『おい、村長。スルーはアンタの息子だろう』
『村の責任者として、息子かどうかは度外視すべき事だ』
『それにしたって、権抜はあんまりだ』
オポジットはもう一度深く息を吸い込んだ。
そう、それは、どう考えてもやり過ぎだ。
権抜とは、この村の自治組織の及ぶ全ての権利を、ある特定の個人、世帯から剥奪する制裁手段である。
正直、この小さな村で、共同労働や生活、儀式的なモノの全てからその権利を排除されるという事は、事実上の追放措置に等しい。
結果として、行く宛てもなく村へと居残った場合でも、権抜をされたままでは、共同体の恩恵を一切受ける事は出来ない為、村での生活は極めて困難となる。
『いや、待ってくれ』
『何を待つ必要がある?この件を放置する事は、また同じ事態を招く事へと繋がる。そうなれば、また村の皆を危険に晒す事になるんだぞ』
冷静に考えれば、これは村長としての責任感の皮を被った、ただの私怨を帯びた私的制裁と変わらない。けれど、それに気付けるのは、やはり“冷静であれば”の話だ。
『それも、ありかもしれないな』
『そうだ。スルーのせいで、俺達は冬が越せないかもしれないんだ』
『アイツの事だ。また同じ事をしでかす可能性だってある』
不安と怒りで何かを吊るし上げずにはおれぬ、今の村人達にとって、その罰は正当性のある処罰として映るだろう。今の彼らは、不安と怒りをぶつける人柱が必要なのだ。
“変わり者”という偏見が、これほど適役な役割を担う事もない。
『私には、村長としての責任があるんだよ。オポジット』
『……責任?』
『それに、そうでもしなければ、私は村の皆に顔向けが出来ない』
体を支えられオポジットと相対する老人は、ただその見た目に反して声だけは“張り”に満ちていた。
『待ってくれ。そもそも、この件はスルーのせいだという証拠もないだろう』
『オポジット。お前も知っているだろう?あの子はそういう子なんだよ。昔からそうだった。それは親である私が一番よく分かっている。きっと家畜を自由にしてやりたいと、心の底から思ってしまったんだろう』
愉悦に満ちた感情で彩られたその声の“張り”は、まがい物の悲しみや責任感で見事に覆い隠されている。
『……そうか』
その声に、オポジットは今度こそハッキリとその声の中に彼の本心を見た気がした。それまで、この男は一度としてスルーを皆の前で“我が子”として扱う事はなかった。それがここに来て急に態度を変えたのだ。
この男は、決して村人の心や、村の今後を思ってこの決定を下している訳ではない。この瞬間、あの日のスルーの言葉が、オポジットの耳の奥をついた。
——–あの男は、俺を心底恨んでいるからな。
これは、公平でも公正でもない制裁措置だ。私怨を拗らせた、個人的な感情で村全体の決定を行う事の危うさを、名ばかりの村長は何も考えちゃいない。
さて、どうしたものか。
年老いた村長を前に、オポジットはただ静かに腕を組んだ。
『……ふう』
そして思う。
いつになったら、あの男は帰ってくるのだろう、と。
そう、此処には居ない、一人の貴族の男を思って、いつの間にか日の落ちていた空を見上げた。
もう完全に日は落ちた。そのせいで辺りは一気に暗くなっていた。
『……ザン』
オポジットは自然と、此処には居ない男の名を口にしていた。その瞬間、目の前に立つ村長の眉がヒクリと動いた。
きっとあの男なら、この場における不自然なまでにスルーへと向けられた、怒りと不安を消し、事態を収束させる事も出来るだろう。
ただ、今はその男も居ない。このままでは、本当にスルーはこの村から追い出されてしまう。
そして、その事実は確実にこの村に暗い影を落とす。スルーが迫害されて終わりの話ではないのだ。
私怨と一時の感情に流されて下された決定は、その後の自分達の首を絞める。今後、同じ失態や不利益をもたらした村人を、吊るし上げる集団に、この村はなってしまうだろう。
どうしても、それだけは避けなければならない。
そう、オポジットが腕を組みなおした時だった。
『お父さん。もしかしたら森で、けもるの赤ちゃんが産まれる手伝いをしてるのかもなぁ』
インの、どこかぼんやりとした声が大人達の合間をゆるりと、川のせせらぎのように流れていった。
それは、特に誰に何かを伝えたいというような意思はなく、本当に思った事を、思ったまま口にしたような声だった。
『……あ』
その声に、オポジットは思わず声のする方へと目を向けた。
『確かに!もうお腹パンパンだったもんな!』
『えー、オレも産まれるとこ見たかった!』
『変わり者は、いっちばん赤ちゃん出すのが上手いもんなー』
そこでは、インをはじめとする村の子らが家畜場を眺めながら、楽しそうに話していた。きっと、あの子らの誰もが、周囲の大人達の会話の、きっと半分も理解してはいないだろう。
『そうそう!お父さんはオレの事も、ニアの事も上手に出したって言ってたよ!』
『そうなの?』
『そうだよー。お母さんが言ってたもん』
『すごいな!スルーは人間も出せるのか!』
それまで響いていた大人達の低く唸るような声の中で、それらの声は一際高く、そして無邪気であるが故に、ポンポンと村人達の耳に容赦なく入り込んで来る。
無視しようにも、声質の異なるそれらは、どうしても耳に入って来てしまうため、皆の意識が若干そちらへと引きずられ始めていた。
『そういや!スルーの奴!産まれてもないのに、もう赤ちゃんの名前を決めてたんだぜ!』
『おれも決めたいって言ったのに、もう決めたからダメとか言うし!』
『スルーさんの事だから、多分また変な名前をつけそうだよね』
そして、その話し声は事情を分からぬ子供達であるが故に、どこまでもいつも通りであった。いつも通りの、不安も怒りにも曇らされていない子供らの言葉は、それはすなわち最も真実に近いスルーの姿を映し出していた。
———俺が、ここの皆の面倒は全部見るぞ!俺が皆の第二のお母さんになってやるんだ!
村人の記憶の片隅に必ず存在する、そのスルーの姿。
スルーは良くも悪くも“変わり者”だった。畑仕事や、新たに加わった街道の補正などで多忙を極める中でも、共同業務である村の家畜の世話も、常に率先してやっていたのだから。
スルーは確かに、生き物達への愛情を募らせていた。
けれど、それは囚われの身の彼らを自由へ導きたいという愛情ではなく、あくまでも自らの腕の中で守り育てていきたいという、人間のエゴに満ちた愛情である事に、間違いなかった。
——–あぁっ!赤ちゃんが来るのはいつだろうな!明日か?明後日か?それとも今日か?
家畜の子を、スルー以上に楽しみにしていた村人は、他に居ない。