276:新しい家族

 

 

「よーし!まずはシャワーだ!分かるか?シャワー!温かい雨の事だ!」

「……」

 

 そう言ってプラスが男の子を自身の前へと下ろしてやり、目の前で両手を広げてみせた。すると、その男の子は一瞬にして、その幼い眉間に深い皺を刻み付けた。

 

そりゃあそうだろう。急に見知らぬ男に連れてこられ、シャワーを強要されているのだ。これでニッコリ笑っていようものなら、その方が異様である。

 

けれど、そんな男の子の様子など、プラスは一切気にした風ではない。むしろ、その眉間の皺の深さと相反するように、プラスの気分は上昇の一途を辿っているようだった。

 

「さてさて、可愛い子よ!俺と楽しくあったかい雨を浴びよう!それに、可愛い子はまだ小さいから、大きな風呂桶をもってきて、温かい川も作ってやるぞ!」

「なぁ、プラス。ちょっと、少し落ち着こうよ」

「なんだぁ?アウト!さてはお前も一緒に入りたいんだろ?でも、ダメだ!この可愛い子と一緒にシャワーを浴びていいのは俺だけ!そう、温かい川ではな?肩までつかって、数を数えるんだ!いーち、にー、さーんって!楽しいぞ!楽しいな!よしよし、一緒に今から暖かい雨と川で水遊びだ!」

「……っ!」

 

 そう言ってプラスがその小さな子供に手を伸ばすと、その瞬間、プラスの手は勢いよく跳ねのけられていた。

ほら、だから言わんこっちゃない。

 

「もう、プラス。だから落ち着けって言ったのに」

「ぐう。俺は落ち着いてる」

 

 プラスは自身の跳ねのけられたその手に、その眼鏡越しの大きな目をパチパチと瞬かせた。どうやら、本気で手をはねのけられた理由が理解出来ないらしい。

まったく、本当にプラスときたら、ぎょうかんを読めない俺よりも、更にぎょうかんを読めないのだから。

 

 俺がビィエルで学んだ“ぎょうかん”を読む力で、この子の“ぎょうかん”を、プラスに教えてあげないと!

 

「なぁ、プラス。この子さ、親が居るんじゃないの?ダメだよ。勝手に連れて来たら。ねぇ、キミ、お父さんとお母さんは?」

「……」

 

 プラスの手をはねのけた後、どこか辛そうな表情を浮かべて俯いてしまった男の子を前に、俺は何だか胸がしょんぼりとしてしまった。小さな子の、声も上げぬ悲しそうな表情など、痛々しくて仕方がない。

いっその事、大声で泣いてくれたらいいのに。

 

「アウト」

「ん?」

 

 俺が男の子と視線を合わせるように腰を下ろしてやると、その横から急に冷めきったプラスの声がした。こんなに温度のないプラスの声は、俺も初めて聞く。

 

「親ってなんだ?」

「え?」

「毎日俺の歌を夜に一人で聞きに来て、毎日同じボロボロの服を着て、毎日必死にゴミを漁って、今日なんかカラスに虐められてたんだぞ?」

 

 プラスからポンポンと軽く放たれるその言葉は、どうやら軽く返して良いような内容ではなかった。

 俺はプラスの言葉を耳にしながら、俯いてその小さな拳を握り締める男の子を見た。確かに、この子は身に着けているモノもボロボロで、服から外に出ている腕や足なんかは、どこもかしこも傷だらけだ。

 

「……あぁ」

「……」

 

その間も、プラスの言葉は止まらない。むしろ、勢いを増すばかりだ。

 

「それなのに、周りの大人は、誰もこの子を助けようともしない!俺だけだった!アウト!この子に親なんて居ないんだ!もし居たとしても、そんな親なら居ないほうがいい!」

「……プラス」

「なぁ、アウト。この子は俺とアウトで育てよう!そうすれば、きっと立派な夜の王様になれる筈なんだ!」

 

 途中までは俺も、どこかしんみりとした気持ちでプラスの言葉を耳にしていたのだが、なにやら途中から聞き流せない言葉が耳に入り込んで来た。

 

「夜の王様?なにそれ」

「夜の王様は夜の王様だ!この子は夜の王様になるんだ!俺達二人で育てたら、きっとなれる!」

「……」

 

 夜の王様。

 俺はプラスの言葉に、俯いていた顔を少しだけ上げたその男の子の顔を覗き見た。紺色のサラサラの髪の毛。ゴミを漁っていたというくらいだから、決して身綺麗な訳ではなく、ツンとしたキツい匂いが鼻をついてくる。

 

 けれど、そういった様々な事象から“浮浪児”という言葉を、この子は相手に抱かせるような雰囲気をしていない。

 

「夜の……」

 

 静かだが、意思の強さを感じる真っ黒な瞳。それに、汚れてはいるが、ピンと背筋の伸びたその様相は、きっと見た目さえ整えばきっとお金持ちの子にだって見えるに違いない。それに、この子はどこかウィズに似ている気がする。

 

そう、それはこの子がとっても素敵な顔立ちをしているという事だ。

 

「王様かぁ」

 

 ウィズは月の王様なので、確かにこの子とはお似合いだ。夜と月。それは切っても切り離せぬ存在だ。

俺達で育てようとプラスは言っているが、きっとウィズの隣に置けば親子……いや、年の離れた兄弟に見えなくもないかもしれない。

 

「……確かに、そうかも!」

「っ!?」

 

 プラスの言葉に、あまりに合点のいってしまった俺は思わず大声を上げて納得してしまった。そのせいなのか他に理由があるのか、目の前の静かな男の子が驚いたような目で此方を見ている。

 

 この子は最初からずっとスンとした顔をしていたので、なるほど、当たり前だがこういうビックリした顔も出来るんだな、と俺は何故か安心してしまった。

 

「そうだろ!アウト!この子は可愛いし、大きくなったらきっと夜の王様になるから、それまでは俺達でしっかり育てよう!この寮でこっそり飼って、大きくなったら世界をずっと夜にしてもらおう!」

「ずっと夜だったら、いつでも酒が飲めるし最高かもしれないな!」

「まぁ、俺は酒は飲まないが、昼間よりも夜の方がウキウキするから夜がいい!」

「確かに夜はウキウキするな!」

「そうだろ、そうだろ!アウト、お前なら分かってくれるって思ってたぞ!」

 

 俺はずっと夜になって出来っこないとは分かっていたが、そんなのプラスも承知なのだ。こうやって俺とプラスは“出来っこない事”を出来るみたいにして笑って話すのがいつもの事で、それが実はお互いに楽しい事だと知っている。

 

 俺とプラスは、こういう所が“ウマが合う”のだ!

 

「……」

 

 男の子が何やら信じられないモノでも見るような目で此方を見ている。けれど、やっぱり一切喋る事はない。

 

「よーし!そうと決まればこの子はもう俺達の子だ!よしよし!もう安心だぞ!可愛い子!もうカラスになんか、お前を虐めさせやしない!」

「っ!!」

 

 俺の同意を得られたせいか、最初以上に気分を高揚させたプラスは、プラスの真骨頂たる満面の笑みで男の子にギュッと抱き着いた。

そのせいで、男の子の顔と体は、それまで以上にピシリと石のように固まってしまったのだが、もちろん、そんな男の子の様子に、ぎょうかんの読めないプラスは一切気付く様子はない。

 

「プラス。その子急に大人に抱きつかれてビックリしてるよ」

「何を言ってるんだ、アウト!お前はちっともこの子の気持ちが分からないんだな!この子は喜んでるんだ!俺には分かる!この子は俺の愛好者だから!俺に連れて来られて幸福さ!」

 

 なんと、まさかプラスから俺の方が“ぎょうかんが読めてない”と言われるなんて。いや、これはとても納得がいかない。

 だから、俺は「プラスの方が全然分かってないよ!」と言い返してやろうとかと思ったが、その瞬間、俺は口を開くのを止めた。

 

 だって、プラスに抱きしめられたその男の子は、最初こそ石のように固まっていたが、いつの間にか体の力を抜いて、先程までの意思の強そうな目を、ひたりと閉じていた。

 

 その表情はどこか、とても安心しているようで、あながちプラスの言っている事は間違っていないのだと、俺は理解する事が出来た。

それに――。

 

「……やっぱり、俺って全然“ぎょうかん”が読めない奴だなぁ」

 

 先程までしっかりと拳の握り締められていた男の子の手が今では力無く開かれ、微かにではなるが、その手はプラスの背中にそっと添えられていた。

 

「ふふ」

 

 俺は改めて自分の“ぎょうかん”を読む力の無さに苦笑すると、目の前で幸せそうに抱きしめ合う二人の姿を眺めた。何故か二人のその様子に、俺は少しだけウィズに会いたいなぁと思ったのだった。