69:金持ち父さん、貧乏父さん(69)

 

『えっと。その』

『…………』

 

 オポジットと俺の間に、妙な沈黙が流れる。オポジットはというと、その視線を俺ではなく老いぼれ達の方へと向けたまま、微動だにしない。

あぁ、やはり、ヨルの言う通りだったかもしれない。さすがに、想いのままに口を開き過ぎた。

 

 最近は、ヨルが隣に居れば、村の若い奴らとは普通に話せていたので、俺はあらぬ勘違いをしてしまっていたようだ。

変わり者の俺の言葉なんて、ヨルにしか理解して貰えない。こんな当たり前の事すら、俺はすっかり忘れてしまっていた。皆、ヨルが傍に居たから、俺とまともに会話をしてくれていただけだったのに。

 

そう思うと、俺は少しばかり恥ずかしい気持ちになった。

 

『オポジット、今のは……』

 

 俺が、恥じ入る腹の中のスルーを宥めながら、一応オポジットに対して言葉を撤回しておこうと口を開いた時だ。

 

『そうかもな』

『へ?』

 

 思いも寄らぬ返事が、オポジットの口から洩れた。一瞬、俺は聞き間違いだろうと、オポジットの顔を凝視した。すると、オポジットは俺の方を見下ろしながら、再度、深く頷いた。

 

『お前の言う通りだと思うよ。アイツらは、きっと暇なんだな』

『……オポジット』

 

 オポジットの言葉に、俺は後ろから思い切り背中を叩かれたような衝撃を受けてしまった。

びっくりだ。あぁ、ビックリした。俺はあまりにも驚き過ぎて、ゴクリと音を立てて口の中にある唾液を飲み下した。俺の言葉に、同意してくれる人が、ヨルと家族以外に居るとは思っていなかった。

 

 もしかしたら、“今の”オポジットなら――。

 

『なぁ、オポジット。一つ、頼みたい事があるんだ』

『なんだ』

 

 俺は右手で胸をソッと抑えた。ドキドキする。これはヨルに対してするドキドキとは違うが、これはこれで非常に愉快なドキドキだ。

これは、きっと“期待”というヤツだと思う。俺はそんなモノを他人に対して久しく抱いた事はなかったので、本当の、本当におかしな気分だ。

 

『お前から、フロムに頼んで欲しいんだ』

『フロムに?何をだ』

『ニアを守ってくれと伝えてくれ。決して一人にしないように、と』

『……どういう事だ』

 

 オポジットの眉間に皺が寄る。あぁ、これはヨルと違って全然素敵じゃない。眉間の皺はヨルだから似合うのだ。オポジットは、眉間に皺など似合わない。カラッとしてこそのオポジットだ。

 

『村長が、いや、親父が……俺を余り良く思っていないのは知っているな?』

『まぁ、そう……だな』

 

 オポジットの目が少しだけ細められる。

オポジットが、どこまで俺の家の事情を把握しているかは知らない。この世代は、上から与えられる話が、酷く曖昧な世代なのだ。特に、俺の本当の父親についての話は、誰一人として口を開いてはくれなかった。

ただ、ハッキリと言われていたのは『変わり者のスルーには、近づくな。頭がおかしくなるぞ』という、親から子らへ伝えられていた、俺への言われのない誹謗だけだ。

 

 きっと、そのどちらも、あの親父がそうさせていたのだろう。

 

『ヴァーサスが死んで、あの老いぼれが、俺に手を出してくるかもしれない。俺は村長なんてどうでもいいが、アイツにとってはそうじゃないからな』

 

 オポジットは察しの悪いヤツではない。その場の状況を敢えて読まずに発言したり、大胆な行動が目立つせいで、一見考え無しの無鉄砲だと思われがちだが、実際はそうではないのだ。

 オポジット程、周囲を見て自然と立ち回れるヤツを、俺はこの村で他に知らない。

 夕まぐれが来た時の婚姻の宴で、何も言わずに俺のやらんとする事を察してくれたのも、このオポジットだけだった。

 

『お前……それは、あんまり考え過ぎじゃないか?』

『取り越し苦労なら、それでいい。ただ、あの老いぼれは、もう力じゃ俺には敵わん。だとすれば、弱いヤツを狙う』

『さすがに、子供を狙うような卑怯な真似は……』

『オポジット。弱い者から狙っていくというのは……野生の世界では、べつに卑怯な事ではないだろう?』

 

 俺の言葉に、オポジットは一瞬だけ目を大きく見開くと、一拍の呼吸の後『そうだな』と頷いた。卑怯なんて言葉は、理性ある人間の使う言葉だ。

 理性を失った“獣”には、そんな理屈は通用しない。

 

『わかった。フロムには、こう、どうにか上手い事を言って、ニアから離れさせないようにしよう。フロムは喜ぶだろうが、ニアが……嫌がるかもしれないな』

 

 そう、どこか苦々し気に口にするオポジットの表情に、俺は思わず笑ってしまった。確かにそうだ。フロムは言われずともニアの傍へと寄っていく所があるが、ニアの方が逃げ出しそうだ。

 

『ははっ、その通りかもな』

 

あぁ、先程までの不安が、大分楽になった。人を頼り、気持ちを吐露できるというのは、なかなかに凄い力を持つ事なのだと、俺はこの時改めて思った。

 

『そこは、フロムの手腕に任せよう。なにせ、フロムはニアの将来の夫なんだからな』

 

 これまでとは違い、どこかアッサリと口に出来たその言葉に、俺の胸はなんだか清々しい風が吹いたような気分だった。まぁ、いいか。フロムはきっと良い男になる。父親を見ていれば、わかる事だ。

 

『スルー、お前』

 

そんな俺に、オポジットはなんだか驚いたように目を瞬かせると、半笑いの表情で俺に言った。

 

『お前、やっと子離れしたみたいだな』

———-ザンのおかげか?

 

 あぁ、そうだ。困ったことにやっぱりオポジットは、野蛮な癖に勘だけは鋭いんだ。