そう、それとだ。
今のところ五つの疾風が村にやって来たけれど、かつて荒地の街道と呼ばれていたあの場所はビクともせずに、ちゃんと街道としての機能を果たしてくれている。
そのお陰か、通りの向こうにある隣村との交流も、盛んになってきた。最近では、ヨルはそちらの村と行き来をして、色々と何かをやっているようだ。
———交易の中心は、一カ所にまとめた方が都合が良い。
どうやら、村と村を合体させて一つの大きな街にしようと考えているらしい。
———街になれば、もう村長など小さな村社会の長は必要ないだろう。新たな長は、新たな方法で決めれば良い。
そう言って笑ったヨルの顔を、俺は未だに忘れられない。
だって、月にまで登るような程、素敵な笑顔だったのだから!
そして、俺は改めて思ったのだ。
やっぱりヨルの考える事は、物凄く変わっている、と。さすが、俺と同じ“変わり者”なだけはあると思った。だって、そんな事今までこの村て暮らしていて、これっぽっちも考えつかなかったのだから!
その頃には、もう村の老いぼれ達も何かヨルに反対しようにもその力を随分と弱めていたので、大きな反対は起こらなかった。
昔に固執する奴らは、一人、また一人と寿命を迎えて死んでいくか、いつの間にかヨルの考えに賛成したりしていたのだ。
実際に、村に金が入り始めた事で、どうやら反対する気がなくなったらしい。今では、最初からヨルに賛成していましたと言わんばかりの態度なのだから、見ていて笑えてくる。
ちなみに、俺の親父はまだまだ生きてる。
全然死なずに、結局一人で体もピンピンしているので、そういう所だけは俺とよく似ているなと思ったりもした。
早く死ねばいいのに、とは思わなくなったが、いつになったら死ぬのやら、とは未だに思う。まぁ、アレを見てると、まだまだ死ななそうだ。そういうしぶとい所を見ると、なんとなく俺とソックリだなと不思議な気持ちになった。
本当の親子でもないのに、ヘンテコなものだ。
『お父さん!』
『っ!なんだ?イン?』
俺が一つのレイゾンを前に、ぼんやりと立ち尽くしていると、房の向こうからインの不機嫌そうな声が聞こえてきた。あぁ、まだインの声は声変わり前だ。まだ、透き通るような高い声をしている。
けれど、きっともうすぐでこの高い声ともお別れに違いない。
『何ボーっとしてるの!早くやるよ!俺なんて、もうこんなにたくさん収穫したんだからね!早く終わらせなきゃ!』
『早く終わらせてどうするんだ?』
『オブの所に行くの!もう、残りはお父さんだけにやってもらうからね!?』
相変わらず、インの二言目はやはりオブだ。俺にとっての二言目が、ヨルであるのと同じくらい、インにとってはオブは月と同じくらい素敵で大好きな存在なのだろう。いや、もしかすると、インにとってはオブは月そのものなのかも。
『悪かったよ。俺も急ぐから、俺を一人でおいて行こうとするな!』
『もうっ!明日はきっと疾風で遊べないから、少しでも早くオブと遊びたいのに、お父さんが遅いから!もう!もう!』
インがプリプリと怒りながらレイゾンの収穫へと戻っていく。そうか。確かにそうだ。
それは俺とヨルも例外ではない。さすがの俺達も、疾風の最中にあの原っぱでダンスをしたり、二人だけの森の秘密基地でお喋りをし合ったりは出来ない。
だとすれば、俺も早く仕事を終わらせてヨルの所に行くようにしなければ。
なにせ――。
———スルー。村の併合が完了したら、正式に首都に戻る事が決まった。
『っ!』
その瞬間、ヨルの言葉で何故か聞いた事もない言葉が耳の奥で聞こえてきた。いや、そんな言葉、ヨルの口から一度も聞いた事なんてない。
俺は思わずレイゾンに添えていた自身の掌を、俺の腹へともって行った。もしかして、今のは俺のお腹の中に居るヨルが言ったのだろうか。
『お父さんっ!もういい加減にして!』
『わかった!わかった!ごめんって!』
俺の中に、ほんの少しだけ湧き上がって来た不安はレイゾンの向こうから怒鳴り声を上げてきたインによって一気にかき消されてた。
ともかく、今はレイゾンの収穫を急がなければ。そうしなければ、きっと明日の明け方近くには疾風がやって来る。インが自身の素肌に触れて口にするその感覚は、酷く鋭敏で間違いが少ないのだから。
『ヨル……まだ、居てくれるよな』
俺は目の前にあった、熟する直前のレイゾンを手に取ると、勢いよくもいだ。
〇
『ヨルヨルヨルヨルヨール!』
『これまた凄い勢いだな、スルー』
俺は今日も今日とて、やるべき事をきちんと終わらせてヨルの元へと駆けた。この声の大きさが、きっと村人達に俺達の事がバレるきっかけになったのだと思うのだが、どうしたって俺は自分の勢いを抑える事が出来ない。
夜を背負うヨルを見たら、俺は昼間以上に胸が高鳴って仕方がないのだ!
なにせ、俺はヨルの“こうしんりょく”なのだ。
ヨルを見たら駆け出して、嬉しさの余り声を上げずにはおれない。だから、俺は自分の体を止める事なく、ヨルの方へ突っ込んで行く。
すると、昔はスルリと俺から体を避けていたヨルが、今では全く違った行動を取る。
『まったく。良い大人が……転ぶぞ』
『あははっ!ヨルが居る時は、絶対に転ばない!だってヨルは俺の本当の“まさつりょく”だろ!』
『……まったく』
俺の体は腕を開いたヨルの中に勢いよく飛び込んでいた。飛び込んだ拍子に、俺の背にヨルの腕が回されるのが分かる。
俺は今、しっかりとヨルに抱擁されているのだ。それが嬉しくてたまらない俺は、しっかりとヨルの腕の中で、ヨルの匂いをたくさん吸い込んだ。
これは、ヨルには言っていない俺の秘密の日課だ。
『明日は疾風が来るそうだな』
『インから聞いたか?』
ヨルは俺を抱き締めたまま、頭の上から尋ねて来た。俺の体はヨルの“まさつりょく”によってしっかり止まったけれど、未だにヨルは俺の体を止め続けている。
俺の背中に回されたヨルの腕が、何故だかいつもより力強く感じる。
以前、俺は“こうしんりょく”によって激しく転がる俺を避けるヨルこそが、俺の“まさつりょく”だと思っていた。
けれど、“まさつりょく”は“こうしんりょく”と反対の、止める力なのだ。だから、本当は俺を避けて逃げていたヨルは、本当の所は“まさつりょく”ではなかった。
本当の“まさつりょく”はこうして、転がってまわる俺を受け止めて止めてくれる“今”のヨルだ。
今のヨルこそが、本当の俺の“まさつりょく”になったのである!