94:金持ち父さん、貧乏父さん(94)

 

 

『あぁ。今回の疾風は大きいそうだな』

『そうだな。そろそろ来るとは思っていたが、インが言うのだから間違いないだろう。なんだか、いつも以上に肌がベタベタするらしい』

 

 いつもなら、この辺りでヨルは俺の背から腕を緩める頃合いだ。そうしなければ、いつものようにお互いに顔を見て話せないから。

 けれど、今日のヨルはどこか違った。全然、俺の背から腕を離そうとしてこない。むしろ、その腕は強くなるばかりだ。

 

 どうか、したのだろうか。

 いつもと違うヨルの様子に、俺は少しだけ腹の中のヨルが難しい唸り声を上げるのを聞いた気がした。

 

——-なぁ、スルー。

 そう心の中のヨルが何度も俺へと語りかけるが、けれど一向にその先を口にしようとはしない。

 

『……空気の揺らぎと湿気をそこまでハッキリと感じる事が出来る、か。インは肌の感覚が鋭敏で感じやすいのだろう。それは素晴らしい才能だな』

『ほう!やっぱりか!さすがは俺の息子だ!明日インに、お前は肌がエイビンで感じやすいのが素晴らしいとヨルが褒めていたって教えてやらねばな!』

『……いや、その言い方は止めてくれ。まるで、俺が変態のようではないか』

 

 頭の上から、クスクスというヨルの軽い笑い声が聞こえる。俺は、一体何がおかしいのかわからなかったが、ヨルが楽しいのは嬉しいので、俺もつられて笑っておく事にした。

 

『なぁ、ヨル』

『どうした、スルー』

 

 俺の呼びかけに、いつものように優しい声で答えてくれるヨル。そんなヨルに、俺はいつものヨルだ、と必死にお腹の中で不安を募らせる、小さなスルーを宥めすかした。

 けれど、俺の中から消えぬ、妙にソワソワする感覚。

 

 それは俺の背に回されたヨルの手から感じる。ヨルの手は、まるで俺に縋りつくようにギュッと俺の背に指を立てていた。

 

『ヨル……どうして今日は抱擁を止めない?』

『……スルー』

 

 だから、俺はヨルの肩に頬を寄せながら尋ねた。本当は尋ねてしまうと、とてつもなく聞きたくない話へと繋がってしまう事は分かっていた。

分かっていたけれど、俺はこういう性質なのだ。気になった事を、そのままには出来ない。

 

『俺の顔を見ると話し辛い事でもあるのか?』

『いや、別にそういう訳では……』

 

 先程まで笑っていた筈のヨルが、俺の耳元で言い淀む。俺はヨルの腕の中で、自身の腹を撫でた。

 

 最近、ヨルは意地悪だ。

 今までは俺が自分で村人達と交流しなくても、ヨルが上手い事やってくれていたのに。

 

 疾風の事も、家畜場の事も、荒地の街道の事も、村の代表者に関する事も。そんない色々な事を、俺が発言しなくとも、ヨルが代わりに俺の気持ちを口にしてくれていた。

 けれど、夏に入ったあたりから、ソレをしてくれなくなったのだ。

 

——–スルー、お前ならどうする。

——–スルー、お前はどう思った。

 

 そう、ヨルは何かにつけて、俺から皆の前で“スルー”の意見を俺の口から引き出そうとしてくるようになったのだ。

 本当は自分の意見を皆の前で口にするなんて、どうせ聞いて貰えないから無駄だと思っていた。それに、わざわざ口にして否定されるとガッカリするので、あまり口にしたいとは思っていなかったのに。

 

 けれど、ヨルが尋ねてくるなら、答えなければならない。

 だって、俺はヨルの“こうしんりょく”なのだ。ヨルを無視なんて出来ない。

 

———えっと、俺は“村長”は、皆で決めた方がいいと思う。血なんて、意味がないと思うし。俺、村長なんて、無理だ。やりたくない。

 

 だから、ポツポツと俺も皆の前で喋るようになっていった。

それに対し、皆がどう思ってるかなど、そんなの俺は知らない。けれど、思ったよりはバカにされたり、無視されたりもしないので、今の所、俺はそれほどガッカリした気持ちにはなっていない。

 

———そうか。それが、お前の意見なんだな。スルー。よく分かった。

 

 けれど、そんな風にヨルは俺から少しずつ心の手を離し始めた。まるで一人で立って歩き始めた幼子の手を離し、親が傍で見守るかのように。

 目を離しはしないけれど、決してもう両手を支えて共に歩く事はない。

 

———スルー、お前。今日はよく自分の口で意見を言えたな。良い子だ。

 

 ただ、ヨルの外側である“ヨルの体”は、全然違う顔を見せる。

 

 ヨルの心の手は、子の成長を見守る親のように離して来たのに、その体は全然違うのだ。

こうして俺にギュッと抱き着いてきたり、口付けをしたり、俺の中に入って来て気持ち良くなったり。

ヨルの体は俺を掴んで離さない。そう、まさに今のヨルのように。

 

 それはまるで――。

 

『ヨル、当ててやろうか』

『ほう、何をだ?』

『ヨルはこう言いたいんだろ?』

 

 背中に回されたヨルの手が、俺の体を撫でる。その手には、蕩けるような熱と、迷子の子供のような戸惑いが同時に感じられる。

 まるで、離れたくないと駄々をこねる、子供のような、そんな大人の手だった。

 

『“村の併合が完了したら、正式に首都に戻る事が決まったよ”』

『っ』

 

 ヨルの息を呑む声が、耳元で響く。ついでに、ヨルの体もビクリと震えた。

 ただ、ヨルの俺に回された腕だけは、その力を増すばかりで、どうしても離れようとはしない。

 

『……スルー』

 

 その言葉は、俺の腹の中のヨルが幾度となく俺に語りかけて来た言葉だ。それは俺の恐怖を煽るだけの幻想の囁きではない。ずっと前から。それこそ出会った頃から決まっていた、サヨナラを告げる言葉だった。

 

 

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