303:ご賞味あれ

 

「……いいな」

「アウト?」

「いや、なんでもないよ。ベスト」

 

 俺は思わず漏れ出てしまった羨望を含んだ子供みたいな言葉を、ベストに拾い上げられるのが嫌で、勢いよく首を横に振った。

 羨ましがったって仕方がない。もう俺には“お父さん”は居ないのだから。

 

「ごめん。ウィズ。それにヴァイス。俺はまた“誰かの為”を使って自分を気持ちよくしようとしてたね」

 

 まったく、気を付けなければと思った矢先にこれだ。

 俺は本当にどうしようもない奴だと思う。

 

「アウト、そんな風に思わなくていいんだ。お前が、父さ……いや、ベストを思いやってくれていた事は事実なんだ。それに、これまでの事だってそうだろう。だから、こんな飲んだくれの言う事を真に受けて、自分を嫌な場所に置く必要はない」

「あれぇ、いつの間にか僕が悪者かい?」

「悪者かは知らんが、常に俺の敵はお前だ」

「あっはー!敵とは大きく出たね!お前なんて返り討ちだよ。この若造が」

 

 そう、ヴァイスとウィズの軽口で少しだけ浮上した場の雰囲気の中、俺はカウンターの下でプラスに握り締められて出来た痕をソッと撫でた。

 ウィズは俺の友達を悪く言うような奴じゃないし。俺の事を心配して言ってくれているのだ。わかっている。

 

——-アウト!一緒に踊ろうじゃないか!

 

「ウィズ。見て」

 

 俺は意を決して隠していた痣のついた手首を、再びウィズの前へと差し出した。その俺の手首にウィズが少しだけ目を細めて、ゆっくりと触れてくる。ウィズの手はやっぱり動きも触れ方も上品だ。そして、骨ばった長い指は、いつ見ても綺麗。

 

 ほら、やっぱりウィズは俺の事を傷付けるようには触れてこない。

 

「どう?何か変?おかしい?」

「そうだな」

 

 俺の矢継ぎ早な問いに、ウィズは俺の腕に出来た気持ちの悪い青白い痕をソッと撫でながら言った。

 

「アウト、お前はもう少し太った方がいい」

「へ」

「細過ぎだ。どうせ昼は何も食べずに昼寝でもしているのだろう。明日からは俺が弁当を持たせなければな」

 

 ウィズからの思いも寄らぬ言葉に、俺が呆けた声を上げていると、それまで気遣わしげに俺を見ていたベストから「ふっ」と言う軽い笑い声が漏れた。

 

「まったく、お前という子は。本当に良い性格をしている。誰に似たのやら」

「……さて、誰でしょう」

 

 それと同時にウィズの反対側の席からはヴァイスが、俺の目の前に空になったグラスを置いてくる。

 

「キタよ!この石頭は自分がアウトに嫌われたくないからって、また全部の説明責任を僕に押し付けるつもりだ!」

「そうだ。お前がやれ。お前ならアウトに嫌われても構わない」

「僕が構うよ!僕だってアウトに嫌われたくないのに!」

 

 俺は何故だか二人が俺に嫌われたくないと思ってくれている事だけを理解すると、手早くヴァイスの空のグラスに酒を注ぎ直した。

 そして、グラスを渡すと同時にヴァイスに俺の痣の痕を見せる。

 

「ヴァイスは俺のお気に入りだから、嫌いになったりしないよ」

「……わぁ、無自覚天然が火を吹いた!これだからアウトには勝てないんだよなぁ」

 

 ヴァイスは俺から酒を受け取ると、ついでに俺の手首についた痣を軽く風が吹き抜けるような視線でソッと撫でた。

ただ、それだけ。触れもせず、じっくり観察する事もなく、ヴァイスは俺に「もういいよ」と腕を引かせる。

 

「さて、アウトが俺の事を嫌ったりしないって可愛く言ってくれたから、僕も医療神官としてその痣の所見を述べさせてもらうとね」

「うん」

「やっぱり、その痣はおかしい。変だね」

「……そっか」

 

 そうだろうとも。

 俺はあのマナでの出来事があってから、不死身になってしまったのだ。どんな傷もたちどころに治り、どんな病も俺を侵す事は出来ない。

 

 今、この俺の中にあるマナは、一世界を築ける程の膨大な量に匹敵する。それもこれも、俺のお腹に居る皆がそれぞれのマナを俺に預けてくれているからだ。

 

 そんな俺にプラスは傷痕を残した。

 

「聞かせて、ヴァイス。俺は知らなきゃいけないみたいだ」

 

 正直、知ってしまったら俺とプラスの関係性が一気に変わってしまいそうで、少しばかり不安なところもある。けれど、もう知らないという選択肢を選ぶにも、今更遅いのだ。

 

「わかった。じゃあ、僕がいつもみたいに、そこの石頭よりも上手なお喋りで教えてあげよう」

 

 それに純粋に思ってしまった。

 プラスについてもっと知りたい、と。だって、俺はプラスの友達なのだから。

 

「さて、ここからは少しばかり“彼”の存在の異端性について語る事になるけれど、オトウサン。君は聞いていくかい?知らないフリをして、彼とまたイチから生きるのも、充分アリな選択肢だと思うよ?」

 

 そう、ヴァイスはニコリと笑いながらカウンターからひょいと顔を出し、ウィズの奥に座るベストに声をかけた。

 そんなヴァイスに、ベストは最初にヴァイスを見た時のような少しばかり胡散臭そうな顔をほんの一瞬だけ浮かべたが、すぐにそれは消し去った。

 

 消して、ハッキリと言った。

 

「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」

「へぇ」

「それに、安心しろ。俺は君の言う事を鵜呑みになどしない。自身の語る言葉を、まるで真実か何かのように語る人間こそ、俺は最も信用に値しないと思っている」

「言うじゃないか」

「事実へ近づく道は、地道な観察と実験によって得られた思考の先にある。そして、この場合、全ての答えを握るのはプラスに他ならない。その事を忘れなければ、キミの言葉に、俺は揺るがされる事はない」

——–続けたまえ。

 

 これは貴族だ。

 お貴族様だ。いや、むしろこれは――。

 

「王様だぁ」

「……いや、えらそうに。すまな……ごめんなさい」

 

 何故かベストが俺の言葉に、わざわざ謝罪の言葉を言い換えてまで謝ってくる。

 

「ウィズも王様みたいな時があるし、やっぱり王様の子供は王様になるんだなぁ」

「アウト……」

「あははっ、偉そうな所は時空を超えて遺伝するようだね。良いモノを見せてもらったし、僕はキミの事が気に入ったよ、オトウサン?」

 

 そうヴァイスはクスクスと笑いながら、その合間に一口だけ先ほど俺が注いだ酒に口を付けた。

 

「だから、俺は君にお父さんなどと」

「悔しかったら“ベスト”をこの僕に刻みつけてごらん?キミはまだどっちつかずだ。だから、キミなんて“オトウサン”で十分だよ」

 

 まるで突風でも吹き抜けるような勢いで、ヴァイスがベストの言葉を遮る。そして、唇についた酒すらも楽しむ様に、ヴァイスはペロリと舌を唇に這わせた。

 

「じゃあ、僕個人の思う、彼の異端性について今から君たちにご賞味いただこうか。数ある情報の中の一つとしてね」

 

 その様子はどこか捕食者のようでありながら、イタズラ好きの子供のようでもある。どちらにしても、そのヴァイスの言葉は、先程のベストから口にされた言葉の意趣返しだ。

 

「僕はアウトの中から彼を見ていただけで、直接“プラス”という人物に会った事はない。だから、誤解しないで欲しい。僕はプラスに対して何も思う所なんかありはしない。そう、今から語る僕の言葉は全て、」

——僕の、自己嫌悪の話だと思って聞いてよ。

 

 自己嫌悪。

 そう口にしたヴァイスの表情は、やっぱりどこか気持ち悪そうな、それこそ自分を嫌悪する気持ちに彩られていた。