99:金持ち父さん、貧乏父さん(99)

 

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 嫌な現実が追いかけてくる。

 

———スルー。村の併合が完了したら、正式に首都に戻る事が決まったよ。

 

 そう言ってヨルがなんて事ない顔で、俺から背を向ける、酷く悲しい現実。

だから、俺は何かにぎゅっと抱き着きたくて、けもる達の所に行った。けもる達は皆で身を寄せ集まって寝ていたので、俺も仲間に入れてもらおうと、ソッと一緒に寝た。

 

 柔らかいふかふかが俺の手に触れる。

 そのふわふわは、俺の手を握り返してくれる事はなかったが、一人で寝るより、幾分マシだった。

 

 けれど、途中から体が酷く寒くなった。

寒くて寒くて、けもる達にもっと身を寄せた。けれど、どうやっても寒いのはなくならず、外から聞こえていた、ひゅうひゅうごうごうという音が鳴りやむ頃には、俺は寒くてガタガタ震えているのに、体は酷く熱いという、酷くヘンテコな状態になってしまっていた。

 

 あぁ、やってしまった。

 この感覚は久々だ。二年前のインのように、俺も風邪を引いてしまったようだ。

 

 藁の中で蹲る俺に、けもるがグイグイと鼻を押し付けてくる。

 

『う、うぅ』

 

 そのうち、何故かやって来たオポジットが俺の体を起こして『家に帰れ』と言ってきた。

正直、もう歩くのも辛かったのだが、確かに家畜場に居続ける訳にもいかないので、俺は言われるがまま、まだ日の登り切らぬ、誰も居ない村の小道を歩いて家へと帰った。

 

 家の戸を開けると、ヴィアが既に起きていた。

 

『あら、スルー』

『……ヴィア』

 

どうやら、朝食の準備をしているようだ。けれど、いつもならすきっ腹を刺激してくるその匂いも、今の俺には、気持ち悪さしか感じない。

 

『スルー。聞いたわよ。あなたって本当にバカね』

『……今日は、納屋で寝る』

『まったく。ベッドで寝なさいな』

『イン達にうつる』

 

 俺の短い言葉に、台所に向かっていたヴィアが困ったような顔で、俺に近づいて来た。

 

『もう、イン達も大きいわ。きっと大丈夫よ』

『でも、ヴァーサスは十八歳なのに死んだ』

『まぁ、それを言い出したらキリがないわ……ほら、濡れた服を脱いで』

 

 ヴィアに言われるがまま、俺は藁だらけでしとしとの自分の服を脱いだ。

 

『新しい服を着る前に、体を拭くわよ』

 

びしゃびしゃの俺の体を、ヴィアが自分のスカートで拭ってくれる。ヴィアは普通の女の人達と違って、余り身なりを気にしない。そのうち、拭いにくいと感じたのか、着ていた服を脱ぎ、自分の服を手ぬぐいのように使って俺の髪の毛を拭ってくれた。

 

 そのせいで、ヴィアは家の中なのに薄っぺらい下着姿になってしまった。

まぁ、俺なんて素っ裸なのだが。あぁ、もう。酷く寒い。

 

 こういう所が、他の村の女の人から浮いてしまう理由だと、ヴィアは余り気付いていない。元々、狩猟民族の族長の娘だったのに、権力争いの中、どうにかして一族の血を残すという理由で、ヴィアだけこの村に置いていかれたのだ。

 

本当は一族の皆とずっと一緒に居たかっただろうに。

 

 この村は余所者には中々厳しい。だからこそ、ヴィアは良い奴なのに、こんな変わり者の俺の所にしか嫁ぐ先がなかった。

 

『ヴィア、ごめん』

『なあに?風邪を引いて弱気なの?』

『そうだ、体がとても熱いんだ。俺は死ぬかもしれない』

『死ぬ人はね、死ぬ前に死ぬって言わないのよ。死ぬ人は、ビックリするくらい急に死ぬから』

『……そうなのか』

 

 それは初めて知った。

けれど、そう言われればそうかもしれない。俺の兄弟達も、死にそうな時には『死ぬ』とは口にしなかった。皆、気付いたらあっという間に死んでいた。

 

 俺はヴィアに手渡された濡れていない服に袖を通しながら、ぼんやりする頭で納得した。

 

『じゃあ、俺は死なないから……納屋に行く。だからイン達は、』

『まったく、強情ねぇ。ええ、ええ。分かってるわ。絶対に近寄らせないようにするから安心して』

『……レイゾンは多分、大丈夫だ。元気になったら、俺がやるから』

『畑の事も気にしなくていいわ。今はゆっくり休みなさい』

 

 そう言って、ヴィアはソッと俺の頬に触れた。そこは、以前俺が自分で自分を殴った場所だ。

そんなヴィアからかけられた優しい言葉に、それまで我慢していた涙が驚くほど簡単に流れた。

 

 ぽたり、ぽたり。

 

『っうぇぇ』

 

 泣いても無駄なのに、もうどうにも止められない。

俺は涙と鼻水が一気に流れ出てくるのを、手の甲で拭ってみるが、それは全然止まる気配を見せなかった。すると、ヴィアが着かけていた自身の服をもう一度くしゃくしゃにして、俺の顔を拭ってくる。

 

『っは、はやく、ふくをきないと、がぜを、ひぐぞ』

『まったく、風邪を引いている子に言われたくないわ。よしよし。悲しかったわね。昨日、私がインを取ったから寂しくて外に出て行ったのよね。ごめんなさいね』

『うええええっ』

 

 俺はもう何が悲しいか分からないまま、声を上げて泣いた。あまり大声で泣くと、イン達が起きてくるかもしれない。

 でも、どうにも止められないのだ。一度決壊した涙の土砂崩れは、全部崩れ終わるまで止まらない。

 

『うあああっ』

『よしよし』

 

 たまに思う。俺は、こうして母さんに抱きしめられて頭を撫でられた事なんてなかったが、ヴィアにこうされると何だかとても『母さん』と叫びたくなる。

 ヴィアは俺の連れ合いであって、母親ではないのに、とても不思議だ。

 

『かっ、かあさぁん』

『あら、私ったら息子が二人になったわ』

 

 不思議だと思っていたら、思わず俺の口からヴィアの事を“母さん”と呼んでしまっていた。

 どうやら、俺は母さんと婚姻したらしい。道理で、ヴィアと一緒に居ると安心すると思った。ヴィアは俺の母さんだったのだ!

 

『……』

『……』

 

 俺はヴィアに抱き着いてひとしきり泣いた。泣いて、納屋に行くまでの間、寝室の扉の向こうからインやニアが驚いた顔でこちらを見ていたなんて、頭のぼんやりとしていた俺は、全く気付きもしなかった。