54:金持ち父さん、貧乏父さん(54)

 俺だけに向けられた「ヨル」の声が聞こえる。

 

——–スルー、早く来い。

 

 俺の心を高鳴らせる声が、俺の耳にスルリと入り込んで来る。あぁ、なんて素敵な声なんだ!

 この声を聞いた瞬間、まるで、俺の周囲が夜のような静けさに包まれたような気がした。

 太陽は高く、日差しは強い。今も俺の背には、しとり、しとりと汗が流れ散っているというのに。

 

  今は、夜だ。

 

『っヨ』

——–ヨル!

 

そう、俺がその高鳴りのまま、心のままアイツの名を呼び、その身を風のように駆けださせようとした時だった。

 

『おいっ、スルー!お前の声はうるさいんだ!ずっと広場の方にまで声が響いてきていたぞ!』

 

 ヨルの隣から、野蛮で邪魔な男の声が、勢いよく俺の耳をつんざいた。そのお陰で、俺は首根っこを引っ掴まれ、無理やり夜から昼間へと引き戻されたような感覚に陥る。まるで崖から背中を押されて、谷底におっこちたような気分だ。

 まぁ、実際に落ちた事がないので分からんが、きっとこんな気分なのだろう。

 

『……オポジットめ』

 

 あぁ、分かっていた。分かっていたさ。今が、夏を間近にした真昼間である事など、俺は忘れちゃあいなかったさ。ただ、ヨルが昼間の「ザン」をしている時なのに、まるで「ヨル」みたいな顔をするもんだから、嬉しくなって、つい我を忘れかけただけだ。

 

『オヤジだ!』

『お、お父様……』

 

 俺の後ろからは、それぞれの父親の姿を目にした子供達が、それぞれの反応を見せている。

 

フロムはと言えば、まぁ嬉しそうだ。コイツは自分の父親の事を、なぜか、こんな野蛮な男にも関わらず、とてつもなく尊敬しているようなのだ。

 まったく!確かにオポジットは、人望もあって、器も広く、行動力のある男だが、俺はちっとも尊敬したいなんて思わない!なにせ、俺の兎を毎度毎度、飽きもせず勝手に捌いて食うのだから!

 

『ぐぅ』

 

 今はヨルの家でかくまってもらっているから、食われずに済んでいるが、もしヨルが守ってくれなかったら、もう既に食われていたかもしれない!あぁ、いやだ。いやだ!

 

『お前なんか嫌いだ!野蛮なオポジットめ!お前はあっちへ行け!』

『なんだ、藪から棒に。急に意味が分からん』

『意味わかれ!自分の心に聞け!』

『おい、フロム。あんまりスルーが暇そうだからって、遊んでやる必要はないぞ。コイツは暇そうに見えて、実はやる事があるんだ』

『急に無視か!?』

 

 そう、オポジットが、まるで俺の言葉など聞こえていないかのように、急にその視線を息子のフロムへと向けた。声をかけられたフロムはと言えば、俺の方へとジトッとした視線を残しつつ、勢いよくオポジットの方へと駆け出して行く。

 

『オヤジ!コイツ、嘘つきなんだ!石を拾ってやった礼に、何でも願いを叶えてやるって言った癖に、ニアを渡そうとしない!怒ってくれ!』

『おうおう、落ち着け。フロム。毎度言ってるだろう。ニアは俺がスルーを投げ飛ばしてでも、必ず嫁に貰って来てやるってな!』

『そうだけど……』

 

 投げ飛ばす!?今、オポジットは何と言った!

ニアを嫁に取る為に、俺を「投げ飛ばす」と言わなかったか?婚姻に掛かる両家の話し合いで、婿の親が、嫁の親を投げ飛ばすなんて、そんなの聞いた事もない!

 

『どうせ貰えるのに、わざわざコイツからの礼に、ニアを要求する必要はない!もったいない事をするな!フロム!』

『っ!確かに!さすがオヤジだ!その通りだった!』

『何か貰えるんだったら、どうせなら兎を貰って来い!コイツの家の兎は、まるまると太ってて野生のヤツより美味いからな!』

『おぉっ!うさぎ!いいな!』

 

 野蛮な親子の、野蛮な会話がどんどん嫌な方向へと進む。

 俺はニアの未来と、兎の未来が同時に、この野蛮な親子の手へと渡ってしまう恐怖に震えた。ニアと兎を、こんな野蛮な家に取られる訳にはいかない!

 

『何を勝手な事を!絶対にニアも兎も、お前らには渡さん!』

 

 もし、そんな事になったら、女の子のニアまで野蛮に……母親である、ヴィアみたいに、森中の動物を射殺す力に目覚めるかもしれん!ニアは、今の所、見た目しかヴィアに似ていない。ニアはこのままでいいんだ!

ここは父親の俺が守らねば!

 

『お、俺は!何度投げ飛ばされても、ニアと兎を守るぞ!あと、兎も今はもう家には居ない!諦めろ!シッシッ!この野蛮人共めっ!』

『なぁに、大丈夫だ。お前を投げ飛ばしている間に、ニアは貰って行くからな』

『婚姻の話し合いを何だと思ってるんだ!俺は足が速いからすぐに戻って来るからな!俺が居ない間は、インがニアを守るから大丈夫だ!』

——な!?イン?

 

 そう、俺が傍に立つインに声を掛けてみれば、インはキョトンとした表情で俺を見上げてくる。そして、そのままインは、何かを考えるように、視線を巡らせ、チラと隣に立つオブを見ると、何かを思い出したように、その表情を一気に明るくした。

 

 そして、満面の笑みを浮かべながら、インは言ってのける。

 

『ムリだよ!』

『えっ……!』

 

 え?今、インは何と言った?無理?無理と言ったか?しかも、物凄い笑顔で?ちょっと、俺は父親にも関わらず、現在インが何を考えているのか、一切分からないのだが!

 

『ムリだよ!』

『にっ、二回も言った!なんでだ!何故無理なんだ!言ってみろ!イン』