88:金持ち父さん、貧乏父さん(88)

 

『はぁぁぁっ!やっと全員取り出せたー!』

『赤ん坊を……あんな風に、引っ張り出すとは』

 

 森の一角で俺とヨル、そして三頭の母親と四頭の子供達が身を寄せ合って夜空を眺めていた。

 

 そう、けもるのもう一匹の子は難産も難産で俺が穴に手を突っ込んで引っ張り出してやる事で、無事に出産を終える事に成功した。

その光景が、どうやらヨルには相当な衝撃を与えてしまったようで、出産からしばらくたった今も、こうしてボソボソと茫然とした呟きを漏らしている。

 

『ふふん、俺は赤ちゃんを取り出すのが上手だからな!ヨルも二頭目は上手に体を拭いてやれてたじゃないか!えらかったぞ!』

『……いや、俺は役には立っていなかった』

『そんな訳あるか!見ろ!この二匹を!ヨルの事が大好きだと言って離れないじゃないか!』

『…………』

 

 俺はけもるの双子の子らが、ピトリとヨルの体からくっついて離れないのを見て、思わず顔がにこにこしてしまった。

どうやら、産まれた直後に抱きかかえてくれていたヨルの事を、この子らはお父さんだと思っているのだろう。

 

 ヨルは安心する良い匂いだからな。俺もその気持ちはよく分かる。

 さっそく母親達の真似をして、ヨルに頭をグイグイと押し付けている。これはきっと『だいすき、よる』で間違いない。

 

『……く』

『ふふ』

 

 そんな羊の子らに、ヨルはなんとも言えない程顔をヒクつかせていた。これは嬉しくて笑いたいのだが、どう顔に出してよいのか分からない顔だ。

 これも、間違いない。俺はヨルの事も、よぉく分かっているのだから。

 

『ふふ、ヨル。よかったなぁ』

『……スルー』

『ん?』

 

 それまで子羊達をジッと見つめていたヨルが急に俺の方を見て来た。俺を見て、一瞬眉を顰めると、自身の着ていた背広を脱いで俺に寄越してくる。

 

『着ろ。風邪を引くぞ』

『あ、え?』

 

 言われて自分の姿を思い出してみれば、俺は上半身がまるきり裸だった。俺の着ていた服はけもるの子らの体を拭くのに使って、グチョグチョのボロボロだ。いや、もともとボロボロなので、グチョグチョだけだ。

 

 さすがに、アレはもう洗っても着れないだろう。

 

 俺が枯葉の寝床の上に敷いた、自分の服だったものを見ながらそんな事を思う。服を着ていない事を、本気で忘れるなんて、やっぱり俺は変わり者だ。

 

『いいよ。別に寒いのには慣れてる。あまり調子に乗って脱ぐと、ヨルが風邪を引くぞ』

『慣れるな』

『へ?』

『寒い事になど慣れるな。痛い事にも、辛い事にも、一人にも……慣れるな』

 

 ヨルは静かな声でそんな事を言いながら、自身の上着を俺の背にかけた。掛けられて思う。暖かい、と。そして、やっぱりその上着からはヨルの匂いがした。

 

『あたたかい』

『そうだろ』

『不思議だなぁ……温かいが分かると、さっきまで寒かったんだと分かったよ』

 

 そう、上着が掛けられてみて俺は理解した。先程までの俺は、実は寒かったのだ、と。まったく、自分の事なのにヨルに気付かせて貰わなければ、寒い事も分からないとは。

 

『やっぱり俺は変わり者だなぁ』

『っ!スルー!』

 

 俺の呟きに、俺の体はいつの間にかヨルの腕の中へとすっぽり入りこんでいた。俺とヨルの腹の間で二匹の子羊が『めぇ、めぇ』と楽しそうに鳴く。

きっと暖かくて嬉しいのだろう。

 俺も、ここにきてどんどん体が暖かくなっていき、どんどん気持ちが嬉しい!と叫び出す。

 

『ヨル、ヨル、ヨル……帰ってきたんだなぁ。おかえり。よかったなぁ』

『するー、するー、するーするー』

 

 ヨルの掌が、俺の後頭部へと添えられている。そして、もう片方が俺の背にまわされているのが分かる。ギュッとされている。俺は今、ヨルにギュッとされているのだ。

 俺は嬉しいのだが、ヨルが俺の名を呼ぶその声は、酷く震えていて泣きそうなのが少しだけ気になった。

 

 ヨルは俺に会えたのに、悲しいのだろうか。

 

『すまなかった。大変な時に、俺はお前を一人にしたな……俺は、とんだ役立たずだ』

『何を言っている!ヨルは一番来て欲しい時に来てくれたじゃないか!』

 

 けれど、俺が何を言おうともヨルは俺を抱き締める手を緩める事はなかった。どうやらヨルは酷く何かを後悔しているようだ。

 

『スルー。俺は傍に居るという……ごく当たり前の事すら、お前にしてやれない。俺はもう、自分に嫌気が差したよ』

『……ヨル。なぁ、ヨル』

 

 メェメェ

 

 可愛い鳴き声が腹の方でする。これじゃあまるで、俺のお腹に赤ん坊が居るようではないか。暖かくてくすぐったいと、ヴィアもインやニアが腹に居る時に、よく言っていた。

 

俺の腹も、今暖かくてくすぐったい。

 

『ヨルは居てくれたよ。ずっと俺の傍に』

『……気休めはいい。俺はこれからも、何かお前が辛い時、望んでも居ない都合でお前から遠く離れた場所に居るに違いない。貴族など……縛りばかりで、本当にどうしようもない』

 

 ヨルは寒いのだろうか。

俺は自身の顔のくっついたヨルの肩が微かに震えるのを感じた。寒いのなら、もっとくっつこう。俺は裸だから、きっとくっつけば温かいと思うのだ。

 そう、俺はヨルの背に自身の手を回した。

 

 よしよし、よしよし。

俺より可愛い、愛おしい人。

 

『ヨル、本当さ。ヨルはずっと俺の中で俺を強くしてくれていた』

『……だから、気休めは』

 

 そう、俺の後頭部に添えられたヨルの手が、グシャリと俺の髪の毛を乱す。まったく、ヨルは最後まで話を聞かないのがいけない。

 

『俺のお腹の真ん中にはな、小さい俺と、あとヨルが居るんだぞ』

『……それは、どういう意味だ』

『そのままさ。俺の中にはヨルが居る。だから、俺はヨルが居ない時も、ずっとヨルと居た』

『……俺と』

『そうだ、ずうっとヨルは居る』

 

 俺は腹の所で『メェメェ』と鳴く子羊に身をよじりながら、小さくふふと笑う。そう、こんな風に俺のお腹にはヨルが居る。ずっと、居る。

 

『……ヴァーサスが死んだ時も、あの老いぼれから八つ当たりされた時も、オポジットやオブに助けてを言う時も、森で一人だった時も。不安に思った時、俺はいつもヨルの事を考えた。ヨルが居るから、まぁいいやってどんな事も、不安じゃなくなった。なぁ、ヨル。それは傍に居るのとは、違うのか?』

『……っ』

 

 耳元でヨルの息を呑む声がする。

 出来ればヨルにとっての俺もそうであって欲しいのだが、どうだろう。ヨルにとって俺はヨルのお腹の中に居るだろうか。