『イン、答えろ。どうして約束を破った』
静かで、冷たい俺の声が、広場に響く。
その声が響き渡ると同時に、俺に殴られ、蹲るインの下へ、オブが駆け寄ろうとした。その姿に、俺はまたしても心の中がゴウゴウと吹雪いて、より一層冷たくなるのを感じた。
『オブッ!』
『っ!』
そう、そうだ。きっと“イン”が死の歌に誘われた時も、こうしてオブは、後先など考えず、インの後を追ったに違いない。そして、何の躊躇いもなく手を伸ばした。それが、どれだけ愚かな事かを、このオブにも教えておかなければならないのだ。
『オブ、行くな』
『……な、んで』
震えるオブの声がする。オブは怯えている。そりゃあそうだろう。大の大人が自分に対して、拳を作って怒鳴っているのだ。恐怖して当然だ。俺は“その”恐怖を、よく知っている。
『今回の件で、最も愚かな事をしたのは誰だか分かるか。オブ』
『別に、インは、悪くな、』
この状況下にあり、オブは未だに俺へと視線を向ける事はない。オブは足こそ立ち止まっているが、その意識は完全にインへと向けられている。俺に殴られ、殴られた顔に手を当て、顔を上げる事なく、静かに俯くインへ。正直、インの事だ。殴った瞬間に大泣きするかと思った。
俯いている為、表情こそ窺い知る事は出来ないが、それでもインはただ静かだった。静かだからこそ、オブはすぐにでもインに駆け寄って、その肩を抱いてやりたいに違いない。
『大丈夫?』と優しく声をかけ、『アイツは酷いヤツだ』と、俺を罵ってやりたいだろう。
けれど、優しくあるだけでは守れないのだ。
『インは、何も……悪くない。俺が、勝手に』
『そうだ、その通りだ』
『え』
『今回の件で、最も愚かな事をしたのは、オブ。お前だ』
余りにも予想外だったのか、オブはその時になってようやく俺の方を見た。俺を見て、その黒々とした瞳を揺らす。その顔は、本当にヨルそっくりで、俺は本当に堪らなくなった。
今から言う言葉は、俺からオブに向ける言葉であり、インに言い聞かせる言葉でもある。そして、同時にコレは――。
『オブ。ここで誓え』
——-ヨル、誓ってくれ。
『な、なにを』
俺は戸惑うオブの隣を通り過ぎながら、蹲るインの元へと歩を進めた。そして、静かに此方を見守る村人達の方へと振り返る。いつの間にか、村の広場には、若い男達だけでなく、騒ぎを聞きつけてやってきた、女の人達や、年寄り達も居る。
たくさんの人が俺を見ている。
そして、その中には、もちろんヨルも居た。だから、ほんの一瞬だけ、俺は視線をヨルへと向けた。
——–ヨル、聞いてくれ。
ほんの一瞬だったにも関わらず、ヨルと俺の視線はバチリと重なりあった。その、静かな瞳に映る俺は、一体どんな風だろう。
俺は、これからオブやインに宛てた言葉を、同時にヨルにも向けるのだ。
『もし、また今日のように、インが危険な目にあっていたら、』
———もし、俺が同じような目にあっていたら、
『……』
俺は、分かっているのだ。
インがオブに大切にしてもらっているように、俺もヨルに大切にしてもらっているという事が。そして、俺を見つめるヨルは、危険の中、躊躇いなくインに手を差し伸べたオブの、父親だ。
『躊躇わず、』
『……』
足元に蹲るインが、傍に近寄った俺に気付き、肩を揺らす。肩を揺らしながら、既に真っ赤に腫れあがったその頬を隠す事なく、俺の方を見上げてきた。
『見捨てろ』
『っ!』
オブの息を呑む声が聞こえる。あぁ、俺は大層酷い事を口にしているな、と他人事のように思う。その、俺の静かな声は、本当に冷たくて、聞いていて俺がヒリヒリした。隣で俺を見上げていたインの瞳が、ユラリと揺れる。『どうして』と、大きな瞳が問うている。
『なん、で』
声の出せないインの心を代弁するように、オブが口にする。
聞け、イン。聞け、オブ。聞け、ヨル。
心の中で言葉を向けるべき人達に、必死に伝える。聞け、聞いてくれ。頼むから。分かってくれ。
そう、懇願するように。
『俺は、何度も、何度も。インやニアには伝えて来た。あの崖には絶対に“近寄るな”と。なぁ、そうだったよな。イン?』
『……ぅ、ぁ』
俺は大きく揺れ始めたインの瞳を見つめ、追い打ちをかけるように口にした。どうやら、俺に殴られた拍子に、口を切ってしまったようで、ハクハクと必死に呼吸をするたびに、口の端に赤い血が滲むのが見えた。
殴られて痛いだろう。俺が怖いだろう。そして、“死”が、怖かっただろう?
あの崖に吸い込まれようとした瞬間、恐ろしくて恐ろしくて『死にたくない』と、手を伸ばしてくれたオブに、必死にしがみついてしまっただろう。
『イン、崖は怖かっただろう?』
『……っぅ』
俺は、もう何度も言ってきた。約束だ、と。きちんと言葉にして伝えて来た。
子供だから、言っても聞きやしないと分かっている。しかし、子供だろうと、行動した事に付きまとう結果は、自分で受け止めなければならない。
他の誰も、代わりに受け止めてやる事は出来ないのだ。