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俺は、とても、そりゃあとてつもなくウッカリしていた。
———なぁ、アウト。バイには、事前にプラスの事をそれとなく伝えておいてくれないか。事実はどうあれプラスは“あの人”に似すぎている。事前に言っておかねば、アイツの事だ。大騒ぎしかねん。
そう、ウィズが酒場でベストに文字を教えてやりながら、コッソリと俺に言った。その時の俺はプラスとビィエルの“ぎょうかん”についての勉強会をしていたので「あー、わかった。まかせといてー」と軽く返事をしたのだが。
完全に忘れていた。
なにせ、最近俺はバイと会っていなかったのだ。バイだけでなく、トウやアボードもそうだ。三人ともウィズの酒場にも、俺の部屋にも来ていなかったのだから、そりゃあウッカリするのも仕方がない。
仕方がなかったんだ!
「おーい!アウト、ひっさびさー!」
「っは!」
仕事終わり。
ベストのお迎えに行こうとしていたプラスと俺の元に、真っ赤な髪を靡かせキラッキラの星のようなオーラを大いに放つバイが現れた。
その瞬間、俺の中に居るウィズが、呆れたように片手で眉間を抑えて溜息を吐く。そう、今朝も俺はウィズに言われていたのだ。
——–アウト、バイの件。忘れてないだろうな。
「なぁに驚いてんだよ!俺に会えて嬉しくてびっくりしてんのか?なぁ、アウト!今日は一緒に“あの”びーえる本の感想会やろうぜー!」
「あっ、いや……久しぶり」
場所は職場の入口、受付前。
そのあまりにも華やかなバイの放つ雰囲気に、通り過ぎて行く同じ事務所の女性職員達が「騎士様だわ」「素敵ねぇ」とコソコソしながらも、ハッキリと熱い視線をバイへと向けている。
さすがバイだ。
その中身は置いておいて、見た目の良さだけで周囲の視線をかっさらっていく。
「もう最近、騎士団の軍備配置が変わったせいで現場は大忙しでさぁ。ホントに参るわぁ」
「あ、あぁ。だから最近、トウもアボードも酒場に来てなかったんだな」
「そーそ。トウなんてこないだ小隊長に昇進したから、もう本気で忙しそうだぜ」
「あぁ。あの、アボードが試験からも馬からも落ちたやつか」
「アウト……お前、そう言うのホント気ぃつけないと、兄貴から殺されるからな。意外と兄貴は気にしてんだから!」
久々のバイとの賑やかな会話に、俺は思わず隣にプラスが居るのを一瞬忘れかけた。けれどジッと此方の様子を窺ってくるプラスの視線に、すぐに現実を思い出す。
——–スルーさんは、インの父親でもあるが。バイの、ニアの父親でもあったんだからな。
「アウト、友達か?」
「あ、えっと」
プラスの眼鏡がキラリと光る。キラリと光ったその光で、俺は一瞬とても眩しいモノを見たような気になった。まぁ、気のせいだろうけれど。
「う、うん。ともだ」
「かわいいな!真っ赤なキミ!俺と同じくらい可愛いぞ!それに凄く格好良いじゃないか!可愛くて格好良い!なんて素晴らしいんだ!俺と一緒にダンスの練習でもするか?」
「は?」
突然、プラスの口から、俺との出会い頭同様突然のダンスの誘いが始まった。その目はとてつもなく煌めいており、既にプラスはバイの前にかしずいて手を差し出している。差し出したついでに、器用に片目を瞬かせるのも忘れない。
「さぁ、踊らないかい?俺はダンスが素晴らしく上手いからな!キミが下手でも、足を踏んでも、俺は構わないぞ!」
「……」
プラスの、まるで舞台演者のような誘い文句は事務所の入口中に響き渡り、通り過ぎ様に人々が此方にチラチラと視線を投げかけていく。けれど、それらの視線は、騒ぐ相手が誰なのかを認識すると、すぐに納得したように視線を戻していった。
皆、プラスを見ただけで納得してしまうのだ。
「あぁ、筆観測部のプラスね」
「まぁた、マナ無しの二人が変な事してるよ」
「さすが、」
「「「変わり者ね」」」
なにせ、プラスはこの職場で“変わり者のプラス”で有名を馳せているのだから。
そして、そんなプラスの隣に居る俺も、最近では変わり者の仲間としてお馴染みになりつつある。
終業時間という最も人通りの激しいエントランス内で、プラスは黙ってバイに手を差し出し続ける。そんなプラスにバイはしばらく、その目を大きく見開いてプラスの事を見下ろしていた。
「お前……」
——-嘘つき、嘘つき、嘘つき。マナが無いなんて嘘つきだ。怒ってるの?俺が、私が、私のせいで、あんな最期だったから、ねえ!
——–おにいちゃん!
俺の中の、そう遠くない記憶の糸の先で、大好きだった兄を……インの欠片を見つけ出した時の泣きそうなバイの姿が蘇ってくる。あぁ、俺がウッカリしていたばかりに。
バイにはまたいらぬ期待と落胆を負わせてしまう事になった。
そう、俺が自身のウッカリさ加減に遅すぎる後悔をしかけた時だった。