299:俺のお父さんは凄いんだ!

 

「帰れ。この飲んだくれ」

「今まさに飲んだくれて、アウトに追い水をぶっかけられていたヤツに言われたくはないなぁ」

「……頼むから帰ってくれないか」

「アウトの中はとっても気持ちが良いから、言われなくてもすぐに帰るさ」

「その言い方は腹が立つから止めろ」

 

 ヴァイスが現れて早々、二人の小石を投げ合うような言葉の応酬が始まる。この二人はいつもこうだ。俺だったらこんな早い速度で、あんなに軽快に言葉を返す事なんて出来ない。

 

 やっぱり二人は仲が良いと思う。

 

「アウトー。お腹の中で見てたよ。さっきは物凄く悔しかったよね。義務を果たせていない半人前なんて言われちゃってさ」

「なに?」

「そうだよ。お前があの子供に対して本気で勉強をさせる為に、二人だけで保護者登録に行かせたせいで、アウトは酷く傷付けられたのさ!まったくお前は恋人失格だよ!」

 

 ヴァイスの言葉にウィズの眉間の皺が一気に濃くなる。そして、「どこのどいつが対応したんだ」と地響きのような低い声で尋ねてくる。いや、どこのどいつと言われても、俺はあの職員の名前など知らないので答えようもない。

 

 それに、俺にとってはそんな事よりも気になる言葉があった。

 

「ねぇ、あの子に本気で勉強をさせるためって……なに?」

「そうさ。この石頭は、あの子供……元お父さんだっけ?彼の勉学意欲に制御がかかっている事に対して非常にもどかしい気持ちを抱いていたのさ」

「制御?ベストが?」

 

 俺はヴァイスの言葉を受け止めながら、俺達と同じ酒をグラスに注いでやると目の前にグラスを滑らせてやった。すると、酒を見た瞬間、ヴァイスの瞳がキラリと輝く。

 そろそろ、俺達も二杯目を注ごうか。

 

「そうさ。やっぱり勉学というものはね、仕方なくやっている人間と、自らの目的意識を明確にして行う人間とでは、知識の飲み込みが雲泥の差なんだよ。学びの後に新しいモノを生み出すのは、やっぱり後者の人間なんだ」

「でも、ベストは毎日一生懸命やってるよ。文字だってすぐに覚えたし。賢い子だよ」

「アウト?一生懸命最低限の知識レベルを得るんじゃ、この石頭には許せないんだよ。この石頭にも可愛い所があるじゃないか」

———自分の父親はこんなもんじゃないって、きっと彼を見ていて悔しかったんだろうね。

 

 ヴァイスの言葉に、俺は新しい酒をウィズに注いでやりながら目を瞬かせた。そんな俺の視線に居心地の悪さを感じたのだろう。ウィズはカウンターに肘をつきながら、フイと俺から目を逸らした。

 

「そっか」

「別にそんな気持ちではない。このままでは学窓の編入試験に通るか危ういから……」

「わかるよ!ウィズ。俺もお父さんは凄いんだって皆に分かって欲しかったから!同じだね!」

「だから違……はぁ、もういい」

 

 ウィズの軽い溜息が必死に否定したい気持ちを表現していたが、俺から逸らされたウィズの耳は微かに色づいていた。ウィズはいつも冷静で、何でも知っていて、俺達に手を差し伸べてくれるけれど、やっぱりウィズも“お父さん”が好きなのだ。

 

「ふふ」

 

 そう思うと、俺はやっぱり目の前の恋人が可愛く見えて仕方がなかった。プラスがベストを可愛い可愛いと頬ずりをするみたいに、今夜は俺がウィズを可愛い可愛いとよしよししてあげよう。

 

「こんな可愛げのない石頭も、父親には純粋な憧れを持ったりするんだね。特に、父親が泣いて帰って来た時のあの動揺っぷりと言ったら!あははっ」

「……黙れ」

「ねぇ、ウィズ。あんなのは前世の記憶を持つ者にとって決して珍しい事象ではない筈だよ。記憶の有る無しに関わらず、彼はやっぱりもう君の“父親”ではないんだ」

「……分かっている」

 

 どこか苦々し気に頷くウィズの横顔に、俺は首を傾げるしかなかった。そんな俺の様子にヴァイスが「記憶のないアウトには分からないかもね」と苦笑した。

 

「この世界の多くの人はね、記憶を持ちながら生まれてくるから本人の意識では、自分は前世と地続きの人生を生きてるんだって思っている人が殆どだ。けれど、それはやっぱり違うんだよ」

「どうして?」

 

 どうしてだろう。

 前世のない俺からすると子供の頃の周囲の人間達というのは、やっぱり皆一様に大人びていた気がする。だからこそ、幼少期の俺はいつも周りの同い年の奴らから子供扱いを受けていた。

 

——-こんのクソガキが!あれ程、高い所から飛び降りるなっつっただろうが!殺すぞ!

——–いたい!いたいったら!ごめんなさいっ!ごめんってば!

 

 そう、アボードなんかが一番良い例だろう。

 何かあればすぐに俺を子供扱いして、自分が兄のように振る舞ってきたのだから。

 

 皆、前世の知識や技能、そして記憶を使って当たり前のように地続きの今を生きているのだとばかり思っていたのに。

 

「人はね、記憶だけで人格を形成するワケじゃないんだ。周囲が扱うように“そう”なっていく。環境が人を育てるって事だよ」

「環境が……人を育てる」

「そう。特に親の愛をきちんと受けて育った人はね、絶対的に以前の自分のままではいられないのさ。可愛い可愛い、愛してるわ、ほらおいで。ママが抱きしめてあげる。なーんて、親に抱きしめられて毎日過ごしてごらんよ。いつの間にか、前世はどうあれ、人はちゃーんと“愛された子供”になっていくものさ」

 

 ここまで来て俺もヴァイスが何を言いたいのかようやく分かった。

 この世界に生まれて来て、前世の自分を知っている人に、産まれた瞬間から出会える人は少ない。

 となれば、だ。彼らが前世のままかどうかなんて、ハッキリと判断できる他人なんて居ないわけだ。

 

「たまに、僕の診療棟にも子供が一人でやって来るよ。自分が昔の自分ではなくなっている気がするって不安そうな顔をしてね。もしかして、マナの病気なんじゃないかって怖がりながら来るんだ」

 

 ヴァイスは合間合間にコクコクと飲んでいた赤割の酒を、いつの間にか空にすると、俺の方を見てパチンと片目を瞬かせた。

 

「そんな彼らに共通するのは、“温かい家庭”だよ。まっすぐ親に愛されて、どんどん“過去の自分”から“愛されて育った子供”になっていっただけ。たったそれだけの事なのに、本人にはそんな自分の変化は酷く衝撃的なモノなんだろうさ」

 

 ヴァイスの歌うような語り口調を聞きながら、俺はチラとウィズを見た。その顔はやっぱりどこか苦々しい。

 もしかすると、ウィズにも覚えがあるのかもしれない。

 

「特に、何も知らないアウト達が愛情を持って彼を子供として扱っているお陰だろうね。彼は順調に身体年齢に精神年齢が寄りつつある。それを本人がどう思っているかは、」

 

 ヴァイスが空になったグラスを俺の方へと人差し指でツンと押した。どうやら、おかわりという事らしい。

 それと同時に、ヴァイスの視線が店の奥にある居住空間へと通じる扉へと向けられた。

 

「本人に尋ねた方が早いだろうね」

 

 そう、ヴァイスの視線に誘われるよう俺が扉の方へと振り返ると、そこには目を真っ赤にして俯きながら立ち尽くすベストの姿があった。

 確かに、その姿はウィズの元お父さんと言うよりは、泣いた姿を見られて恥ずかしがる小さな男の子に他ならなかった。