45:金持ち父さん、貧乏父さん(45)

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『スルー!』

 

 あぁぁ!もう!困った、本当に困ったぞ!

 ヨルは、“安心の道計画”を宣言したあの日から、昼間もずっと俺に話しかけてくるようになった。“荒地の街道”に居ようと、村の広場に居ようと、どこに居ようと!何度ダメと言っても聞きやしない!

 

『スルー、ちょっと来い』

 

 ほら、こんな風に!

 ちなみに、今俺が今居るのは、村の中心の広場だ。いや、居た訳ではなく、俺はたまたま通りかかっただけなのだ。畑仕事の合間、またしても肥料が必要になったので、村の通りを歩いていただけ。それだけだったのに。

 

『…………』

 

 ヨルが俺を呼ぶ。

 あぁ、もう季節は夏をすぐそこに控えている。昼間は大分と熱くなってきた。俺を呼ぶヨルの格好も、白い薄手の洋装に、長袖の腕がしっかりと捲し上げられている。

白かったヨルの肌が、少しだけ焼けていた。

 

『どうした。スルー。俺の声が聞こえないのか』

『……聞こえているともさ』

 

 これだ……!

あぁ、もう!少しの現実逃避すら許しちゃくれない!この貴族様は!

 

 俺が自分でも分かるほどに、口角をヒクつかせていると、ヨルの周囲に集まっていた村の若い衆達も、ジッと俺の方を見ていた。否、若い衆どころか、その辺に居た村の女の人達や、子供達、そして年寄り達も、俺を見てくる。

 

『……うぅ』

 

 まぁ、俺と言うより、“俺とヨル”を見ている。そりゃあそうだろう。これまで、一切何の接点もないと思っていた、この土地一帯の領主である貴族と、村一番の変わり者が、急に会話をするようになったのだ。皆、何事かと思っているに違いない。

 

『なんで、あの変わり者のスルーと?』

『何かあったのかしら?』

『また、アイツが変な事をしようとしてるのか?』

『領主様が、どうして?』

 

 周囲から色々な声が聞こえる。

 俺は皆のこんな目は、昔からよく知っている筈なのに、何故だか今日のは落ち着かない。ソワソワする。意味もなく『違うんだ!』と、皆の元へ走って、言って回りたい。けれど、俺にそんな事をする暇を、あの夜を背負った貴族は、まるで与えてくれはしなかった。

 

『何をしている。早く来い』

——-スルー。

 

 ヨルはこうして、周囲に言って聞かせるように、何度も、何度も呼びかけの中に“スルー”と、俺の名を挟んでいく。これ以上、ヨルを待たせると、今にも俺の元へ駆け出して、腕でも引かれそうだ。

 そうなる前に、俺の方から行かねばなるまい。そうしなければ、最終的には『荷物をまとめて帰るぞ!』と、脅してくるのだ。

 

 そんなの、冗談でだって聞きたくない!

 

『わかった、わかったよ。貴族!俺が、そちらへ向かおうではないか!』

『……まったく、強情な』

 

 俺は昼間はヨルの事を“貴族”と呼ぶ事にしている。俺は、ヨルの名前を知らないのだ!そういう設定!いや、そういえば“ヨル”というのも、俺が勝手につけたモノなので、別に本当の名前という訳でもなかった。

 そうだった、そうだった。

 

『どうした!皆!俺が必要か!スルーが来たぞ!どうしたどうした!』

『おい、スルー。ちょっと様子が変だぞ!顔が真っ赤じゃないか!あはは!まだ夏は先だと言うのにな!お前、この程度で、そんなに汗をかいていたら、今年の夏は何も出来ないぞ!』

 

 オポジット!!お前は本当に余計な事ばかりを言うヤツだな!大嫌いだよ!本当に、お前なんか大っ嫌いだ!

 

『オポジット!俺はお前が大嫌いだ!』

『は?スルーの癖に何言ってんだ?』

『はぁ!?』

 

 スルーの癖に!?

 なんだ、その“癖”は!“俺の癖”って、俺が言ってはおかしな事でもあるのか!どういう事だ!畜生!オポジットの方が言っている事の意味が分からん!

 コイツの方が断然、俺より“変わり者”じゃないか!

 

 シレッと言われたオポジットからの言葉に、俺が拳を握りしめていると、それまで俺の名を呼んでいたヨルが、いつの間にか俺の隣に来ていた。俺の隣で、握りしめた拳にソッと触れてくる。

 

『わっ!』

『早くしろ、スルー。お前の意見が聞きたいんだ』

 

 だからと言って、わざわざ俺の手に触れる必要などない筈だ。俺は、余りにもビックリしたせいで、ともかく握っていた拳をパッと開いた。パッと開いて、俺の背中に引っ込める。

 そんな俺の動きに、ヨルは軽く口元に笑みを浮かべると、すぐに俺に背を向けて、元の場所へと戻った。

 

『俺の、意見?』

『あぁ、そうだ。街道の補正に使う土で、何が最も適しているのか、それを皆で考えている』

『道の、補正か』

 

 広場の外机の上には、どこからか集めて来たのであろう。それこそ、様々な土が並べて置いてあった。村の裏手にある粘り気のある土。森の土。川べりの砂。

 ふうむ。確かにそうだった。前回、山肌の中腹から持って来た赤土を、一度、街道の一部に敷いてみたところ、一昨日降った雨で、酷くぬかるんでしまっていた。

 

 水はけも悪く、水たまりがそこかしこに出来、挙句、人が通っただけで、ボコボコに荒れ果ててしまったのだ。確かに、アレでは馬車はおろか、行商人すら利用できまい。

 

『正直、あの山肌にある赤土では、道の補正には向かない事が分かったからな。アレでは意味がない』

『あの土だと、結局水はけも悪いし、すぐに道が荒れるからなぁ。ったく、道を作るってのもひと仕事だな』

『だが、ここで手を抜く事は出来ん。馬車や荷車が通っても荒れない道でなければ、意味がないからな』

『なぁ、それよりも本当に、山肌はあのままでいいのか?今、道を補正しても今年の疾風でダメになったら、全部無駄になるじゃないか!』

『だから、何度も説明しただろう。もう、あの山肌は崩れんと』

『とは言ってもなぁ』

『あぁ。あと、今年の疾風も規模が小さい。皆、余り過度な準備をして、時間と労力、金を無駄にするな。そう、著名な疾風研究家が言っている』

『誰だよ、ソレ』

『疾風が去ったら教えてやる。とこかく、今は俺の言葉を信用しろ』

『うーん』

 

 ザワザワと周囲でオポジットや他の若い衆が、ヨルへと疑問や不安を投げかけている。やはり、皆、もうすぐやって来る疾風の事が怖いのだ。

 

『……いや』

 

 それは違うな。疾風が来て、自分達のやった事が“無駄”になる事が怖いのだ。でも、だからこそヨルは疾風を直接経験させて、あの山肌の頑丈さを、皆に見せたいのだ。

そして、その疾風にも耐えうる頑丈な水はけの良い“道”を作りたいからこそ、疾風の前に、ある程度の道の補正もしておきたいのだろう。

 

 この夏やってくる疾風で、ヨルは全てを“試そう”としている。