そう、夜とは全く違うのだ。
俺は気にしないフリをしながら、いつも皆の真ん中に居るヨルを見ていた。今まで皆の輪の中に入れない事なんて、あんまり気にした事もなかったのに。
いつもの光景の中に、ヨルが入り込んだだけで、俺は普段は何も感じない腹の底の部分が、少しだけ震えるのだ。
『……お前が、勝手に遠くに居るんだろう』
『そうだな』
そう、言われてしまえば返す言葉もない。確かに、俺が勝手にヨルから離れているのだから。けれど、俺は“そう”しなければ、ダメなのだ。
なにせ、俺は“変わり者”だから。
そう、俺は目を伏せる事で、ヨルから目を逸らした。すると、俺の耳に『まったく、強情な』と、ヨルの呆れたような声が聞こえてくる。
『なぁ、スルー。お前から見て、他の村人と、俺の関係はどう見える』
『……若い奴らとは仲良しだな。……まぁ、老いぼれ連中とは、そうでもないけど』
特にオポジットとは仲良しだ。先に俺の方がヨルと仲良くなったのに、昼間はオポジットとの方が仲が良いように見えるのだから、物凄くたまらない気分になる。オポジットはすぐに誰とでも仲良くなるのだから、本当にズルいと思う。
ヨルは、俺だけのヨルだったのに。
『……オポジットとは、一番仲良しだよな』
そう、口に出した瞬間。俺の腹の底の震えに、少しの炎が足された気がした。
これは、なんだろう。
『まぁ、そうだな。アイツはお前同様、偏見が少ない。お前への態度を見て、最初に切り崩すなら、まずはコイツだと思ったんだ』
『切り崩す?』
俺は、ヨルの口から出てきた、あまり人に使う言葉ではないソレに、思わず首を傾げた。
『ヨルは、山でも切り拓くのか?』
『あぁ。確かにそうかもしれない。俺にとって村人達は“山”と同じだ。急な傾斜を切り崩し、自分の立っている場所まで切り拓く為の対象。それが俺にとっての“村人”だ』
『村人……』
そう、それは先程、ヨルが俺を呼びかける時に口にした呼び名だ。いや、それは“名”ではない。ただの大きなまとまりを指す言葉だ。もしかして、ヨルにとって“村人”は、ただの“山”と同じなのかもしれない。一人の“人”ではないのだ。
だからか。俺がヨルに“村人”と呼ばれた時に、物凄く嫌な気持ちがしたのは。
『オポジットや村の若い連中は若い分、思考も柔軟で変化に対応できた。まぁ、そうだな。山で言う所の、山裾みたいなモノだな。斜面はなだらかで、土も柔らかく掘り起こしやすい。そうだな。言ってしまえば、俺は今、山裾を平らに切り拓いたところだ』
『ふふっ。そうか。確かにそうかもな。ヨルは上手に鍬を使って、裾を切り崩したのか』
俺はヨルが鍬を持って、斜めだった傾斜をゆっくりゆっくり堀進めている様子を想像した。その、余りに似合わない姿に、俺は笑うのを止められなかった。
そうか、ヨルは山を切り拓いて、平らにしたいのか。そうか。そうか。
『ただ……そうだな。お前の言うように、村の年寄り達。あの層の切り崩しは、なかなか難しい。なにせ“変わる事”そのものを、もう彼らは望んではいないからな』
『確かにそうかもな。アイツらは、もう死ぬ直前だから、凄く頭が固い!ガチガチだ!』
『まったく。お前の年寄りへの言葉選びは、本当に容赦がないな……分からんでもないが』
そう言って、ヨルも少しだけ笑った。あぁ、そうか。ヨルも同じように思っていたのか。きっとヨルの事だ。山を平らに拓く為に、あの老いぼれにも、何度も話し合いをしに行ったに違いない。
けれど、今の老いぼれや、年より達の様子を見るに、あの層が拓けたとは思えない。あそこは、土というより、もう岩だ。この俺達の座っている、この大岩のようなもの。
『ヨル。あの老いぼれも、いずれは死ぬ。だから、あんな奴の事は、気にしなくていい』
『……スルー』
未だに年寄り達は、若い連中がヨルと連れ立って歩くのを見て、陰で色々と言うのだ。だからこそ、やっぱり俺は近くに居るべきではない。
今日だって、ヨルが大声で叫んだ時。年寄り達は良い顔をしていなかった。もうすぐ死ぬ奴らだけれど、面倒は避けるに越した事はないのだから。
『スルー。確かにそうだ。だから、俺もお前の言うように、あの層は一旦据え置く事にした』
『据え置く必要なんかない。置いていけ。あんな奴ら』
『いや、据え置く。けれど、アイツらもいずれは勝手に俺の元まで下りてくるだろう』
ヨルはどこか確信めいた表情で、口元に薄く笑みを浮かべた。ヨルはたまに、この顔をする。この顔は、ヨルが沢山の“試し”遊びをして、たくさん文字を書いている時だ。ヨルの中で、何かが“分かった”時。俺達の予想が“本当”だと確信の持てた時。
そんな時、ヨルはこの『俺の前には敵など誰も居ないんだ!』とでも言うような、物凄く不敵な笑みを浮かべるのだ。
『スルー。変化を望まない奴らに、いくら“変化”の先にある、魅力的な世界を語ったところで仕方のない事だ。だから、俺はアイツらを説得するのは止めた。俺は、アイツら全員を”変化の後の世界”まで、連れて行ってやる事にしたのさ』
『変化の後の、世界?』
『そうだ。村が豊かになり、人が死ななくなり、疾風も冬も恐れずに、安心して暮らせる環境。人は、一度“そう”なっては、もう、誰がどんなに変化を拒もうと、過去へ戻る事は出来ない。人は、前にしか進めないのだから。だからな、スルー。俺はこの村に、』
———土砂崩れを起こすぞ。
『っ!』
土砂崩れ。俺達は山肌から土砂崩れを起こさないようにと奔走していたのに、ヨルは心の中では、逆に土砂崩れを起こそうとしていたらしい。
『ヨル、ヨル……お前って』
『なんだ?スルー』
ヨルがニヤリと笑って俺を見る。いつの間にか離れていたヨルに、俺の方からソロソロと近寄って行く。俺の目の前に、ヨルが居る。ヨルが居る!
先程まで、腹の底が震えたり、炎が燃えたりと忙しかったのに、もう今の俺には、そのどちらでもないモノがあった。
『お前って、物凄く』
俺の腹の底は、たくさんの花が咲き乱れ、俺はそこで思い切り踊っていた。あぁ、ワクワクする。なんだ、この気持ちは。
『変わってるな!』
俺はヨルを見て、ハッキリと思った。切り拓けないと分かったら、人って諦めるじゃないか!あんな奴ら放っておこうと。どうせ、いつか死ぬ奴らだって!
けれど、ヨルは違った。放っておいて、死ぬのを待つんじゃなくて、山の裾をどんどん削って、最後には土砂崩れを起こす。そうして勝手に落ちて来るのを、待とうというのだ!
『っはは!お前にそんな事を言われる日が来ようとはな』
『だって!だって!普通はそんな事、思いつかない!考えない!勝手に落ちてくるのを“待つ”なんて、そんな!』
『ああ。俺は、じっくり“待つ”のは得意な男だからな』
『あははっ!ヨルは変わり者だ!』
俺は嬉しくなって、大岩の上をグルグルと回った。踊りたくなったのだ。居ても立ってもいられない。なにせ、ヨルも、俺と同じ“変わり者”だったのだから!