「これは一体どういう状況だ」
俺達が酒場に帰り着いた瞬間、ウィズの驚いた声が俺達の間に響き渡った。
それもそうだ。いつもはスンとした表情で殆ど喋らないベストが、プラスに抱きかかえられてグスグスと鼻をすすりながら泣いているのだ。
「っひく、っひくっぅぅ」
「とう……いや、ベストは一体どうしたんだ」
「えっと」
俺は隣でプラスの首に手を回し、そんなベストの姿にどこか満足そうな笑みを浮かべるプラスの姿に、どういったものかと思案した。
「ちょっと、プラスの歌を聞いて悲しくなっちゃったみたい」
「はぁ?」
いや、これでも大分泣き止んだ方なのだ。プラスが歌い終わった直後などは、本当に滝のような涙をその真っ黒な両目からボロボロと零していたのだ。そして、零すだけではなく、普段は殆ど聞いた事のない大声まで上げて。
——–うあああっ。
俺の説明とも言えぬ説明に、ウィズの視線は再びプラスの首元に顔を埋めるベストへと向けられた。
ベストはオブの父親だった人だ。すなわち、ウィズの元父親でもある。
——父は、そうだな。とても厳しい人だったよ。
そう、いつだったかウィズが前世の父親について語ってくれた事がある。きっとウィズにとっては、いくら見た目が幼いベストの姿だったとしても、過去の厳しい“お父さん”の感覚が抜けきれていないのだろう。
ウィズの見開かれた目が、未だに表情の見えぬベストへと注がれる。
「悲しくなったって、一体……」
「別に、そういう事もあるさ」
「いや、そうは言ってもだな」
厳しくて、強くて、そして誰よりも大きく見えたお父さん。そのお父さんが、こんな小さな背中をまあるくして、震わせて泣いているなんて。
ウィズにとって、きっとこの目の前のベストの姿は信じられないに違いない。
「なぁ、ウィズ。一ついいか?」
「な、なんだ。プラス」
けれど、前世の事を知らない俺やプラスからすれば、これまでのスンとした大人びた口調のベストの方が少しばかり違和感だったのだ。
むしろ、今のこの姿の方が保護者としては大いに子供らしくて安心する。だからこそ、プラスもこんなにニコニコ顔を止められずにいるのだろう。
「ベストは泣き疲れている。少しだけベッドを貸してくれないか?」
「別に、構わないが……」
「ふふ、俺が背中をとんとんして寝かし付けてやるからな」
プラスはそう言って目を閉じると、プラスのサラサラの髪の毛に頬擦りをした。
その間も、ウィズの目はやっぱり大きく見開かれてパチパチと軽快に瞬き続けたのであった。
〇
「やはり、保護者登録は出来なかったか」
「まぁね。ウィズがついて来てくれてたら、話は別だったろうけど」
俺とウィズは昼間から軽く酒をグラスに注ぎながら、チビチビと酩酊への道を歩んでいた。昼間から酒とは良い身分だとは思うが、今日ばかりは飲まねばやっていられない。
昼間のあの職員の態度は、時間が経つにつれて、悲しみよりも怒りの方が勝ってくのだ。
「そう言わないでくれ、アウト。俺にも考えあっての事だったんだ」
俺の小さな嫌味に、ウィズが少しだけ気まずそうに俺から視線を逸らした。逸らした先にはファーが居る。ちょうど眠っているようで、ニッコリと笑っているように見えるのが、なんだかウィズと対称的で、少しだけ面白い。
「……ウィズは、俺達が安易に保護者になるって言った事を反省させたかったんだよな?」
俺はベストを引き取ると口にした時から、ずっと胸の奥に引っかかっていた思いを、今ここでようやく口にした。
「そうだよな。俺達はベストを引き取るとか、保護者になるとか偉そうな事ばっかり言っておいて、結局のところ仕事を休んで面倒を見てくれているのはウィズだ。ごはんも、勉強も、手続きの事を教えてくれたのも、全部ウィズ」
——-俺は、自分が不甲斐なくって情けないよ。
俺は燻ぶっていた思いを、一気に言葉にして吐き出すと、そのまま手に持っていた赤割の酒をぐいと飲みほした。その瞬間、体がカッと熱くなる。けれど、今はその熱さがとても心地よかった。
少しくらい前後不覚にならねば、もう本当に自分達の半人前さ加減に腹が立って仕方がないのである。
「何を言っているんだ、アウト」
「へ?」
「別に俺はお前達にそんな事を思わせたくて、お前らだけで保護者登録に行かせた訳ではない」
「んんん?」
飲み干した酒のせいで、グラスの中の霜氷がカラリと音を立てる。俺は首を傾げつつウィズの方を見てみれば、ウィズも酒のせいで緩やかになった視線を俺の方へと寄越す。
「ベストは俺にとっても他人とは決して言い難い。それに、他でもない恋人のアウトが保護者になると言うんだ。俺は何を労しても出来る事はするつもりでいた」
「……ウィズ」
俺はサラリとウィズの口から飛び出してきた言葉に、酒のせいで緩くなった涙腺がそっと刺激されるのを感じた。
なんて事だろう。無条件で俺の事を応援してくれる人なんて、お父さん以外に居なかったのに。
「……ウィズ、ありがとう」
こんな素敵な恋人、きっとその辺を探したって絶対に見つからない。
「やっぱり俺の恋人は一番素敵だ」
「別になんて事はない。お前に嫌な思いをさせたのは確かだからな。悪かった」
俺の言葉にウィズが少し照れたように、手に持っていた酒を口へと運んだ。けれど、そのグラスの中が俺のグラス同様空っぽなのは、俺も知っている。
ウィズは照れているのだ。
「ウィズは月みたいに素敵だし、格好良いし、何でも知っているし、俺はウィズが自慢で誇りで、大好きで仕方がないよ」
「……もうよせ」
照れるウィズが珍しくて、しかも俺自身、酒まで入っているものだから、何のためらいもなくウィズへの賛美が口からポロポロと零れ落ちる。
だから少しだけ調子に乗ってしまった
「ふふ、やっぱりウィズは虫以上だよ」
「……」
その瞬間、ウィズの照れていた表情が一気にスンと冷めた表情になってしまった。そして、シンとした静寂の中、突然ウィズの隣から風のような笑い声が響き渡った。
「あははっ!やっぱりアウトは最高だね!さて、僕も酒を貰おうか!」
「ヴァイス?急にどうしたの?」
突然現れたヴァイスに俺は思わず、自身の腹を撫でた。いつの間に俺のお腹の中から出て来たのだろうか。