いよく大岩から落ちていた。そう高さがある訳ではない大岩から、耳と首を真っ赤にさせたヨルが一気に地面に落ちていくのを見た瞬間、俺は思った。

 

 あぁ、これが本物の“こうしんりょく”か、と。