———–
——–
—–
『やはり、間違いないな』
『そうだな!ヨル!この土はどんなに水を含ませても、この傾きだと、これ以上は落ちてこない!すごい!すごいな!』
ヨルと俺の土砂崩れの“試し遊び”は、あれから、何日も続いた。
山肌の土を何度も持ち帰り、二人で何度も何度も“試す”毎日は、本当に楽しかった。もう二人で何度小さな山を作ったか知れない。どの山の傾きまでが崩れ落ち、どのくらいの水を含ませると、その傾きが変化するのか。
まだ誰も知らない事に“気付く”為の行為は、いつも、俺の心を躍らせる。けれど、今回のソレはいつもの一人でやる“試し”よりも、物凄く楽しかった。
そりゃあそうだ。なにせ、今回は、俺一人じゃない。
いつもは、一人で黙々と試して考えるのだが、今はヨルが居る。ヨルが一緒に手を繋いで、心を躍らせてくれる。
二人って、こんなに楽しいのか!
あぁ!すごい!すごい!楽しい!楽しい!
『やっぱり、この角度が、この地質での安息角か』
『あんそくかく……崩れない傾きのことか?』
『あぁ、そうだ。これだけ実験をすれば、そろそろ確証に入っていいだろう』
ヨルはそう言うと、今日も固い板に挟んだ黄身がかった用紙に、黒々と光る細長い棒を、サラサラと紙の上へと走らせていく。棒が走った後には、それを追いかけるように黒い色をした線がくっついて回る。まるで、紙の上で追いかけっこをしているようだ。
『……わぁ』
線と線が重なったり、離れたり、くるりとしたり。ともかく、ヨルの描くソレは、その姿カタチが様々で、見ていてとても面白い。
『ヨルは、今日もいっぱい書くなぁ』
『あぁ』
『あ!これ!この形は面白い!』
『ふふ、そうか』
そう“文字”というやつだ。ヨルは分かった事や、気付いた事があると、文字を使い、紙をびっしりと埋めていく。
どうやら、忘れない為に書いているらしいのだが、俺からすれば忘れない為に書く、その文字を忘れず覚えているヨルならば、書く必要なんてないんじゃないかと思う。
『ヨルの鞄は何でも入ってるなぁ』
ヨルは“試し遊び”の際、たくさんの本や、紙、そして文字を書く道具を持って来る。俺にはヨルの持ってくる、その道具の一つ一つが、その“試し遊び”と、同じくらい興味を引いて大好きだった。
特に好きなのは、ヨルが文字を書く時に、真っ暗だと見えないと言って持って来た“らんぷ”という、ずっと火の消えない火の入った入れものだ。
それは形も色も、中で揺らめく火さえも、全部が俺の”すき”の中へと納まる。あぁ、本当に最高に素敵だと思う。
お陰で、最近の俺達の周りは夜なのに明るい。なので、昼間みたいにとはいかないけれど、ヨルの顔もよく見えるのだ。
『これは、傾きを図る板。これは、文字を書く為の黒い水。まっすぐ線を引く為の棒。水を運ぶ銀色の入れもの。小さいモノを見る為に、顔に引っかけるもの』
俺はたまにヨルが顔にひっかける、丸い透明なガラスが二つ付いたソレを、文字を書くヨルの隣で自分の顔にも引っかけてみた。
『目の前がおかしい!』
『似合うじゃないか』
『そうか?……うえ。気持ち悪い』
ヨルに似合うと言われて嬉しかったが、どうにも掛け続けると頭がグワングワンして、目が回ってしまうので、すぐに外した。外して、口元に薄い笑みを浮かべたまま、チラと此方を見たあと、文字を書くのに戻ったヨルの顔へと引っかけてやる。
『やっぱり、ヨルの方が素敵で似合うなー』
『それは嬉しい限りだな』
そう、俺の方は見ずに、やっぱり文字を書き続けるヨル。その顔には、先程俺が引っかけた2つの透明なガラスの道具が掛かっている。それを掛けたヨルは、いつもと違って見えて、少しだけソワソワしてしまう。
『素敵だなぁ』
俺はヨルの隣に寝転がって、ヨルを眺め続けた。らんぷをヨルに近づけて、ヨルの顔が昼間みたいに見えるようにする。
ゆらゆらと揺れる火の光が、ヨルをぼんやり照らし出す。あぁ、素敵だ。
『この赤土における安息角の平均値は……』
『…………』
こうして、ヨルは一つの“試し”が終わると、何かブツブツと言いながら、しばらく考え込む。考え込んで、難しい事で頭をいっぱいにしているのだ。その間、俺はヨルの邪魔をしないように、出来るだけ黙るよう心掛けている。
けれどそれは、いつも物凄く失敗に終わる事が多い。
『ヨル』
『あぁ』
黙っていたいのに、俺はヨルの名を口にしてしまう。ヨルが余りにも、素敵だから。
だから、こうして返事のいらない呼びかけを、俺はせずにはいられない。
そして、ヨルもそれが分かっているのか、こういう時の俺の呼びかけには、いつも『あぁ』とだけ答える。
『ヨル』
『あぁ』
こうして考え込むヨルを眺める時間が、俺にとっては一番の”お気に入り”だ。ヨルは素敵だ。ヨルは優しい。何度も、何度も思う。
俺はヨルの名を口の中で転がしながら、あの日の夜を想った。
———-スルーが此処まで生き延びて、本当に良かった。
———-俺が此処に来るまで、生きていてくれて、本当に、良かった。
———-ありがとう、スルー。
俺が生きている事を、俺の家族以外に、こんなに喜んでくれる人が居るなんて。
あの瞬間、俺は他人から自身の“生”を求められるという喜びに、激しく胸を高鳴らせた。こんなに、体中がドキドキと激しい音を立てたのは、生まれて初めてだ。体が心に手を引かれ、まるで楽しく踊っているように、体中が熱く、激しく、高鳴る。
『ヨル』
『あぁ』
別に、俺の父親が誰であろうと、体にたくさん傷があって見苦しかろうと、ヨルは全然変わらない。変わらずに、俺の傍に居てくれる。俺の存在を喜び、共に手を取って心を躍らせてくれる。
あぁ、ヨル。大好きだ。