86:金持ち父さん、貧乏父さん(86)

メ゛ェェェェェ!!

 

『っよし、みんな!前足と頭が出始めた!ここまで来ればもうすぐ痛いのは終わるからなっ!』

 

 けもる達が本格的に産気づき始めて、一体どの程度の時が過ぎたのだろう。痛みと痛みの隙間にけもる達の体を撫でてやり、痛みがくれば穴から出てくる赤子の様子を見る。

 3頭の母親たちは、俺の周囲で顔を夜空に向け、ともかく叫び散らしている。

 

メ゛ェェェェェ!

 

 きっと人の言葉に直すとこうだろう。

——–ぁぁぁぁぁぁっ!もういやぁぁっ!

 

 そう、これは俺の妻であるヴィアがインやニアを産む時に、漏れなく叫び散らした言葉である。痛みと終わらぬ苦痛に拳を握りしめ、何度も何度も布団を叩いていた。あと、俺も叩かれた。

 物凄く痛かったけれど、きっとヴィアはもっと痛かったに違いない。

 

『みんなっ!がんばれー!!俺の事を噛んでいいからっ!』

メ゛ェェェェェウェェェェ!

 

 俺の言葉が通じるのか、それまで天を仰いでいた三頭が俺に向かってこぞって頭突きをし始めた。これは、いつもの“だいすき、するー”という意味ではない事くらい、変わり者の俺でも分かる。

 

 きっと人間の言葉に直すとこうだろう。

———なんで私ばっかりぃぃぃっ!!イヤイヤイヤァァァァ!もうやめる!産むのやめるっ!!

 

 もちろん、これもヴィアが出産する時に叫んでいた言葉の一つである。そんな事を考えている間も、周囲の三頭から勢いよく俺への頭突きがお見舞いされる。

 

『っぐ』

 

 結局、俺は勢い込んではいたものの、出産において最も重労働を担うのは、やっぱり“母親”なのだ。

 

 俺にはちょっとの手助けしか出来ない。

というか、頭突きを受けるくらいしか今の俺に出来る事はないのだ。それこそ、俺の手が本気で必要な時というのは、母子共に危険な時という事になるので、あまり俺の活躍などない方が良いのだ。

 

『っ!けもみ!けもも!もうすぐ出るぞ!』

 

 多少の誤差はあるが皆自身の赤子を腹からひねり出そうと必死だ。

今、それぞれの赤子の様子を確認すると、前足の蹄が出始めたけもる。顔と両手足を出し始めた、けもみとけもも。

 少しだけ、けもるが遅いか。

 

ベェェェェェェッ!

 

 まず、二頭の羊の絶叫が重なったかと思うと、その瞬間に二頭の穴からズロリと膜に覆われた二匹の赤ちゃんが地面に産み落とされた。産み落とした場所には、俺が簡易で作ってやった枯葉の寝床がある。本当はワラで作ってやりたかったのだが、森の中にはワラなどないため、仕方がない。

 

『よし、けもみも、けももも元気だな』

 

 俺が立派に子を産み落とした二頭を見やれば、先程まで苛立ったように俺に頭突きをしていた二頭は既に立派なお母さんになっていた。

先程までの痛みなど何事もなかったかのような顔でスクリと立ち上がり、枯葉の寝床でメェとか細い鳴き声を漏らす我が子を舌で舐めてやっている。

 

『どれどれ、緒もちゃんと切れてるな。それに二匹ともちゃんと息をしてる。お母さんに舐めてもらっていれば、ひとまず体が冷える心配もない。おっぱいもじきに自分で探しに行くだろう……後は』

 

メェェェェェ!

 

『けもるっ!お前も頑張れ!あと少しだ!』

 

 俺は素早くけもるの出産へと戻ると、顔から両前足と頭を出し始めた赤子に『もう少しだ!』と声を上げた。すると次の瞬間、他の二頭とは少し遅れて膜に覆われた赤子がズルリと枯葉の寝床へと産み落とされた。

 

『よしっ!これでけもるもお母さんだ!』

 

 俺は無事に三頭の赤子が産まれ落ちた事に喜びを抑え切れず、その場に飛び上がってしまった。チラと脇を見れば、先に産まれた二頭が、母親にきちんと体を舐め乾かしてもらい、ゆっくりと立ち上がろうとしている所だった。

 

 メェメェ

 

 か細いがしっかりした鳴き声だ。それに、見ていると自然と乳を探しているようで、母親たちがそれを拒否する様子もない。最初の乳やりまで終えれば、出産におけるヤマは一旦超えたと言ってもいい。

 

『よかったぁ……』

 

 俺がホッと一人で胸を撫でおろしていると、何故だか凄まじい鳴き声が俺の耳を突いた。

 

 ウメェェッ!

 

 あれれ?これは一体誰の鳴き声だ?もう三頭とも出産は終えた筈では?

そう思い、俺が未だに鳴き声を放つけもるの方へと視線を向けた時だ。

 

『っえぇ!?』

 メェェェェェェェェッ!

 

先程、赤子を産み終えたばかりのけもるが凄まじい鳴き声を上げた。よく見れば、けもるの腹は未だにパンパンだ。これは、まさか。

 

『もう一匹居るのかっ!?けもる!』

 

 俺は頭をこちらへと押し付けてくるけもるの様子に、思わず叫び声を上げてしまった。

 待て待て。羊は人間と同じく基本単胎妊娠が殆どである。俺も、今までの羊の出産は単胎しか経験がない。けれど、これは、どう見ても――。

 

『双子かっ!?』

 

 俺は叫び続けるけもるに向かって問う。しかし、当たり前だがけもるから『そうだよ!スルー!』なんて言葉は返ってこない。けれど、絶叫を続けるけもるの姿こそが、その全ての答えであろう。

続く痛みと苦しみで、叫び続けるけもる。しかし、けもるも大変だが、もう一匹大変な事態の子が居る。

 

『けもるっ!先に産まれた子が息をしてないぞ!舐めて……る余裕はないよな!?』

 

 絶叫するけもるとは裏腹に、産み落とされてから鳴かない赤子。その隣を見れば乳を探すものの上手く探せずにいるけもみとけももの子。

 

 メ、メェ。

 メェ、

 メェェェェェェェ!!

 

『あぁぁっ!どうしよう!どの子から!もちろんけもるの子からだがっ!痛い!痛い!けもるわかった!お前もきついよなっ!?けど、お前の子が死にそうなんだ!他の子は乳の場所も分かってないし!』

 

 あぁ、あぁ!俺は一人でどうすればいいんだ!

 

 何がスルーに任せろ!だ。

 何が全部俺の仕事だ!だ。

 

 俺は一人では何もできないではないか!俺一人が素晴らしかったって仕方がないじゃないか!今までだって、他の皆が居たから素晴らしくなれていただけだったのに!

 

『俺はぜんぜん、一人じゃ、素晴らしくないっ!』

 

でも、こうして不安になっている間も、赤ちゃんは息が出来ず、大事な初乳が取れず、母親が難産で死んでしまうかもしれない。

 

『ちゃんとしろ、ちゃんとしろ、ちゃんとしろ……スルー!』

 

 俺が自分自身を鼓舞しながら、それでもジワリと目から涙を流しそうになった時だ。

 

『スルーっ!ここかっ!』

 

 ヨルの声がした。