『あ、えっと』
『ヨルさーん!お父さんも仲間に入れてくれて、ありがとうー!これからも、仲良くしてあげてくださーい!』
『……イン』
原っぱの方から、村の中を突き抜けて通り過ぎていく、その声変わり前の無邪気な声。そうやって、嬉しそうなインの声を追って顔を上げて見れば、そこにはオブとフロムと共に、楽しそうに並び立つ、インの姿があった。やはり、今日もオブとはしっかりと手を繋いでいる。
『……』
あぁ、イン。お前は、本当に太陽の下が似合う子だ。太陽の下を無邪気に駆けまわり、好きな人と手を繋ぎ、心の底から笑っている。イン、お前がそんな素晴らしい人生を歩んでくれていて、俺は父親として誇らしいよ。
そう、俺が何も言えぬままインの姿を遠くに映していると、またしても、いつの間にか俺の隣に、ヨルが立っていた。そして、俺はその時、初めてのモノを目にした。否、耳にした。
『イン!』
『はーい!』
ヨルが叫んでいた。俺の隣で、遠くに居るインに聞こえるように。大声で。初めて聞く、その張り上げられたヨルの声は、ただ、出し慣れていないのだろう。
少しだけ裏返っている。
『俺とスルーはなっ!』
村人も、俺も、初めて聞くヨルの大声に、目を見開く事しか出来ない。オポジットなんかは目だけではなく、開いた口が、そのまま閉まる事なく開き続けている。
普段のヨルの声は、よく言えば“落ち着いた声”であり、悪く言えば“小さく聞こえずらい声”だ。
『俺がこの村に来た時からっ!』
いつもはスンとした表情で、基本的に表情の動きの少ないヨル。ピシリと素敵な服に身を包み、髪の毛だっていつもしっかりと整えられている。肌は白く、その手には傷一つない。
否。“なかった”である。それらは全て、過去のヨルだ。
『お前とオブのように、仲が良いんだ!』
『っ!』
そう言って、インとオブがするように俺の手を取ったヨルの手は、日々の“試し”や“補正工事”で、傷が目立つようになっていた。俺は突然握られ、高くかざされた自分の腕に、最早、何が何だか分からなかった。
大声を上げるヨル。汗で髪の毛の乱れたヨル。服装も簡単に、乱暴に腕まくりされているヨル。日に焼けたヨル。
俺の手を握る、ヨル。
『えーっ!そうだったのー!知らなかったー!オブは知ってたー!?』
インが驚いた声を上げ、驚いた調子のまま、まるで隣に居るオブにも、遠くに居るかのように大声で尋ねている。そんなインにオブが、きっとウルサイとでも言っているのであろう。耳を塞いでいる。
『お父さーん!なんで教えてくれなかったのー!オトコ同士なのに、みずくさいなー!今日、ごはんの時に、色々教えてねー!』
——–じゃあ、行ってきまーす!
そうやって、インは言いたい事だけ言うと、俺達大人へと大きく手を振り、振り返る事なく走り去って行った。まったく、本当に子供という奴は自由なものだ。一体どうしてくれるんだ、この大人達の間に広がる妙な状況を。
それに――。
『……イン、水臭いなんて、一体どこで覚えてきたんだ』
俺は現実逃避の為に、そんなどうでも良い言葉を呟いてみる。
まぁ、答えなんて分かり切っている事だ。俺の手を掴み、腕を持ち上げたまま、耳を真っ赤にして、どうする事も出来ずにいる、俺の隣に立つ男の息子から教わったのだろう。
インは最近、何でもオブから教わってくるからな。
『す、するー』
まったく、こんなに顔を真っ赤にするくらい恥ずかしいなら、しなければいいのに。俺はチラと此方に目だけを向け、どうする事も出来ずにいる、ヨルの姿に苦笑するしかなかった。さて、どうしたものか。
そう、俺が思案した時だ。
『さて!なら今から、皆でスルーの家に、石と砂利の様子でも見に行くか!』
オポジットのカラっとした声が。皆の意識を持って行った。それと同時に、ヨルの腕が下ろされ、自然と俺の手から離れていく。
『そう、だな』
答えるヨルの声は、いつもの音量に戻っていた。あぁ、オポジット。今日ばかりはお前の、その無神経で、野蛮で、周囲の空気を一気に攫っていくモノ言いに感謝だ。
今日だけは、大好きだぞ!オポジット!
『わかった。まぁ……じゃあ、皆知ってるだろうが。行くか。俺の家に』
『おう!じゃあ、お前ら仲が良いみたいだから、さぁ!先頭を歩け!行け行け!』
『ぐっ』
前言撤回だ!やっぱりオポジットなんて嫌いだ!あの、悪気なんてまるでないニコニコ顔が、俺は、いっちばん性質が悪いと思う!
———スルー!お前の飼ってた兎!食い頃を逃すといかんと思って、捌いておいてやったぞ!
あぁ、もう!大嫌いだ!野蛮で明るくて、誰も差別しない!皆に平等なオポジットめ!お前は、昔っからそうだった!誰も話しかけてこない俺に、唯一、何でもない顔で話しかけてきやがって!
まったく!大嫌いだ!俺の兎さえ捌かなければ、大嫌いじゃないかもしれないのに!でも、結局、捌くから。大嫌いだ!
『そういえば、スルー!お前。まともな事も喋れるんだな!俺は驚いたぞ!』
『俺はいつもまともだ!?』
『あはは!そうか!全然気づかなかったな!』
『ぐぐぐ!』
俺とヨルは、オポジットに引っ張られ、若い衆の先頭に連れて行かれると、三人で並んで村を闊歩した。それはまるで、先程、走り去って行った、オブとイン、そしてフロムのようだな、と。俺は、そんな可笑しな事を思ってしまう。
『それに!お前も!まさか、あんな大声を出せるヤツだとは思わなかった!少し見直したぞ!』
『……もう、何も言うな』
ほら、野蛮だ。オポジットは、顔を真っ赤にしたまま俯くヨルの事などお構いなしに、ヨルの背中を勢いよく叩く。
ヨルの顔の横から首筋にかけては、まだ夏でもないのに、ダラダラと数滴の汗が零れ落ちている。加えて、汗のせいだろう。髪の毛もじっとり濡れて、顔に張り付いている。こりゃあ、川べりから砂利を運ぶ時に、水浴びをさせてやった方がいいのかもしれない。
『うわっ!びっくりした!』
『オポジット、今度はなんだ!』
まったく、うるさいヤツだ!そう、俺が叫ぶ声のする方を見てみれば、先程ヨルの背を叩いた手を、驚いた様子で見つめるオポジットの姿があった。
『ちょっ!背中がべちゃべちゃに汗で濡れてるじゃないか!?お前、この程度で、そんなに汗をかいていたら、今年の夏は何も出来ないぞ!』
急に叫び声を上げたオポジットの声に、俺と皆の視線が、ヨルの背中へと集中する。その背中は、白い服が汗で濡れて広い範囲で色が変わってしまっていた。
『っ言うな!?見るな!?』
『いや、言うなと言われても。今日はそんなに暑いか?まぁ、貴族だし、暑さには慣れていないんだろうな。ま、倒れないように気を付けろよ!』
『っく』
だから!オポジット!!
お前は本当に余計な事ばかりを言うヤツだな!まったく!まったく!ヨルのこの真っ赤な顔を見て見ろ!更に流れる汗を見て見ろ!可哀想じゃないか!
『俺は、お前が大嫌いだっ!オポジット!』
そう、真っ赤な顔で最後に叫んだのは、俺ではなくヨルだった。