98:金持ち父さん、貧乏父さん(98)

 

『……これは』

 

 しかし、ザンの伸びきった背筋は村の荒れ果てた状況に、一気に肝を冷やす事になった。

 

 倒壊している家屋は見当たらないが、それにしても酷かった。いつもの、どこか安穏とした村の様子は、今回ばかりは飛び散った木々や、あらゆるモノで正に“嵐の後”と言った風体となっている。

 

『よお、ザン。昨日の疾風は酷かったなぁ』

『オポジット……。これは』

『あ?驚いたか?酷い疾風の後は、いつもこんなんだよ』

 

 そう、どこかあっけらかんと言ってみせるオポジットに、ザンは戸惑いつつも周囲を見渡してみる。そこには、別になんてことない様子で、村人達が淡々と自宅の周囲の片付けや、家の点検をしている様子が、ザンの目に映る。

 

『逞しいな』

『まぁ、泣いて嘆いても仕方がないからな。やる事やんねぇと、食ってけねぇし』

 

 オポジットの言葉に、ザンはふとあの日の夜のスルーの言葉を思い出した。

 

———なぁ、何を言ってるんだ?もう帰ってしまうんだったら、避けたらダメだろ?

 

 そうだ。この村人達は毎日生きる事に必死だ。泣いて嘆いてどうにもならない世界で、まずは生きる事に必死にならねばならないからこそ、無駄な場所で立ち止まったりしないのだ。

 

『でも、昨日の奴は本当にヤバかったぜ。ありゃあ、夜中にスルーが駆け回って俺達を叩き起こさなかったら、残りのレイゾンは全部ダメになってただろうな』

『スルーが?』

 

 ザンは自身の心境の全てを埋め尽くす男の名に、ヒクリとその耳を揺らした。スルーが一体どうしたと言うのだろう。

 

『そうだ。何故か、昨日はアイツが夜中、村の皆のレイゾン畑を見回っていたみたいでな。あの嵐の中だ、皆気になってもなかなか外に出れずにいた所を、スルーが最初は一人で色々やってたみたいだ』

『……なぜ、そんな事を』

『さぁな。ただ、アイツ。昨日はかなり様子がおかしかったぞ。いつも以上にヘラヘラして、濡れるのが楽しいみたいに、裸足で駆け回ってたな』

『……スルー』

 

 様子がおかしい。

 ザンはどう考えてもそれが一昨日の晩の自分のせいだと、すぐに分かった。今もそうだ。なにせ、スルーを思い出そうとすると、あの悲し気な声で何度も何度も自分の名を呼んでいた彼の声しか浮かんでこないのだ。

 

 背を向けていたせいで、その時スルーがどんな顔をしていたか、ザンは思い浮かべる事すらできない。

 

『どうせ、お前がスルーに何か言ったんだろ?早く何とかしてやれ。じゃなきゃ、そのうちあいつは人間を止めるかもしれんな』

『……どういう事だ』

『いや、色々終わった後、さぁもうさすがに寝るぞと皆家に帰ろうとしても、アイツ、まだまだ動き足らんと、今度は家畜場の点検だと言って駆け出して行った。ありゃあ、もう止まる事を忘れて駆け回る犬だな』

『それは……普段からだろう』

 

 オポジットの言葉に、ザンはなんだか自分がどんな気持ちになってよいのやら分からなかった。雨の中を駆け回って村のレイゾンを救ったというスルーを褒めればよいのか、嵐の中を駆け回るという愚行に怒ればいいのか。

 

 それとも――。

 

『いや、まだ話はおわらねぇんだよ。さすがの俺も、昨日のアイツの様子が気になって、一応、家畜場の方へ行ってみたんだよ』

『……』

 

 ザンはオポジットの口から出た『明け方』『家畜場』という言葉に、酷く予想のつきやすい嫌な予感が脳裏を過るのを感じた。

 

『そしたらアイツ。体なんかびしゃびしゃのまま、羊達と家畜場で一緒に寝てんだよ』

『まったく』

 

 予想通りだ。

一晩中嵐に打たれ、体も拭かずに挙句、家畜と共に寝所を共にするなど、オポジットの言う通り、スルーは自分を人間だと思っていないのかもしれない。

 

ただ、スルーは確かに野生味のある男だが、決して動物のようなフカフカの毛皮を持つ生き物ではない。

 スルーは野生が全ての師であったせいで、やたらと野生の生き方に傾倒してみせるが、それは人間がそのまま真似をしていいような生き方ではないのだ。

 

『スルーは?』

『もちろん叩き起こして家に帰したさ。けど、ありゃあさすがのアイツも具合が悪そうだった』

『……当たり前だ』

『今頃、いつものように納屋にでも籠って丸まってるんじゃないか?お前から、助言なりなんなりしてやれ。でなけりゃ、さすがのアイツも早死にするぞ』

 

 オポジットはそこまで言うと、家の中から家族の呼ぶ声に、ザンの隣から離れて行った。

 

『早死に…』

 

 ザンは先程のオポジットの言葉を繰り返す。そうなのだ。貴族の自分達と違い、この村のような場所では平均寿命が大幅に低いのだ。正直、スルーが口にする“老いぼれ”と言われる年齢層の者達は、決してザンにとっては“老いぼれ”ではない。

 

 どう見ても五十代やそこらの人間達に使う言葉ではないのだ。

 けれど、確かにこの村では村人達が大した事のない怪我や病気でコロリコロリと死んでいくせいで、そう言わずにおれないのだろう。

 

 この村の人々にとって“死”とは、限りなく日常の小脇に転がっている、それこそ小石のような事象でしかないのだ。

 

『スルー、約束を忘れていないだろうな』

 

 ザンは嵐の後のカラリと照り付ける太陽の下、その足をある一つの小さなボロ屋へと向けた。