56:金持ち父さん、貧乏父さん(56)

 

『スルー、お前、いい加減子離れしろ。いつまで子供みたいな事を言ってるんだ』

『そうだぞ!ニアは俺がお嫁に貰うけど、お前は一緒には貰ってやらないからな!』

 

 あぁ、うるさい!うるさい!誰がお前らのような野蛮な家族の仲間になど入るか!

 子供達が巣立った後の親の役目とはなんだろう。俺が少しだけ体中の傷痕から、幻の痛みを感じ始めた時だ。俺の心に更なる追い打ちがかけられた。

 

『本人もこう言っている事だし、インはオブが貰うという事でいいか?スルー』

『……』

 

 ヨルの楽しそうな声が、俺の耳をつく。そうだ、このヨルも、次の次の秋には首都に帰ってしまうのだ。

 ヨルが帰って、インがオブと首都に行き、ニアはフロムに貰われて行く。ヴィアは自分が望む場所へと帰っていく。そうしたら、もう、俺は完全に一人になるんだろう。

 

村で、最後に一人。そう、そうだ。あの老いぼれがそうであるように。子供の巣立った親の役目とは、後は黙って死ぬ事だ。

 

『スルー?』

『……まったく、自然とは厳しいものだな!』

 

 俺はヨルに向かって、笑ってみせた。いつも通りに笑えているとは思うが、ともかく今の俺は、腹の奥底にぽっかりと穴が空いたような気分だ。

 

『本当に、厳しい』

 

 死ぬまで、俺はどう生きようか。そんな事を考えてしまう人間という生き物は、本当に面倒臭い生き物だ。野生の動物達は、そんな事を考えたりはしない。そんな余裕はないからだ。だから、必死に生き、そして死ぬ。

 

『ほら!お前らさっさと遊んで来い!子供なんてあっと言う間に終わるぞ!』

『あぁっ!コイツ、話を逸らしやがった!ニアも兎も絶対に貰うからな!』

『うるせぇ!しつこいぞ!フロム!』

 

 俺はフロムとオポジットに向かって舌を突き出してやると、フイと視線を二人から逸らした。大っ嫌いだ。俺からニアを取るこいつらなんか、本当に大嫌い!でも、ニアがインのように「フロムとずっと一緒が良い」と言う日が来れば、もう誰にも止められない。

 そして、それは、きっとそう遠い未来ではないだろう。

 

『ほんと、女の子は流れ星みたいに一瞬で大人になるからな。困ったもんだ』

『流れ星?』

 

 俺は地面に置いていた、肩紐の部分の壊れた籠を両手で抱えて持ち上げると、俺の傍に立つインを見下ろした。インは、その大きな目でジッと俺の事を見上げてくる。『流れ星って、何の事?』と、その目は、言葉はなくとも、ありありと俺に伝えてくる。

 

『流れ星は、流れ星だ!他に何がある?』

『…………』

 

 その何も知らない、これから何でも知っていく幼い顔が、なんとも羨ましい。

 

『ほら、イン!遊んで来い!崖の方はダメだが、あとは好きな所に行って来い!』

『崖以外なら行っていいの?』

『あぁ、崖と……そうだな。他の危ないところ以外なら、好きにしろ』

 

 子供はいつか巣立つ。それが自然というものだ。好きにしろ、と言わずとも好きにするのが子供。俺もそうやって好きに生きて来た。

 

『うん!好きな所に行ってくる!行こう!フロム、オブ!』

『今日はどうする?また大人薬か?』

『シッ!それは大人の前では内緒でしょ!』

『イン、服に砂が付いてる』

『オブも付いてる!取ってあげるね!』

 

 そう、各々が好きな事を言いながら俺達の元から駆け出して行った。残った大人達は、それぞれの担う“役割”へ戻る時間だ。

 

『さて、ほら!ザン!オポジット!俺はこんなに石を集めてきたぞ!早く街道の補正に行こう!』

 

 俺の言葉に『そうだな』と、広場に向かって歩き始めたオポジットの後を、俺は付いて歩く。しかし、その歩みはすぐ傍に立っていたヨルの声によって、止められた。

 

『スルー』

 

 その声は、やっぱり昼間なのに“ヨル”の声だ。今は昼間。勘違いするなよ。スルー。

 

『どうした?ザン』

 

 俺は、きちんと間違えずにヨルを“ザン”と呼べた。勘違いしてはいけない。今は昼間で、此処に居るのはヨルではない。みんなの“ザン”だ。

 

『スルー、お前』

『ん?』

 

 ヨルが少しだけ眉を顰めて、俺の事を見てくる。一体どうしたと言うんだ。ヨルは一体、俺に何を伝えたいのだろう。

 

『おーいっ!お前ら!遅いぞー!早いトコ道の補正に入らんと、すぐに疾風が来てしまう!』

 

 ヨルの言葉を待つ俺の耳に、オポジットの声が届く。あぁ、そうだ。まだ夏に入ったばかりとは言え、疾風がいつやってくるかは、さすがの俺でも予想がつかない。なにせ、自然だ。なにもかも予想通りと言う訳にはいかない。

 

『いま行くー!』

『……』

『ザン、そろそろ行こうか』

『……あぁ。いや』

 

 ヨルは未だ何か言いたげな表情で、俺の方を見ていた。向こうでは、オポジットや他の若い衆達が既に集まっている。皆、“ザン”を待っているのだ。早く、ザンを皆の元へと連れて行かねば。

 

 そう、思うのに俺の足は前へと動かせない。そりゃあ、そうだ。俺はこの男の“こうしんりょく”なのだから。俺だけ先に行く事は出来ない。

 

『……スルー、俺は』

『ん?』

『……』

 

 俺を名を呼ぶヨル。けれど、俺が耳を傾けても、ヨルは口ごもるだけで、何も口にしてはくれない。どうしたのだろう。もしかして、“ザン”だと言いにくい事なのだろうか。

 そうかもしれない。それならば――。

 

『“ザン”だと勇気が出ないか?ヨル』

『っ!』

『だったら、夜だったらいいんじゃないか。ヨルだったら』

 

 そう、夜ならば。ヨルならば。

 

『勇気が出るんじゃないか?』

『!』

 

 俺は誰にも聞こえないような、俺にしてはとても小さな声で。ヨルにだけ聞こえるように言った。すると、その瞬間、ヨルはその切れ長の目を、大きく見開くと、次の瞬間。まるで、子供のように、何も言わず大きくコクンと頷いた。

 あぁ、なんて可愛いんだろう!両手籠でが塞がっていなければ、俺は間違いなく、周囲の目など気にせず抱きしめていた事だろう!

 

『まったく、この籠さえなければな』

『……何がだ?』

『何でもない。そろそろ、行こう。ザン』

『あぁ』

 

 俺は今度こそ、ヨルと共に歩みを進めると、俺達二人は、並んで村人達の元へと向かった。大人には、それぞれ課された“役割”がある。時には、それが邪魔をして心のままに振る舞えない事が、山のようにある。

 

 今も、俺はインとオブのように手を繋ぎたい気分なのだが、籠が邪魔でそうは出来ない。

その役割から解放されるのは、夜だ。俺達には夜しかないけれど、俺達には夜がある。

 

『早く、夜にならないかなぁっ!』

 

 俺はを持ったまま、くるりとその場で回ってみせた。