67:金持ち父さん、貧乏父さん(67)

 

 黒い布が、俺の育った家の前に掛かっている。

 あぁ、あの家にアレが掛けられるのを見るのは、一体何度目になるだろう。

 

『また、か』

 

 人が死ぬと、あの黒い布が家の前へと飾られる。大昔からこの地方に伝わる風習の一つだ。それは、死者への哀悼痛惜の意と、周囲へ人の死を知らせる為の、大切な役割を担う。

 

その一枚の黒い布が、冬の冷たさを帯びた風にソッと揺れた。

 

『ヴァーサス』

 

 俺の呟きが、横たわる弟へと向けられる。あぁ、最後に一人だけ残った弟も、他の弟達同様、順番抜かしをして逝ってしまった。

一人、ベッドの上で横たわるその姿は、酷く痩せこけ、首筋なんかはもう骨と皮だけで頼りなく繋がっているだけのように見える。

 

『スルー。気持ちは分かるが、早く運ぶぞ』

 

 俺の隣で、横たわるヴァーサスを共に見下ろすのはオポジットだ。その他にも、村の若い衆の数名が、俺とヴァーサスの育った家に集まっている。皆、ヴァーサスの遺体を運び出す為に来てくれたのだ。

 

 遺体を埋める穴も、既に準備が出来ている。

この村では、人は死ぬと土に還ると言い伝えられてきた。故に、亡くなった際に用いられる弔いは土葬だ。

 

 俺は自身の爪の隙間に入り込んだ土を見つめながら「あぁ」と頷いた。先程まで、村の若い衆総出で、墓場に穴を掘っていたのだ。ひと一人が入る程の穴である。葬儀の際には、最も重労働とされている仕事だ。

 

『まだ、こんなに若いのにな』

『あぁ、残念だ』

 

 手伝いに来てくれた皆が同じように口にする。そう、そうだ。

 弟のヴァーサスが死んだ。

 十九歳に、なるかならないかというところだった。どうやら、夏頃から相当に具合が悪かったらしい。俺は微かに思い出される、ふらつきながらも川へと洗濯へと出かけていたヴァーサスの姿に、僅かな後悔が生まれていた。

 

 やはり無理にでも、代わってやるべきだった、と。

 

 けれど、今更何をどう嘆いて後悔しても、もう遅い。何故なら、もうヴァーサスは居ないのだから。

 俺はふと、黙って椅子に腰かける一人の老いぼれに目をやった。俺が幼い頃に見ていた親父と、今ここに居る老いぼれ。どう考えても、同一人物とは思えないほど、ヤツは小さくなってしまっていた。

時間とは、老いとは、どこまでも平等で、だからこそ残酷だ。

 

『村長。ヴァーサスを連れて行くが、もういいか』

 

 ヴァーサスの体を抱える間際、オポジットが老いぼれへと問いかける。老いぼれは火のついていない暖炉をぼんやりと眺めながら、此方など見ずに『あぁ』と、皺がれた声で頷いた。

 この男は、これで我が子を六人全て失ってしまった事になる。そして、最後にたった一人、この世に取り残された。

 

 哀れだ。

 

 そう、俺が老いぼれを横目に、ヴァーサスの体に手を伸ばした時だ。

 

『お前は、ヴァーサスに触るな』

『……』

 

 お前。

老いぼれの口から放たれた言葉。それが、誰の事を指すかなんて、俺にはすぐに理解できた。もちろん、あの老いぼれのいう“お前”は、この俺、スルーだ。

俺は、一度もあの男から名前で呼ばれた事がない。最早“お前”が名前のようなものだ。

 

『汚い手で、俺の息子に触れるな』

 

 重ねてかけられた冷たい言葉に、俺はフッと息を吐いた。汚い手、か。俺はどうしてこの老いぼれに、そこまで言われなければならないのだろう。

そんなに息子に置いて行かれたのが辛いならば、いっそ後を追って崖から飛び降りればいいのに。

 

俺の開いていた手が、ヴァーサスの前で静かに閉じられる。ぱぁだった手が、ぐぅになった。これは、一体どんな手だ。良い手か、悪い手か。

 

分からない。

 

『オポジット、悪いな。俺は墓で待っているから。後は頼む』

『いや、俺達も気付かずに悪かった。村長、俺達も一旦手を洗ってくるよ』

 

 汚い手、という言葉にオポジットが何を勘違いしたのか、その場に居た全員に声をかけ『手を洗ってくるぞ!』と声を上げた。確かに皆、土を掘り起こしていたので、手は汚いだろうが。

 

 そんな本質的に噛み合っていないやり取りに、俺は気付かれないように思わずフッと笑みをこぼした。オポジットのこういう所は、本当にありがたい。

 

 ゾロゾロと家を後にする者達の最後に、俺も続く。家から出る瞬間。ふと、視線を感じて、家の中へと振り返った。

 

『っ』

 

 俺に視線を向ける者。それは、一人だけ生き残ってしまった、あの老いぼれしかいなかった。バチリと音がしそうな程、互いの視線が激しくぶつかり合う。

俺を見据える目は、過去、よく見かけたモノで。どこまでも深い憎しみを帯びており、最早そこに、肉親に向ける温もりなんてモノは一欠けらもなかった。

 

その目は言っている。生まれてこのかた散々言われ続けてきた、あの言葉を。

 

——–全部、お前のせいだ。

 

 そう、言葉よりもハッキリと俺に伝えてくる。冷たさと、憎悪と、怒り。それら全てをつめこんだ瞳の、なんと恐ろしい事か。背筋にゾッとした感覚が走る。

 俺は勢いよくその目から顔を背けると、足早に家を後にした。

 

『……気を、付けないと』

 

 この目を向けられた次の日は、いつも親父に殺されかけた。あんな老いぼれに、何が出来るというんだ。もう、俺は子供ではない。アイツに無理やり引きずられ、殴られるばかりの小さな子供ではないのだ。

 

『小さな、子供?』

 

 

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