91:金持ち父さん、貧乏父さん(91)

『そうかっ!そっか!じゃあ、俺はこれからも特別に、ザンと色々な事をしてもいいんだな!?』

『どうぞご勝手に』

『口付けも!抱擁も!よしよしも!たねっ』

 

 種まきも、と口にしようとした時、俺の口はヨルの綺麗な掌で抑え込まれていた。何故止めるのかと、ヨルの方を見てやれば、もうそのヨルは真夏の昼間のように、大量の汗をかいていた。

 はて、今は夏真っ盛りだっただろうか。冬の入口に差し掛かった所だと思っていたが。

 

『いい加減にしろっ!スル―!……オポジット、さっさとこの家畜達を村へ連れて帰れ!』

『あぁ、俺達はその為に来たんだ。お前がそう言ったんだろ?こんなモンまで俺に持たせて……使う機会も無かったがな』

 

 そう言ってオポジットがヨルに、何やら小さくて固そうなモノを手渡している。あれは一体何だろう。

 

『貴族は銃なんてモノも持ち歩くんだな』

『……護身用だ』

 

 ヨルは熱を吐き出すように言うと、オポジットからその固いモノを受け取り、自身の腰に突っ込んだ。

 へぇ。あれが“銃”というヤツか。

 昔、狼狩りに来た連中が持っていた猟銃とは、また見た目が全然違うのだな。ほう、へぇ。

 

『さて、なら羊達を連れて帰るか。……子羊が四頭。まさか、双子まで居るとはな』

『おう!けもるが産んだんだ!』

 

 オポジットや村人達が俺達の足元に居る羊の子らを見て、思わず顔を綻ばせるのを、まるで俺は自分の子であるかのように得意気な気分で見ていた。

 

『オポジット……スルーは一旦屋敷に連れて行くぞ』

『はいはい、好きにしろよ』

『違うからなっ!このナリではあんまりだから、風呂にっ』

『だーかーら、好きにしろよ!?別に俺達は何も言ってないだろ!』

 

 どうやら、俺はこれから村には帰らずにヨルの屋敷に行くらしい。このナリ、と言われた自身の体を上から眺めてみれば、確かに俺は酷い有様だった。体中、けもる達の出産で出たベタベタでぬるぬるしているし、一日中走ったので、酷く汗臭い。

 

 正直、川は寒いのでヨルの屋敷のお風呂に入れて貰えるのであれば、それは非常に有難かった。

 

『オポジット、その子らの名前は俺が明日きちんと付けるからな!勝手に変な名前を付けるなよ!』

『あぁぁあもう!お前ら本当に面倒臭ぇな!さっさと屋敷で、口付けでも情交でも好きにしてろっ!俺ももう早く帰って寝たいんだっ!』

『だからっ!違うと言っているだろうがっ!』

 

 

        〇

 

 

 そんなヨルの大声が夜の森に木霊して、その日の一日は幕を閉じた。

 

 幸いな事に、家畜は全員無事どころか、最終的に数を4頭も増やしたので、家畜場は非常に賑やかになった。

 

 

 帰ってみると、あの老いぼれは、もう俺には一切関わって来なくなった。

むしろ、家にも来るなと言われるようになってしまったので、俺としては願ったり叶ったりだ。

 

——-もうっ、私に構うなっ……汚らわしいっ!

 

 全く、最後の最後まで酷い言われようだ。

けれど、足も悪くないなら世話する必要もないのだから、当然と言えば当然だろう。

ただ、ヨルを見ると酷く怯えた様子になるので、もしかしたらヨルが何か言ってくれたのかもしれない。

 

それに、あんなに怒っていた筈の村の皆も、俺が帰った時には、そんなに怒っていなかったので、俺としてはホッとしたのだった。

 

『おーい!ザン!今からこの子らの名前を決めるから、お前も来―い!』

『……俺はいい』

『ダメだ!けもるの子は、ザンが上手によしよしして助けたんだから、ザンが付けるんだ!』

 

 村の子らが家畜場で子羊達を撫でる中、俺は広場でオポジットと何やら話しているヨルへと、けもるの第一子を抱えて見せてやった。すると、けもるの子はやはりヨルが好きなのだろう。

 

 メエェェェッ!

 

 ヨルを見るなり、それまでの鳴き声とはうってかわった叫び声を上げた。きっと、訳するとこうだ。

——ヨルヨルヨルヨール!

 

 これは俺がヨルを見ると思わず言ってしまう台詞そのものだ。あぁ、気持ちは凄くよくわかるぞ、けもるの子。

 

 すると、俺の足元ではけもるの第二子が『ぼくも!』と言わんばかりに俺の足元に頭突きを食らわせてくる。俺は不公平はいけないとばかりに、白いふわふわの子らを両腕に抱え込むと、スリと俺の頬にそのフワフワを寄せた。

 

 あぁ、気持ちが良い。やわらかい、素敵なフワフワだ。

 

 そして、頬に寄せた子羊達と、もう一度大声でヨルを呼ぶ。

 

『ザーーン!』

メェェェェェッ

メエェェェェッ

 

 こうして呼べば、ヨルが来てくれるのは分かっている。

 次の瞬間には、きっと『まったく』という顔で来てくれるんだ。

 

 ヨルがこの村を出るまで、あと季節は、この冬。そして、春と夏を残すのみ。

この子らの名前でもいい。残りの季節で、俺はこの村に、ヨルの暖かさの残るモノを出来る限り残したい。

 

『まったく……オポジット。少し頼む』

『あぁ、言ってこい。でないと、うるさくて敵わん』

 

 残ったヨルの暖かさと、心の中のヨルとで、俺は約束の日まで生きるのだ。

 

『ザーン!』

 

 俺は、ヨルを、心から愛している。

 

 

 

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———

—-

 

———スルー。村の併合が完了したら、正式に首都に戻る事が決まったよ。

 

 あぁ、とうとう恐れていた日が来た。

 俺は納屋の隅にある藁の上で蹲りながら、自身の荒い息に身を委ねた。

 

『ヨル……』

 

 俺は久々なまでの体の不自由な感覚の中で、自身の腹を撫でた。ここには、俺のヨルが居る。

 

 あぁ、あと数回しか会えないのに。俺は一体何をやっているんだ。

 俺は熱いのに、まるで体の中身は真冬の川の中のような、ままならない感覚の中、目を閉じた。

 

 目を閉じ、そこから何故か、とても嫌な夢へとドプリとその身を委ねたのだった。

 

 

 それは、俺が全てを失う、とても恐ろしい夢だった。