68:金持ち父さん、貧乏父さん(68)

 

 言いながら、俺はゾッとした。俺はもう違う。確かに子供ではない。

 けれど、インやニアはどうだ。あの子らは、まだまだ小さい。確かに、好き勝手されるような年齢ではないが、あの子達は、あの男がどれほど俺に対し憎悪を募らせているか知らない。

 “村長”の顔をして近寄ってくれば、何の疑いもなく手を引かれてつれて行かれてしまうだろう。

 

『……ヨル』

 

 ヨルに、相談したい。

 俺はとっさに、この場に居ない男の名を呟いていた。そう、ヨルは今ここには居ない。数日前から、首都の家に帰っているのだ。これは最近ではよくある事で、どうやら向こうは向こうでしか出来ぬ“役割”とやらがあるらしい。

 

———一週間程で戻る。何か面白いモノがあったら、買って来てやるから。良い子で、大人しくしているんだぞ。

 

 発つ前の日の夜。ヨルは、まるで仕事に出かける父が子供に言うように、そう言った。そう言って頭を撫でられたのが、遠い昔のようだ。

 あの時は、こんなに急にヴァーサスが逝ってしまうなんて思いもしなかった。あぁ、最後にヴァーサスを見たのは、いつだっただろうか。

人はサヨナラだと思わず別れた日の記憶は、酷く曖昧なものだ。なぜなら、また次も、当たり前のように会えるだろうと思っているから。

 

『会いたい』

 

 墓地に掘られた、これから弟の入れられる穴を見つめながら、不安な想いを一人静かに吐露した。あの憎悪の向く対象が、俺自身から、俺の大切な者へと向けられたら、俺は一体どうすればいいのだろうか。俺は、守る術を持っているだろうか。

 

 爪の隙間に入り込んだ土を、俺は自身の指の爪でパチリと弾いた。

 

 

        〇

 

 ヴァーサスを土に還した後、俺はとある人物を探して村中を歩きまわっていた。一体どこへ行ってしまったのだろう。そう、少しだけ焦る俺の心を他所に、次の瞬間、俺の背中が、勢いよく叩かれた。その衝撃と共に俺の耳を貫くのは、聞き慣れた張りのある大声だ。

 

『おい!スルー!』

 

 この声と、この容赦のない叩き方。振り返らずとも、相手が誰かなんてすぐに分かる。こんな事をするのは、野蛮なオポジットを除いて他に居ない!

 

『なんだ、オポジット!背中が抉れるかと思ったぞ!』

『なにを大袈裟な事を言ってるんだ。抉れていたら、お前はもう死んでいるだろ』

『屁理屈を言うな!痛かったと言ってるんだ!まったく!』

 

 振り返った先に立っていたのは、やっぱりオポジットだった。容赦ない力で叩かれた背中がヒリヒリと熱を持つ。すると、先程までなんてことのない表情を浮かべていたオポジットが、少しだけ眉を寄せて静かに尋ねてきた。

 

『スルー。お前、大丈夫か?』

『うわっ』

 

 大丈夫か、だと。

 まさか、オポジットにこんな繊細な心配のされ方をする日が来ようとは。俺は、少しだけ自分が今の今まで浮かべていた表情に、“いつものスルー”が抜け落ちていた事に気付いた。

 まったく、俺とした事が。いやはや、全く素晴らしくない!

 

『おい。何だよ。その驚いた表情は』

『いや、野蛮なオポジットにも、こんな人を気遣う一面があるのかと思って驚いているんだ!』

『変わり者のスルーも、弟が死んだら落ち込むだろうって事くらいは、俺にも分かるんでな』

『別に、俺は落ち込んでなんかいないさ!なんなら、弟を弔うために、とびきり明るい歌を歌って踊ってもいいくらいだ!聞いて行くか?』

『おい、冗談でもやめろ。あそこに爺さん達が集まってんのが見えないのか』

 

 そう言ってオポジットが指を指した場所は、村の広場。屋根付きの集会場に集まる、老いぼれ達の姿だった。

そう。なにやら、ヴァーサスの葬儀が執り行われた直後から、村の中心では老いぼれ達が集まって、親父を囲んで何やら話し合いをしているようなのだ。

 

『アイツらが居ようが、居まいが、俺には関係ないんだ!なにせ、俺は“変わり者”だからな!』

『……スルー。あまりヤケになるな。爺さん方も、あの手の話し合いは、もう少し時間を置いてからでもいいだろうに』

 

 オポジットの言う“あの手”の話し合いに、俺もすぐに予想がついた。

 どうせ、次の村長はどうするんだという、実に下らない話し合いをしているのだろう。あぁ、まったくもって下らない。生い先の短いあの老いぼれ達が、一体どこまでこの村の行く末を真剣に考えているのか。

 

『アイツら老いぼれは、自分が死ぬまで暇を持て余してるからな。死ぬまでの暇潰しに余念がないんだろうさ!』

『……スルー、お前』

 

 ただ、自分達の力を誇示し、存在意義を確認するためだけにする井戸端会議なら、他所でやればいい。その場所は、ヨルやオポジット達が集まって、未来を話し合う大事な場所なのだ。

 さっさと場所を明け渡せ!

 

 そんな気持ちで口にした言葉だったが、オポジットからは返事がない。あぁ、もしかして俺は今けっこう酷い事を口にしただろうか。そう言えば以前、ヨルからも言われた事がある。

 

 

——-お前の気持ちも分かるが、年寄り相手の、その強い言葉は俺以外の前では慎め。

——-なんでだ?

——-ただでさえお前は目立つ。既に、実質的な力はなくとも、自負と地盤のある年寄りは、敵に回すと厄介だぞ。

——-ふうん。そう言うもんか。

 

 

 ヨルの言う言葉はイチイチ難しくて分かりずらい。

まぁ、何となく言いたい事は分かる。けれど、どうしてもアイツらを見ると、俺の口は止まらなくなってしまうのだ。腹の中の“小さなスルー”が癇癪を起して、色々な言葉を投げ付けてくる。

 

きっと、ヨルが傍に居てくれたら。ここまで誰かれ構わず癇癪を起す事などなかっただろうに。

あぁ、ヨルよ。早く帰ってきて、いつものように俺をよしよししてくれ。そうでなければ、俺はぐうになったこの手で、何をしでかすか分からないぞ。

 

そんな願っても仕方ない事を、俺は何度も何度も思ってしまう。見送ったヨルの背中が、物凄く遠くにある気がする。

——–はやく!はやく!帰って来てくれ!ヨル!

そう、腹の中のスルーがジタバタと騒いで、我儘を言う。あぁ、耐えてくれ、俺。きっとヨルももうすぐ帰って来てくれる筈だ。