「じゃあ、ベスト家族計画の作戦会議を開始するぞ!」
「分かった!」
「……」
「……」
プラスは休日の朝早くから、そのよく通る声をこれでもかというほど張り上げた。それに呼応するように、俺の返事も自然と声が大きくなる。
まぁ、ここは半地下にあるウィズの酒場なので、どれだけ大声をあげようとも問題はない。
問題はないのだが……。
「ベストとウィズもいいか!ちゃんと聞いてるか!?」
「……」
「……」
そんな俺達の隣の椅子とテーブルでは、ウィズとベストが似たような顔で此方を見ている。有り体に言えば、二人は心底迷惑そうだ。返事もしないが、むしろその迷惑そうに歪められた表情こそ、大いにプラスに対する返事となりえている。
「プラス。二人ともちゃんと聞いてるから、先に進めよう」
「まったく、ベストには俺からちゃんとお返事の仕方を教えないとダメだな。お前はウィズにお返事の仕方を教えろ」
「うん、分かったよ。ウィズには俺からちゃんと言っておくから」
「……」
まぁ、どちらも気持ちは分かる。
昨日の晩、ウィズはいつものように俺とやりたい事をやりたいだけやり尽くし、やっと寝入った明け方に、プラスによって叩き起こされたのだ。
まぁ、正確に言うならば、下半身の濡れたベストを抱えたプラスが、俺達の寝室へと飛び込んで来たのである。
——–ベストがおねしょをしたぞ!どうやら、ずっとトイレを我慢していたらしい!
ウィズは俺とのまどろみの時間を大いに邪魔され、ベストは自身のおねしょを大声でバラされたのだ。もう、二人共その顔に刻まれた眉間の皺ときたら、余りの深さにこのまま顔を突き抜けてしまうのではないかと思える程であった。
その後、ウィズはもう溜息が呼吸なのではと言わんばかりに、何度も深い溜息をつきながら濡れたベッドシーツの洗濯に精を出した。
そして、ベストはベストでその真っ黒な目をユラユラと揺らしながら「コイツが俺を離さなかったせいだ」と、やはり恨み言を呼吸のようにブツブツと漏らし続けた。
完全に二人共プラスに“お手上げ”状態だ。
「俺達のごはんはヘタクソできっと美味しくないだろうから、毎晩ここにご飯をもらいにくる!」
「わかった!」
「……また勝手な事を」
「食べ物などいらん」
ともかく、俺達のような子育て経験の無い男二人の初めての子育てだ。まぁ、ベストはしっかりしているし、きっと前世ではマナ無しの俺達よりも、凄い経験をしているのかもしれないが、記憶のない俺達にはそんな理屈は通用しない。
この世界で子供なのであれば、もちろん俺達はベストを子供扱いするのである。
「あと、俺達が昼間仕事に行っている間、きっとベストは寂しいと思うんだ!」
「そう思う!」
「寂しくなどない」
間髪入れずベストが短くこちらの会話へと入ってくる。けれど、そんな返事などプラスは全く聞き入れる気などないようで、その眼鏡越しの視線は、踊るように今度はウィズの方へと向けられた。
「こんな時に出番なのがキミさ!ウィズ!」
「無理だ」
「何故だ!」
「俺も仕事がある」
「こんな誰も来ない酒場なら、ベストが居ても別に問題はないだろう!」
どうやら、プラスはウィズの仕事が、この閑散とした酒場の経営だけだと思っているらしい。まぁ、確かに俺はプラスにウィズの仕事について話した事はないので、そう思っても仕方がないのかもしれない。
かくいう俺も、ウィズと出会ったばかりの頃は、同じような勘違いをしていた。
——-仕事ってコレじゃないの!?
今のウィズは、昔俺がそう言った時と同じ顔でプラスを見ている。そう、圧倒的なあきれ顔というやつだ。
「プラス?ウィズの仕事はこの酒場だけじゃないんだ」
「そうなのか?じゃあウィズは他に何の仕事をしてる?」
「えっと」
プラスに問われ、俺は少しだけ詰まってしまった。
ウィズはビヨンド教の神官だ。しかも、皇室国教会、パスト本会で教会図書館を担当する、かなりのエリートだ。
「えっと、えっと」
神官は、その特異性のある力もあり、わざわざ自分から「神官だ」と口にする事を控える人間が多い。そんな事をしていれば、少しでも近づこうと有象無象が寄って来て、面倒な事になるらしい。
だから俺はウィズに言われている。
——-あまり、俺の職業を他人に言わない方がいい。お前も面倒な事に巻き込まれる事になるやもしれんからな。
まぁ、プラスならば言っても問題はないと思うのだが、それにしても勝手に俺がウィズの個人的な事に触れるのは気が引ける。
「えっとぉ、何でしょ!」
「ほう!質問を質問で返すパターンか!いいぞ、俺がバシッと当ててやろう!」
あれ?このやり取りも、どこかでやったような気がする。
そう、俺が既視感を覚えながらも、チラとウィズの方へと視線を向ける。ウィズはと言えば、珍しく椅子の背もたれに体重をかけ、疲れたような表情で腕を組んでいた。
ベストはその向かいで行儀よく背筋を伸ばしている。手元にあるベストの為に注がれた橙色のルビー飲料には、一口も口をつけていない。
「ウィズはひょろひょろだから、絶対に肉体労働者じゃないな!」
「誰がひょろひょろだ!?お前よりは随分としっかりしているぞ!」
「顔も青白いから、きっと体も弱い事だろう!可哀想に!」
「どこがだ!?」
凄い。普段は物静かで叫んだりなど一切しないウィズが、プラスを前にするとまるで別人だ。
これは、完全にウィズがプラスに遊ばれている。
「ひょろひょろだけど、ウィズはとても金持ちに見える。という事は、だ。答えはコレしかない!」
「だからっ!俺のどこがひょろひょろなんだ!?あ?言ってみろ!」
「ウィズの仕事はー!」
プラスがウィズの様子に大いに笑いながら、腰かけていた椅子から立ち上がる。立ち上がって、まるで舞台に上がる演者のように仰々しく両手を広げてみせた。
「貴族の道楽病弱息子のウィズは、お父さんの仕事で此処に療養しに来たんだ!」
「っ!」
誰かの息を呑む声が聞こえる。
けれど、それがウィズなのか、ベストなのか、はたまた俺だったのか。俺は気にする事は出来なかった。何故なら、次の瞬間、俺の腕は舞台演者となったプラスに勢いよくその手を掴まれていたのだから。
「そして、療養しにやって来たこの街で!ウィズはアウトに出会って恋に落ちたのさ!」
「うおっ!」
俺はまるでプラスとダンスを踊るように、腰に手を添えられ、物凄い角度で背中を逸らせていた。プラスが腰と片手を支えてくれていなければ、俺は勢いよく床に倒れていた事だろう。
「そして、恋の結び手は、あのヘンテコな鳥さ!」
プラスの言葉は、最早歌のようだった。ヘンテコな鳥と言われたのは、もちろん店の脇に目を瞑って佇むファーだ。
「なぁ、プラス」
「どうだ?アウト、当たりか!」
最早、上半身とふくらはぎがくっつかん勢いで、反り返る俺の顔の方へプラスの顔が勢いよく近づいてくる。これは勢い余って顔がぶつかりそうだ。
「当たりっていうか、それだとウィズは結局、何の仕事もしてないんじゃないのか?」
「おっと、違うぞ!アウト!ウィズはそのうちお父さんの跡を継がなきゃならないから、今はお父さんの元で勉強中!つまり、すねかじりの貴族!つまり、つまり無職だ!」
「結局、無職なんじゃん!」
大いに笑ってそんな事を言われて、俺は最早何をどう訂正して良いのやら分からなくなった。ウィズの様子を確認しようにも、いつの間にか俺はプラスと店の机を器用に避けながら、ダンスをする羽目になっている。
「ララララララー」
そう、気持ち良く歌いながらダンスを踊るプラスは、もう誰にも止められない。プラスにとって、最早ここは舞台なのだろう。
ただ、ウィズは止めてくるかと思ったのに、全く止めてくる事はなかった。もちろん、ベストも黙っている。そのせいで、俺はプラスとのダンスを、歌の第一章が終わるまで、延々と踊り続けたのであった。