結局その日、俺達はベストの保護者登録をする事は出来なかった。
——–もしかして、その為にこの子を引き取ろうなどと思われたのですか?金になると、そう、思って。
役所の職員の言葉が、俺の胸にズンと突き刺さる。
悔しかった。
けれど、何をどう言い返す事も出来なかった。こんな気持ち、慣れっこだと思っていたのに、今回ばかりはそんな“慣れ”を発揮してもいられない。
——-ハッキリいってこの子の将来の足枷に、貴方方保護者がなる事になりますよ。
そりゃあそうだ。これまで俺の“マナ無し”という劣害は“俺自身”への足枷だった。何かあっても俺が貶められるだけ。
けれど、今回は違った。俺とプラスの自身の持つ劣害が、そのままベストへの足枷になってしまったのだ。
「「「……」」」
役所からの帰り、俺達は悔しい気持ちと悲しい気持ち、そして怒りたい気持ちがグチャグチャに混ざったどんよりした気分でウィズの酒場への帰路を歩いていた。
チラと、プラスを横目に見る。
そこには、どこか感情の籠らない目で遠くをぼんやりと見つめるプラスの姿があった。
普段から明るい人間のこういった姿というのは、ハッキリ言って物凄く心配になる。
いや、しかし。
こんな状況である。むしろ最初に心配してやるべきは、ベストの方だ。あんな役所でのやりとりを目の前でまざまざと見せつけられて、きっと不安になっている筈だろう。
そう、俺が隣を歩くベストへと目を向けた時だ。
「……あ」
そこには、黙り込むプラスにソッと手を伸ばすベストの姿があった。
「っ」
触れ合うベストとプラスの手。
俺はその瞬間、それまでぼんやりとしていたプラスの目にハッキリとした意思が宿るのを目撃した。
「ベスト?」
「……」
そして、ベストと目が合った瞬間、驚いたように見開かれたプラスの瞳がユラリと揺れる。一体、ベストはどんな目でプラスを見ているのだろうか。
ちょうど俺に背を向けているせいで、ベストがどんな顔でプラスを見ているのか俺には分からない。
「……ベスト」
ベストは何も言わない。
けれど、繋いだ手に少しだけ力を入れたのが、傍で見ていても分かった。その手は、まるでプラスに「大丈夫だ」とでも言っているようだ。
その繋がれた手に、俺は自身のマナの中で起こった、大きくてけれどちっぽけでもあった“あの”出来事を思う。
——–あのどき、おれを選んでぐれなかったことが、ぐやじいっ!
人には誰かに手を繋いで欲しい時がある。
繋ぎ止めて欲しい時がある。
足枷は自由を奪うだけのモノではない。“此処”に在り続ける為に必要な“重し”でもあるのだ。
たった今、遠くに行きかけていたプラスの存在を、ベストはこの場に繋ぎ止めた。
「……凄いや」
そんなベストの姿に、俺はゆっくりとベストの頭に手をやった。触れた瞬間、ベストの深い紺色の細い髪の毛が、俺の指の間をくすぐる。
「えらい、えらい。ベストは優しい子だね」
その俺の言葉に、ベストがチラと此方を見上げる。見上げて、何故か後ろめたそうな顔で目を伏せた。
「俺は、優しくない」
「優しいよ」
「俺は、弱くて、責任感のない……中途半端で最低な人間だ」
急にベストが自分で自分を貶し始めた。一体、自分の何を思ってそんな事を言うのだろう。その瞬間、ベストによって繋がれていたプラスの手にギュウッと力が籠められるのを、俺は見た。
「そんな事はないっ!なんでベストは急にそんな事を言うんだ!」
「本当にそうだからだ」
「本当にそうだと誰が決めた!誰かにそうだって言われたのか!?」
「誰という訳ではない、自分がそう思うのだ。そのせいで大切な人を傷付けた」
「ベストの大切な人?誰だ!」
「……」
誰だと問われ、一瞬詰まってしまうベストに、俺はウィズの姿を見た気がした。スルーとプラス。その両者が彼の中で同義だとしても、プラスはスルーの事を知らない。
そうやって、ベストが何も言えずに固まってしまっていると、それまで黙って答えを待っていたプラスが突然、勢いよくベストの肩を掴んだ。
「もしかして、カナリヤかっ!?」
「は?」
「カナリヤなんだな!まったく、俺はカナリヤより沢山の歌を歌えるし、カナリヤよりも上手に歌うぞ!見てろ!」
言うや否や、プラスはその場に立ち上がると両手を広げ、そして盛大に歌い始めた。そのせいで、皇都のド真ん中でもある大通りの真ん中が、一瞬にしてプラスの舞台になってしまった。道行く人がチラチラと此方を見ながら歩き去って行く。
「プラス!みんな見てる!シーッ!」
「私はカナリヤ。籠の中のカナリヤー。空は飛べないけれどー、沢山の歌を知ってるのー!」
どうやら、いつもの如くプラスの即興のようだ。まぁ、歌詞で分かる。題名を付けるならば、きっと「カナリヤの歌」に違いない。あとで、プラスに聞いてみなければ。
「いや!今はそんな事どうでもよくって!プラス!」
「あんな歌も、こんな歌も、あなたの為だけに歌ってあげるー!」
けれど、俺が止めてもプラスは一向に止めようとはしない。先程までぼんやりしていたプラスとは、えらい違いである。
「プラス!シーッてば!」
「ららららー!あなたは、わたしを、たいせつにしてくれたー」
「プラスったら!」
「けっして傷付けてないのー、嬉しかったわー。誰も見向きもしなかった私を見てくれたのはー、あなただけー」
途中からプラスお得意のダンスまで加わって、俺はいつの間にかプラスに手を引かれ踊り始める事になってしまった。パチリと瞬かれたプラスの片目は、その眼鏡ごしにキラリと光って星になった気がした。
「なぁに?」
「大道芸じゃないか?」
「素敵な歌ね」
すると、あまりに俺達が堂々と歌って踊っているせいだろう。道行く通行人達は俺達を大道芸人だと勘違いする者まで現れた。
「いいの、いいの。物語の終わりを、必ず最後にする必要はないの。幸福に包まれたあの時を、あなたの物語の終わりにすればいい」
——わたしは、カナリヤ。あなたに、大切にしてもらった、あのカナリヤ。
プラスの歌声が高らかに皇都の往来に響き渡る。最初こそ一目を気にして歌を止めようとしていた俺だったが、それも途中で止めた。
誰かが呟いたように、その歌がとても優しくて美しかったからだ。俺はプラスと共に舞台で踊る演者でありながら、最前列でプラスの歌を聞く、彼の愛好者にもなっていた。
——-わたしはカナリヤ。あなたに大切にしてもらったカナリヤ。一つだけおねがい。幸福になって。それだけが私の希望み。
そう言って締めくくられたプラス歌声は、道行く人々から小さな喝采を産んだ。けれど、プラスにとっての観客は、彼らではない。もちろん、共に踊っていた俺でもない。
「な?ベスト!俺の方がカナリヤより上手に歌うだろう?」
歌の直後に駆け寄ったベストにプラスがカラッとした声で問いかけると、次の瞬間、ベストは声を上げて泣いたのだった。