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時間は少し前に遡る。
俺は子供達を見送った後、何か言いたげだったヨルの言葉を夜に聞くのを楽しみに、一生懸命働いた。何度も、何度も川べりから砂利や小石を拾っては、荷車で運ぶ。まだまだ、夏の盛りではないのに、やはり街道の補正は一仕事だった。
村での畑仕事とは、全然違う。
少し動いただけで、体中を伝う大量の汗に、村の若い衆達は途中、何度も川で体を洗い、涼んでいた。確かに、夏だし、濡れてもすぐ乾くので問題はない。
そんな男達の中にあって、ヨルだけは違った。
ヨルは人前で肌を晒す事に抵抗があるようで、若い衆達が水浴びをしている間も、仕事の手を休める事はなかった。そういえば、以前、俺がヨルと共に、ヨルのお屋敷にある“おふろ”に入れて貰った時も、常にタオルで前を隠していた。その時は、どうしてそんなに必死に隠そうとするのか、と俺は不思議に思ったものだった。
けれど、今回は俺も同じだ。
俺は何度も涼し気な川の誘惑に負けそうになったが、如何せん、俺の体は傷や痣などが体中の至る所にあり、非常に見苦しい。故に、これまでも、俺は人前で水浴びをする事は殆どなかった。その為、川に少しだけ足をつけるだけで我慢をして、ヨルと共に必死に砂利を運び続けたのである。
俺が荷車を引き、ヨルが後ろからソレを押す。ガタつく道だと、本当に荷車一つ押すのも一苦労だ。
『あついなぁっ、ザン』
『あぁ、そうだな。……今にも倒れそうだ』
『ははっ、俺もだ』
そう、二人で意味のない声かけをし合いながら、互いに顔を見合わせる。大量の汗と、砂や泥まみれの体は、不愉快極まりないのに、どうしてかヨルと一緒なら、そんなキツい作業も、全然辛くなかった。
むしろ、楽しいくらいだった。
『なぁっ、ザン』
『なんだ、スルー』
『あとで、一緒に川で水浴びをしないか?』
『……』
『……あぁ、そういえば。ザンはお屋敷に“おふろ”があったな』
俺はヨルを水浴びに誘ってみたが、何も答えないヨルに、ハタと思い出した。そういえば、以前ヨルのお屋敷には“おふろ”という温かい川があるのだ。そうだ、ヨルは毎日アレに入るから、川に入らずとも綺麗になれるのだ。
俺も一度、入らせて貰った事があったが、あれは非常に気持ちが良かった。
『ならば、終わったら一人で行くか』
さすがに、こんな汚いままでは不愉快だし、今夜もヨルとめいっぱい踊ったり歌ったり、喋ったりするつもりだ。汚いままは嫌だ。少しでも綺麗にしておかないと。
そう、俺が思った時だ。ガタリと荷車が揺れた音に紛れて、くぐもったような音が聞こえた気がした。
『ん?』
俺は、何か車輪に引っかかったのかと荷車を止め、後ろを振り向く。そこには、荷車の背に手をかけたまま、俯くヨルの姿があった。車輪には問題がない。どうやら、あの音は、ヨルが何かを言った声だったようだ。
『何か言ったか?ヨル』
『……』
『え?なんだって?』
俺が再びヨルへと声を掛ける。すると、黙っていたヨルの口から、モゴモゴと何かを言う声が、今度はハッキリと聞こえた。
『わ、かった』
『わかった?何がだ?』
『……お前が言った、のだろう。川へ入ろう、と』
『……あぁっ!』
この時になって、やっと俺はヨルが何に対して『わかった』と口にしたのか分かった。ヨルは何かを“理解”したのではない。ヨルは俺に“了承”したのだ!
『そしたら、終わったらすぐに一緒に川へ行こう!誰も来ない場所を、俺は知ってるんだ!』
『……誰も来ない、だと』
『そうだ!ほら、お前は知っているかもしれないが、俺の体は、あんなナリをしているだろう?だから、余り人に見られないように水浴びをする為に、秘密の場所があるんだ!そこを、特別にヨルにも教えてやるっ!』
嬉し過ぎて、俺は思わず“ザン”ではなく“ヨル”と呼んでしまった。それくらい、俺は、ヨルが俺の誘いを受けてくれた事が嬉しかったのだ。
でも、まぁ今のは“大丈夫”な事にした。だって、ここには俺とヨルしか居ないのだから。俺だけの“ヨル”が、他の奴に取られる心配はない!
『一緒に水浴び、楽しみだな!ヨル!』
『……あ、あぁ』
余り嬉しそうではない、唸るようなヨルの返事に、けれど俺は一切気にしてやらなかった。今更、やっぱりお屋敷のお風呂に入ると言っても、俺は許してやらない。無理やりにでも、俺の秘密の水浴び場に、ヨルを連れて行くと決めたのだ。
『ふふふ』
この時の俺は、ともかく幸福だった。心の中に、たくさんの黄色の花が咲き乱れたような気分だったのだ。昼間はヨルと水浴びをして、夜はヨルから昼間に聞けなかった話を聞く。それに、きっと、こうして休まずに頑張っているのだ。
——–よくやったな。スルー。
きっと夜は、ヨルが思い切り褒めてくれるに違いない。
そう、この時までは本当の本当に楽しくて、幸せで、元気だったのに。
事件はこの後。広場で皆を集めたヨルが『今日の作業はここまでにしよう』と口にした所から、全ては始まったのだ。
さぁ、今からヨルを俺の秘密の水浴び場に連れていかねば、と意気込んだ時。『おいっ!あれ!』という、誰かの焦ったような声がするのを聞いた。
俺は一体何事かと逸る心を他所に、ふと声のする方向を見た。
『っ!』
俺の目に飛び込んで来た光景は、それはもう、見事に俺の心を崖の底まで落っことした。
そこには、体中傷だらけのインと、いつも身綺麗にしているオブの服までもがボロボロになっている姿があった。
ここから、俺の意識は少しぼんやりとし始めた。まるで、俺が俺ではないような。そんな、地に足の付かない。宙に浮いたような感覚だった。
俺の隣に立っていたヨルも、これまで見た事がない程ボロボロになった息子の姿に、ゴクリと息を呑んでいる。次いで聞こえてきたヨルの『オブ』と言う、震える声に弾かれ、俺は勢いよくその場を駆けだした。