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『ねぇ、イン』
『どうしたの?マスター』
俺とインは二人してソファに腰かけながら、互いに体を預け合っていた。けれど、やっぱりどんなにピタリとくっついても、互いの体の温もりを感じる事はない。
まぁ、そりゃあそうだ。俺とインは別の意思を持った存在ではあるけれど、今は一つなのだ。
そう、分かっていても、俺とインは、たまにこうして二人で体を寄せ合う。オブが居ない隙を見計らって。
別に悪い事をしている訳ではないけれど、オブに見つかると非常に面倒なのだ。なにせ、この時間も俺にとってはとても大事な時間なのだから。
いくらオブとはいえ邪魔されたくはない。
そんな俺とインのこっそりした時間を、ヴァイスはこういう。
——–やぁ、アウト。またインと自問自答かい?今は一体何に頭を悩ませてるんだろうね。
自問自答。
それを聞いた時、俺はとても言い得て妙だなと思った。インと俺は別々の存在だけれども、それでもやっぱり“ひとつ”でもあるのだ。
どうやら、俺はインと話す事で自分の中の気持ちや考えを整理しているらしい。むしろ、俺がインと二人きりで話したいと思った時。それはすなわち、俺が何かに悩んでいる時なのだろう。
『インのお父さんってさ。どんな人だった?』
『俺のお父さん?えっとね、すっごく歌が上手くて、ダンスも上手。それに面白くて、村では“変わり者”って呼ばれてたよ!』
『変わり者かぁ』
俺はインの言葉を聞きながら、インの“お父さん”を想像してみた。
でも、ちっとも上手に頭の中に思い浮かべる事が出来ない。どうやら、インのお父さんは俺のお父さんとは全然違うようだ。
『インはお父さんの事、好きだった?』
『もちろん!だって、うちのお父さんは世界で一番のお父さんなんだからね!』
『変わり者なのに?』
『変わり者だからだよ!』
そう、インがあまりにも当たり前!とでも言うように笑うものだから、俺は『そっか』と、何故かアッサリと納得してしまった。確かに“変わり者”は面白いから素敵かもしれない。
いや、“かも”じゃない。絶対に素敵だ!
『ねぇ。でも急にどうしたの?マスター。急に俺のお父さんの事なんか聞いて。また人探し?』
『いや、違うよ。えっと、そうだな』
首をコテリと傾げて此方を見てくるインに、俺は表に居るプラスの事を、どう伝えたものかと思案した。
どうやら、プラスはインのお父さんかもしれないのだ。でも、“ぜったい”ではない。なにせ、プラスには前世の記憶はないのだから確認しようがないのである。だから、例えそれをインに伝えたとしても、インはどうしようもない。
『えっと、その』
『あぁっ!』
そう、俺がウンウンと唸っていると、それまで黙って俺の答えを待っていたインが、その顔をパッと明るくした。
『もしかして、マスターもお父さんに会いたくなったの?』
『え?』
『だから、こうして俺に“お父さん”の話をしたんだ!』
ウィズの真似をして、顎に手を当てて悩む仕草をしていた俺に、インが急に隣から俺に抱き着いてきた。でも、やっぱり俺の体は全然温かくはならない。
温かくなるどころか、その時の俺の心の中には、ひゅうと秋の終わりのようなひんやりとした風が吹いたようだった。
『マスターもお父さんに会えなくて、寂しくなっちゃったんだよね。分かるよ』
『さみ、しい?』
『そう。大人は“寂しい”を言うのが恥ずかしい事だって思ってるみたいだから、俺が特別に教えてあげるけどさ』
『うん』
俺はインに抱き締められながら、それまで心の中を締めていたプラスという、とびきりの笑顔を浮かべる同僚の奥の方に、ポツリと新しい人影が現れるのを感じた。
その人は、プラスみたいに“とびきり”じゃないけれど、とても落ち着いていて、優しい笑顔を浮かべていた。
———アウト、上手に出来たじゃないか。
『寂しい時はさぁ。大人でも寂しいって言って、泣いてもいいと思うよ』
『……うん』
インの言葉に、俺は静かに頷いた。頷いて、もう心の中でしか会えない“お父さん”を思って目を閉じた。
『お父さんに会いたい。さみしい』
『うん、俺もお父さんに会いたい。寂しいね。マスター』
そうやって、俺とインが互いの体を抱きしめ合いながら“自問自答”していると、次の瞬間、俺の意識は乱暴に表の世界へと引き戻された。
『っあ!』
こんな乱暴な引き戻し方をするのは一体誰だ!心地の良かった空間から、一気にサヨナラさせられた俺の気分は、もはや憤慨の一言に尽きた。
そうやって、引き戻された世界で、最初に俺の耳に飛び込んできた言葉はこうだ。
「ベストがおねしょをしたぞ!どうやら、ずっとトイレを我慢していたらしい!」
まったく!変わり者は面白いし、最高に素敵だと思うけれど、“じょうちょ”ってモノに欠ける!
————
——–
—-
——-スルー。俺はここに、いるぞ。
ベストのその小さな口から放たれたその声は、それまで彼が口にしてきた言葉とは全く異なる色調を秘めていた。
それは決して表立って強く表現されている訳でもないのに、こんなぎょうかんを読めない俺でも分かる。
「スルー。やはり、俺はお前に」
ベストはプラスの“愛好者”なんて遠いモノではない。
この男の子は……、ベストはプラスを、
「ずっと、寂しい想いをさせていたのか?」
愛しているのだ。
「ベスト……」
本当は、一刻も早く倒れたプラスを抱えてベットに連れて行くべきなのだろう。けれど、俺は目の前に静かにたたずむ二人の様子に、ただ見守る事しか出来なかった。
まるで、胎児のように体を丸めた体制で倒れ込んだプラス。そんなプラスの手を両手で必死に包み込み、その手を自身の額に添えるベストの姿は、まるで神様に祈りを捧げているようだった。
「意識の無い人間に何を問いかけても答えは返ってきませんよ」
「ウィズ?」
そんなベストの姿に俺が思わず見入ってしまっていると、それまで俺の背後で、俺と同じように黙って二人を見下ろしていたウィズが、何故か酷く畏まった口調でベストに話しかけていた。
そして、次の瞬間、ウィズの口から放たれた言葉に、俺はピシリと体と思考が固まるのを感じた。
「父さん」
トウサン。
聞き間違いか、それとも此処には居ない“トウ”を間違って呼んでしまったのか。そんな限りなく低い可能性を頭の中に並べ立ててしまうくらいには、俺は自分の耳を疑った。
「えっ!?」
一拍遅れて響き渡った俺の驚愕の満ちた声は、目を細めて此方を見上げてきたベストの返答によって、一気に逃れられない現実と化した。