「……やはり、オブか」
「オブ……まぁ、オブと言えば……オブです」
「え?え?」
淡々と行われた親子の再会を前に、この時の俺は本当に壊れた人形のように、意味の無い言葉と動きをパタパタと行うだけのモノに成り下がっていた。
どうやら、プラスもお父さんで、ベストもお父さんらしい。でも、ベストはまだ子供だし。それに、ベストはプラスと俺で育てていく予定だし。でも、そんなベストはウィズのお父さんだし。プラスはインのお父さんっぽいし。
あれ?これは一体どういう事だ?
「あれ?じゃあ、俺は誰のお父さんなんだっけ?」
そんな俺の混乱を極めた問いかけに、それまで神妙な空気を漂わせていた二人の顔に、同じような眉間の皺が二つひょこりと現れた。
あぁ、やっぱりこの二人はとても似ている。そう、似ているのだ!
その瞬間、俺は改めて理解した。
「あ、ウィズがベストのお父さんなんだ!」
二人の眉間の皺が、最早、口では説明できないほど深くなったのは、言うまでもない。
〇
「えっと、プラスはスルーって人かもしれなくて。そのスルーって人はインとニアのお父さんで、ニアは今はバイ。そして、」
「アウト。そろそろ整理できたか?」
「ちょっと待って、絵を描いて整理してるから!」
「そんな人物相関図が必要な程か?」
「要る!だって、アバブのマンガにも、ヴァイスの小説にも、最初の頁には登場人物紹介ってページがある!あれがなきゃ、俺はお話が分からなくなるんだ!だから、今もそう!」
「……」
俺は気に入りの手帳を開き、ともかくウィズの言っていた言葉を一通りメモした。けれど、メモしても混乱してきそうなので、絵をかいて、そこに矢印をかいて整理する事にしたのだ。
そんな俺を、ウィズは若干呆れた様子で見ている。どうせ、俺の物覚えの悪さに「やれやれ」とでも思っているのだろう。
いいさ、なんとでも思えばいい!俺はウィズのような賢いやつとは違うんだ!
「目を、覚まさないな」
「大丈夫ですよ。眠っているだけです」
俺が必死にメモをしている脇で、ベストが心配そうに呟いた。
その声は、やはり子供っぽい高さと幼さをギュッと丸めたような声色なのに、その口調は酷く大人びている。あぁ、ちぐはぐの、ちぐはぐだ。
「……ふむ」
俺はチラと横目でベストに視線をやりながら、手帳にガサガサとベストの似顔絵を描く。うん、少し上手に描けた気がする。特に、スンとした表情とか。
そう、プラスをベットに運び終えた俺達は、その隣でプラスが目を覚ますのを待っていた。もう昼になるが、一向にプラスは目を覚まそうとしない。
ただ、プラスの口からは穏やかな寝息が定期的に聞こえてくるので、俺はもう心配するのを止めた。
いっつもプラスに俺の布団に入り込んで来られる俺だからこそ分かる。
このプラスは、完全に熟睡しているだけだ。
「けれど、これはあまりにも……長すぎる。もう目を覚まさないなんて事は、ないだろうか」
「もし、今日中に目覚めないようであれば、俺が神官を呼びます」
「……」
ちぐはぐなのはベストとプラスの二人の会話もそうだ。
まだ幼い子供のベストに、明らかに立派な成人男性のウィズが敬語で話している。ここも、ちぐはぐの、ちぐはぐだ。
その間、俺はベストの似顔絵からプラスの似顔絵の方向へ矢印を書き加えた。定規を使っていないから、その線はゆらゆらだが、まぁ別に良いだろう。
そして、そのユラユラの線の上に書き加える言葉は「愛してる」である。そう、ベストは愛好者の皮を被った、ただのプラスの事を「愛している人」だったのだ!
「……あ」
俺はメモを取りながら、ふと時計を見た。平日であれば、そろそろ昼休みが終わるくらいの時間だ。
「俺の、せいだ。俺が……ヤケになって、あんな事を言ったから」
「学窓の件ですか」
ウィズが尋ねると、ベストはしばらく黙った後、深呼吸した息を吐き出すように言った。
「……オブ。もう、俺は何も知りたくないし、手にしたくないんだ」
「父さん」
「何か知り、何かを手にすれば、成すべき事が見えてしまう。見えてしまえば、何か成そうとしてしまう。そうやって必死に成した事が、無意味で無駄な事だったと、後から思い知らされるのは……もう、嫌なんだ」
ベストの口から洩れる、その深い後悔を帯びた言葉に、ウィズは多少、理解が出来るのだろう。もう何も言わずにただ小さな声で唸るだけだった。
「……」
俺にはベストが何に苦しみ、どんな傷を負っているのか分からない。けれど、結局は前世の記憶がベストの思考や行動の足枷になっている事は分かる。
ベストは足枷が重くて、楽しくダンスが出来なくなっているのだ。
「ベスト、大丈夫」
「え?」
俺は手元にある手帳から顔を上げる事なく、ベストに語りかけた。今度はプラスの方からベストの方へとユラユラの線を引く。さて、前世の記憶のないプラスからベストへの気持ちは、一体どういったものだろうか。
——–ベストが居なくなったら、俺は、寂しい。
居なくなって、寂しいと思える相手。それはすなわち“大好き”な人だ。“愛してる”でもいいけれど、なんだかプラスには、“愛している”よりも“大好き”の方がとてもお似合いだ。
だから、俺はプラスからベストの矢印の上に「大好き」と書いてやった。
「俺とプラスは、昼寝をしなきゃ午後から頑張れないんだ」
「なに、を」
「でも、そろそろ昼休みが終わる時間だから……」
俺は少しだけ自身に襲ってきた強い睡魔に、目をこすった。今日は朝からプラスに叩き起こされて、あげく、ウィズの朝ごはんも食べ損ねている。そのせいか、今の俺は物凄く眠い。
あとで、今度は俺が少し眠ろう。
「もうすぐ、起きると思うよ」
「んんう」
その言葉と同時に、ベッドに横になっていたプラスが布団の中で身じろぐ。そんなプラスに、それまで心配そうに眉を寄せていたベストの目が、一気に見開らかれた。
「っ!スル―!」
「ほらね」
身じろいで二、三度「むう」だの「ぐう」だのと意味の分からない呻き声を上げたかと思いきや、次の瞬間プラスはガバリとその体を起こした。
「っそうだ!今日はベストの育児計画を立てよう!」
「は?」
誰ともなく漏れ出てくる、呆けたような声。
そりゃあそうだろう。急に眠りから覚めたと思えば、プラスは倒れる直前の苦しそうな顔なんて欠片も消して、満面の笑みを浮かべているのだから。
「おおっ!ベスト!あれっ?俺は寝ていたのか!?どうしたどうした?そんな心配そうな顔をして!よしよし、大丈夫だ!もうお前を一人ぼっちなんかにはさせないからな!」
「あ、えっと」
「ほら!おいで、俺が抱っこしてやろう。よしよし、ベストは俺よりも、誰よりも可愛いなぁ。見てると幸せになれる」
ベッドの脇から身を乗り出していたベストに、プラスはいつものように好きな事を好きなように口にすると、ベストの小さな体を抱えて、ベッドの上で頬ずりをした。
「かわいい、かわいい!ごはんはどうしようか?俺とアウトが仕事の時は?ベストを一人ぼっちにはできないからなぁ……皆で話し合うしかないな!な!アウト!」
「あ、あぁ」
固まるベストを他所に、急にプラスから話しかけられた俺はその勢いに押され、小刻みに思わず頷いていた。
これは一体どういう事だろう。
「……プ、プラス?」
「どうした?アウト。あぁ、アウトの恋人のウィズ!よければプラスに朝ご飯を食べさせてやってくれないか?子供はたくさん食べないと大きくなれないから……あれ?もう昼か?いつの間に……」
じゃあ、お昼ご飯だな!
そう言って笑うプラスの姿に、ウィズも俺も、そしてプラスの腕の中に居るベストもただただ困惑するしかなかった。
——-寂しい。
まるで、あの時の事を全て忘れてしまったかのように笑うプラスの姿に、俺は何やら、腹の底がゾワゾワと落ち着かない感覚に陥るのを感じた。