44:金持ち父さん、貧乏父さん(44)

       〇

 

 

 現在、俺は非常に困っている。

 

『スルー、ちょっと来い』

 

 ヨルが、俺を呼ぶからだ。

 

『スルー、こっちだ』

 

 しかも、何度も、何度も。

 あぁ、別にそれはいい。むしろ、ヨルから『スルー』と名前を呼ばれるのは、俺は最高に飛び跳ねたくなる程嬉しいのだ。だから、別に名を呼ばれるのは、何も問題はない。

 

 いや。ただ、やっぱり一つだけ問題があるのだ。それは、ヨルが俺を呼んでいる”時間”である。

 

『……えっと』

『スルー、聞こえないのか』

 

 そう、今は真昼間だ。夜ではない。

 しかも、こっそり二人でお喋りしているわけでもない。俺達は現在、村の若い衆達と共に、“荒地の街道”の補正に来ていた。そして、その若い衆の中心に立つのが、ヨルとオポジットだ。

 

 皆が見ている前で、ヨルが俺を呼んでいる。

 

『スルー……いいのか?俺を無視して。お前がその気なら、俺は明日にでも荷物をまとめ』

『っ!な、なんだ。聞こえている!俺を呼んだんだな!どうした!そこの素敵な貴族よ!』

 

 俺は、ヨルの口から飛び出そうとした、とんでもない言葉に、慌てて返事をした。

 皆の視線が、俺とヨルの双方に、大量に注がれる。あぁ、これはいけない!

 

『この俺に、いち早く傍に来て欲しい気持ちは分かるが、そう急ぐな!貴族よ!』

 

 ともかく、俺はいつもの“スルー”をやってのけなければ。ヨルとなんて、別に仲良くありませんよ!という様子を皆に見せる為に、あくまで普段通り。そうしていれば、別に俺みたいな変り者が、ヨルと接点があるだなんて、誰も思うまい。

 

『さて、どうしたのかな?貴族の君!俺の力を借りたいのか!あぁ!いいだろう!素晴らしい俺の力を、君に存分に貸そうではないか!』

 

 いつもの俺の調子に『あぁ、やっぱり、いつもの変わり者か』と、皆の表情が歪むのを見た。そんな周囲の様子を横目に、俺はスルリスルリと若い男達の間をすり抜け、ヨルの前へと躍り出る。

 こんな状況でも、やっぱり俺は踊るのが得意だ。

 

『……あ』

 

 そんな状況に、俺は一瞬だけ、過去の記憶が鮮明に蘇ってくるのを感じた。

 

———この村の責任者を呼べ。

———俺ですが!

———お前が……?

 

 あぁ、まるで今は“あの時”みたいじゃないか。俺とヨルが初めて出会った、あの時。

皆の見ている前でヨルの前へと躍り出たのは、これで二回目だ。そう、俺はあの時と“同じ”スルーだ。ヨルとは初対面で、変わり者で、いつもの、いつものスルーなのだ!

 

『そうきたか』

『っ!』

 

 ヨルの眉間に、誰よりも深い皺が刻まれる。そんなヨルの表情に、俺は背中にタラリと嫌な汗が流れるのを感じた。

 

『いい度胸じゃないか、スルー』

『あ、えと』

 

 いや、しかし!これは仕方がないのだ!だって、ヨルがいけないんじゃないか!こんな昼間に!しかも皆が見ている前で俺を、この”変わり者のスルー”を呼ぶなんて!

 これでは、ヨルと俺が仲良しなのがバレてしまう。そうすれば、こうしてヨルの事を信用して集まってくれた皆の心が、ヨルから離れるかもしれないのだ。

 

 そんな事は、決してあってはならない!絶対にダメなのだ!

 そう、俺がヨルの視線を真正面から受け止め、ギュッと拳を握りしめて決心していると、その瞬間、ヨルの表情がフッと緩んだ。

 

『まぁ、いい』

『ど、どうしたんだ?貴族』

『スルー。お前がその気なら、俺も本気を出すぞ』

『んんん?なぁ、貴族?俺はお前が何を言っているのか、さっぱりだぞ!さっぱり分からん!』

 

 これは本心だ。ただ、そんな俺の心からの言葉に、ヨルは特に返事をする事はなかった。しかし、次の瞬間、ヨルの手が、固く握りしめられていた俺の拳に触れていた。

 

『え、え!?』

『その拳をひらけ!』

『なっ、えっ!?』

『ひらけと言っている!拳のままでは手が引けん!さぁ!スルー、行くぞ!』

『い、行く!?ど、こへだ!?』

 

 ヨルが俺に触れた事で、俺はそれまで完璧に演じ切れていた“いつものスルー”を、全く演じきれなくなってしまった。

だって!だって!ヨルが俺の手を!

 

『おい!全員聞け!さっき説明したように、この山肌はもう崩れん!著名な専門家がそう言っているからだ!だから、まずはこの道をならして補正する事から始める!』

『あ、あ、あ、ヨル』

 

 引っ張られる、引っ張られる。皆が俺とヨルを見ている。俺とヨルの繋がれた手を見ている。あれ?いつの間に俺のグウはパアに開かれた?

 

『補正に適した土を、山の中腹から運び込むぞ!今からこの街道は“荒地の街道”ではない!誰もが通れる、』

 

———安心の道だ!

 

 ヨルの声が、ざわめく若い村人たちの間を縫うように駆け抜ける。そして、やっぱりその間も、ヨルの手は、俺の手を力強く握りしめ続けていた。その力強さはまるで『もう絶対に離さないぞ、スルー』と、ヨルが言っているようだった。

 そんな俺とヨルの後ろで、野蛮なオポジットが、何も知らない様子で、カラッとした太陽のような明るい声で言った。

 

『なんだ!お前らいつの間に仲良くなっていたんだ!』

 

 畜生!オポジット!お前は、いつも、いっつも余計な事ばかり言うんだな!

 本当に、お前なんか大嫌いだよ!