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ゲーションは、右首に負った傷がジクジクと痛むのを耐えながらゆっくりゆっくりと歩いていた。
「ちくしょう!絶対に勝てると思ったのに!」
傷が痛むのでゆっくりと歩いていたが、ゲーションは本当ならば今にも走り出したい気分だった。なにせ、とてつもなくむしゃくしゃするのだ。
しかし、今はそうも言ってはいられない。この傷を早いところ綺麗な水で洗って、血を止めないと。もしかすると命取りになるかもしれない。
「川の音はこっちからするっつーのに!自分の血の匂いで、場所がイマイチわかんねーよ!くそ!」
ゲーションは忌々し気に、未だにポタポタと地面に滴る自身の赤い血を見つめた。本当はこんな事になる筈ではなかったのに。
「……勝てる筈だったんだ。俺があのパックのアルファになれる筈だったのに」
痛みから、少しでも意識を逸らすようにゲーションは口を尖らせ文句を言う。
ゲーションは狼だ。
アラスカオオカミという、狼の中でもその体の大きさは最大と謳われる種類である。その為、自身よりも体の大きな獲物を捕らえるのも朝飯前で、ゲーションの住んでいた場所では、彼らは生態系の頂点に君臨していた、
筈だったのに。
「俺だって、自分の子供が作りてぇよ。アルファしか子作り出来ないなんて……ありえねぇ」
ゲーション達狼は基本群れを成して生活をする。群れの基本は家族。故にその繋がりは強固で、その中で様々な交流や営みが行われるのだ。その際たるモノが“子作り”だ。野生動物にとって自身の血脈を残したいと思うのは、生き物としての強い本能だ。
けれど、狼のパックと呼ばれる群れの中ではソレを許されるのはアルファと呼ばれる、筆頭者となる雄と雌だ。自身の子を成したいのであれば、まずはアルファになるより他ない。
「クソ親父!傷が治ったら、絶対にあの群れ乗っ取ってやる!」
そう、どこか物騒な言葉を吐きながら歩くゲーションの首に付けられた傷は、その“クソ親父”に付けられたものだった。未だにアルファとして最強の力を誇る父に、ゲーションはその若さゆえの無鉄砲さで挑んだ。
挑んで、そして敢え無く敗北してしまった。
父はやはり最強だったのだ。伊達に、これまで幾度となくゲーションの兄達を退けてきた訳ではない。
やはり誰もが雌に自身の子を孕ませたいのだ。雄ならば当然の野望。自分のパックを作り、アルファの雌と番って、一生その雌と添い遂げる。
「それが雄の夢だろうっ!?ずっとベータのままじゃいられねぇよ!」
けれど、負けてしまった今、その夢は全て水の泡だ。一度、筆頭者のアルファに挑んだ雄は、容赦なくそのパックを追い出される。もちろん、戻る事は許されない。許されるとすれば、それはゲーションが改めてパックに戻り父親を倒した時だ。
そうすれば、あのパックへ戻る事が出来る。それも、自分が筆頭者として。
「絶対に、絶対に親父を殺して、俺がアルファになってやる!絶対だ!」
そう、いきむ度に首筋から血がボタボタと零れてゆくのだが、ゲーションはそうやって叫んでいないと、今にも意識を失いそうだったのだ。
目の前が霞む。けれど、川の音はすぐ傍で聞こえているのだがら、目的地はもうすぐだ。
「(もうすぐ、もうすぐな筈なのにっ!ちくしょうっ)」
そう、ゲーションが意識を失う直前に見たのは、何やらご機嫌に揺らめく誰かの尾だった。