285:腹の底

 

 

 俺が自身の真名を受け入れた日、ヴァイスが言った。

 

 

——-ねぇ、アウト。素直なのはとても良い事だけれども、腹の底を隠す事も覚えるべきだと、僕は思うよ!

 

 

 そう苦笑しながら、俺の下腹部に触れたヴァイスに、俺は意味がわからないと首を傾げるしかなかった。

 聞いてみれば、俺のマナの量は常人を遥かに超える為、神官や他者のマナに敏感な人間ならば、それはもう一目瞭然らしい。

 

———アウトは分かるでしょ?他人と違うって、けっこう色々と面倒な事になるんだ。だから、僕みたいに普段は隠して……え?隠し方がわからない?えっと、ほら、アウトで言う所の部屋に閉じこもる感じ?あれさ!

 

 ヴァイスによれば、マナの量を表に加減して出す方法は「自分の腹の底を隠す」って言う、けっこう人間なら誰でも持っている感情を、そのまま利用すれば簡単らしい。

 

 腹の底を隠す。腹の内を見せない。はら、お腹。お腹の中って、そんなに隠さなければならないモノなのだろうか。

 それに、お腹の中を隠してしまうと、今の俺は約束破りになるので、ちょっと出来そうにない。

 

———えっ!ウィズと約束した?嘘を吐かない?我慢しない?隠し事をしない?って!?あぁっ!その言霊は今のアウトにテキメンに効いちゃってるよ!呆れた!アイツ、自分は真っ黒い腹の内を存分に隠してる癖に、よくそんな決め事を作ったもんだ!

 

 また出た。今度は真っ黒い腹だ。

 

 ヴァイスの話の中には、マナの器の在処が下腹部だからなのか、“お腹”という言葉を使った用語がポンポンと飛び出す。

もしかすると、これは神官の間で使われる専門用語なのかもしれない。

専門用語なんて少し格好良いじゃないか。今後は俺も使っていこう

 

———あの執着腹黒石頭は僕から叱っておくとして……さて、どうしたものか。

 

 そうなのか。そうなのか。

 ウィズのマナの器は真っ黒なのか。確かにウィズは月だから、マナの器も夜みたいな感じなのだろう。腹が黒いというのは、きっと素敵な人を指す言葉に違いない。

 

 ウィズのマナの器は綺麗な夜空みたいな場所なんだ。

 いつか、俺もウィズの器に入らせてもらえたらいいなぁ。

 

——–アウト、君くらいなモノだよ。あんな腹黒のマナの器を“夜空みたい”なんて表現できるのは。まったく、今のアウトじゃ腹の内を隠すのは無理そうだね。

 

 そうそう。俺はウィズとの約束を破れないし、もうマナの狭い部屋の中に誰も閉じ込めたくないから、ちょっと無理だ。

 

———分かった。もうここは僕がなんとかするよ。終の棲家をくれたアウトだ。アウトの腹の底は、僕が代わりに隠してあげる。

 

 そう、少し困ったように笑うヴァイスに、俺は余り意味が分からなかったが、ひとまず「ありがとう」と言っておく事にした。

 どうやら、ヴァイスは俺が面倒に巻き込まれないように頑張ってくれるらしい。

 

———アウト?でもコレだけは覚えておいて。皆、腹の底はキミみたいに開かれている訳じゃないって事を。時には自分すら殺して、その深淵を隠す奴が居る事を。

 

 するり、するりと紡がれるヴァイスの言葉は、どこかの誰かについて語られているモノではない。ヴァイスは自分自身を思いながら、俺にとても大事な事を伝えてくれているのだ。

 

 何故なら、ソレを口にした時、それまで俺の下腹部に触れられていたヴァイスの手は、いつの間にか自身の下腹部へと移動していた。

 

 

———器は、広さだけじゃない。深さも、見定めなきゃならない。まぁ、腹の底を僕くらい上手く隠せる奴なんて、そうそう居ないだろう。まぁ、もし居たら……きっとそれは碌な奴じゃないだろうね。

 

 

 そう言ったヴァイスの表情は、俺の知らない長い長い時を、どこか遠くを見ているようだった。