『スルー、お前、いい加減子離れしろ。いつまで子供みたいな事を言ってるんだ』
『そうだぞ!ニアは俺がお嫁に貰うけど、お前は一緒には貰ってやらないからな!』
あぁ、うるさい!うるさい!誰がお前らのような野蛮な家族の仲間になど入るか!
子供達が巣立った後の親の役目とはなんだろう。俺が少しだけ体中の傷痕から、幻の痛みを感じ始めた時だ。俺の心に更なる追い打ちがかけられた。
『本人もこう言っている事だし、インはオブが貰うという事でいいか?スルー』
『……』
ヨルの楽しそうな声が、俺の耳をつく。そうだ、このヨルも、次の次の秋には首都に帰ってしまうのだ。
ヨルが帰って、インがオブと首都に行き、ニアはフロムに貰われて行く。ヴィアは自分が望む場所へと帰っていく。そうしたら、もう、俺は完全に一人になるんだろう。
村で、最後に一人。そう、そうだ。あの老いぼれがそうであるように。子供の巣立った親の役目とは、後は黙って死ぬ事だ。
『スルー?』
『……まったく、自然とは厳しいものだな!』
俺はヨルに向かって、笑ってみせた。いつも通りに笑えているとは思うが、ともかく今の俺は、腹の奥底にぽっかりと穴が空いたような気分だ。
『本当に、厳しい』
死ぬまで、俺はどう生きようか。そんな事を考えてしまう人間という生き物は、本当に面倒臭い生き物だ。野生の動物達は、そんな事を考えたりはしない。そんな余裕はないからだ。だから、必死に生き、そして死ぬ。
『ほら!お前らさっさと遊んで来い!子供なんてあっと言う間に終わるぞ!』
『あぁっ!コイツ、話を逸らしやがった!ニアも兎も絶対に貰うからな!』
『うるせぇ!しつこいぞ!フロム!』
俺はフロムとオポジットに向かって舌を突き出してやると、フイと視線を二人から逸らした。大っ嫌いだ。俺からニアを取るこいつらなんか、本当に大嫌い!でも、ニアがインのように「フロムとずっと一緒が良い」と言う日が来れば、もう誰にも止められない。
そして、それは、きっとそう遠い未来ではないだろう。
『ほんと、女の子は流れ星みたいに一瞬で大人になるからな。困ったもんだ』
『流れ星?』
俺は地面に置いていた、肩紐の部分の壊れた籠を両手で抱えて持ち上げると、俺の傍に立つインを見下ろした。インは、その大きな目でジッと俺の事を見上げてくる。『流れ星って、何の事?』と、その目は、言葉はなくとも、ありありと俺に伝えてくる。
『流れ星は、流れ星だ!他に何がある?』
『…………』
その何も知らない、これから何でも知っていく幼い顔が、なんとも羨ましい。
『ほら、イン!遊んで来い!崖の方はダメだが、あとは好きな所に行って来い!』
『崖以外なら行っていいの?』
『あぁ、崖と……そうだな。他の危ないところ以外なら、好きにしろ』
子供はいつか巣立つ。それが自然というものだ。好きにしろ、と言わずとも好きにするのが子供。俺もそうやって好きに生きて来た。
『うん!好きな所に行ってくる!行こう!フロム、オブ!』
『今日はどうする?また大人薬か?』
『シッ!それは大人の前では内緒でしょ!』
『イン、服に砂が付いてる』
『オブも付いてる!取ってあげるね!』
そう、各々が好きな事を言いながら俺達の元から駆け出して行った。残った大人達は、それぞれの担う“役割”へ戻る時間だ。
『さて、ほら!ザン!オポジット!俺はこんなに石を集めてきたぞ!早く街道の補正に行こう!』
俺の言葉に『そうだな』と、広場に向かって歩き始めたオポジットの後を、俺は付いて歩く。しかし、その歩みはすぐ傍に立っていたヨルの声によって、止められた。
『スルー』
その声は、やっぱり昼間なのに“ヨル”の声だ。今は昼間。勘違いするなよ。スルー。
『どうした?ザン』
俺は、きちんと間違えずにヨルを“ザン”と呼べた。勘違いしてはいけない。今は昼間で、此処に居るのはヨルではない。みんなの“ザン”だ。
『スルー、お前』
『ん?』
ヨルが少しだけ眉を顰めて、俺の事を見てくる。一体どうしたと言うんだ。ヨルは一体、俺に何を伝えたいのだろう。
『おーいっ!お前ら!遅いぞー!早いトコ道の補正に入らんと、すぐに疾風が来てしまう!』
ヨルの言葉を待つ俺の耳に、オポジットの声が届く。あぁ、そうだ。まだ夏に入ったばかりとは言え、疾風がいつやってくるかは、さすがの俺でも予想がつかない。なにせ、自然だ。なにもかも予想通りと言う訳にはいかない。
『いま行くー!』
『……』
『ザン、そろそろ行こうか』
『……あぁ。いや』
ヨルは未だ何か言いたげな表情で、俺の方を見ていた。向こうでは、オポジットや他の若い衆達が既に集まっている。皆、“ザン”を待っているのだ。早く、ザンを皆の元へと連れて行かねば。
そう、思うのに俺の足は前へと動かせない。そりゃあ、そうだ。俺はこの男の“こうしんりょく”なのだから。俺だけ先に行く事は出来ない。
『……スルー、俺は』
『ん?』
『……』
俺を名を呼ぶヨル。けれど、俺が耳を傾けても、ヨルは口ごもるだけで、何も口にしてはくれない。どうしたのだろう。もしかして、“ザン”だと言いにくい事なのだろうか。
そうかもしれない。それならば――。
『“ザン”だと勇気が出ないか?ヨル』
『っ!』
『だったら、夜だったらいいんじゃないか。ヨルだったら』
そう、夜ならば。ヨルならば。
『勇気が出るんじゃないか?』
『!』
俺は誰にも聞こえないような、俺にしてはとても小さな声で。ヨルにだけ聞こえるように言った。すると、その瞬間、ヨルはその切れ長の目を、大きく見開くと、次の瞬間。まるで、子供のように、何も言わず大きくコクンと頷いた。
あぁ、なんて可愛いんだろう!両手籠でが塞がっていなければ、俺は間違いなく、周囲の目など気にせず抱きしめていた事だろう!
『まったく、この籠さえなければな』
『……何がだ?』
『何でもない。そろそろ、行こう。ザン』
『あぁ』
俺は今度こそ、ヨルと共に歩みを進めると、俺達二人は、並んで村人達の元へと向かった。大人には、それぞれ課された“役割”がある。時には、それが邪魔をして心のままに振る舞えない事が、山のようにある。
今も、俺はインとオブのように手を繋ぎたい気分なのだが、籠が邪魔でそうは出来ない。
その役割から解放されるのは、夜だ。俺達には夜しかないけれど、俺達には夜がある。
『早く、夜にならないかなぁっ!』
俺はを持ったまま、くるりとその場で回ってみせた。