「さて、今日は、マナ保有率が世界で一番多い不死身の男が、とある男に傷を負わされたお話だよ!今日は小さい子も居るから、クソガキでも分かるように易しい言葉で説明するね!」
「よかったね。ベスト。やさしい言葉を使ってくれるって」
「……あぁ」
俺とヴァイスは場所を移動した。どうやらプラス同様、演者や歌い手というのは、語り歌う場所も非常に重要らしい。ヴァイスはカウンターに木箱を置くと、まるで踊る風のようにその上へと飛び乗った。
「まず前提として、キミたちの思考を『プラスがそんな事する訳ない!』っていう感情から解き放つ為に、彼の事は名前ではなく“貧乏なお父さん”と仮称しよう!」
ふむふむ。
プラスの事を、一旦“貧乏なお父さん”とする訳か。確かにその方が良いかもしれない。あのお話のお父さんとプラスは似ているし。
それに、もし途中でプラスが起きてきて、自分の話が知らぬところでされていると知ったら気分を悪くするかもしれない。
「いや……」
——-なんだ!俺の居ない所でも皆して俺の話か!まったく俺の周りには俺の愛好者だらけだな!困った困った!俺は一人しか居ないっていうのに!
むしろ、プラスは喜ぶかもしれない。
それはそれで、なんだか面倒なので、仮称は大賛成だ。
「さて、これで君たちを思い込みからは解き放った!では、今回のお話。結論から先に語る事にしよう!彼、貧乏なお父さんにはマナがない、記憶がない。そう言っている彼自身の言葉は――」
真っ赤なウソさ!いいかい、アイツはとんだ嘘つきなのさ!
「そんなワケない!プラスは嘘を吐くような奴じゃないよ!ヴァイス!」
貧乏なお父さんは嘘つき。
つまり、プラスを嘘つきだと、ヴァイスは言っているのだ。
そう言われて、俺はさっそくヴァイスの言葉を遮っていた。これはお話だから、そのまま受け取っちゃいけないと分かっているのに、それでも俺は我慢できなかったのだ。
「こらこら、プラスって誰だい?今、僕は貧乏なお父さんの話をしてるんだよ?アウト」
「でも……」
「でもじゃない。他人が心の中で何をどう考えているかなんて、勝手に決めつけるべきじゃない。アウト、だからこそ僕は仮の呼び名を決めたんじゃないか。アウトの彼に対する色眼鏡を外す為にさ」
「……俺、眼鏡なんてかけてないよ」
「かけてない人なんて、この世に居ないよ。皆自分の見たいように世界を見る。それはアウトが一番良く分かってる事なんじゃないかい?」
ヴァイスに言われて、俺は言葉に詰まった。
確かにそうだ。この世界に居る全ての人間は、自分の見たいように世界を見る。相手の都合なんかお構いなしに。
皆、ヴァイスの言うように“色眼鏡”をかけて世界を見ているのだ。
そう思った時だ。
——–アウト!お前は最高に素敵だな!俺の一番の友達にしてやろう!
何故か、その丸い眼鏡をキラリと光らせ笑う、プラスの弾けるような笑顔が頭の中に浮かんできた。
「……」
「納得がいったかい?じゃあ、貧乏なお父さんのお話の続きに移らせてもらうよ」
「全然、納得なんか出来ないけど。続けて……ヴァイス」
「アウトも相当な強い色眼鏡をかけてるなぁ」
やれやれ、と肩をすくめるヴァイスは、次の瞬間には見事に舞台演者に戻っていた。その体をフワリと風のようにしならせ、木箱の上で軽やかに舞う。
「貧乏なお父さんに本当にマナがないのであれば、世界随一のマナ保有量を誇る不死身な男に傷を付ける事なんて出来ない!なにせ、傷や病に対して超回復を担うのは――」
不死身の男の中にある、一世界分の人々が、彼を信頼して自身のマナを預けているからさ!
だから、彼の中には無尽蔵とも言うべき膨大なマナが眠っている。
その果ての見渡せぬ程の、広大な懐の中にね。
そして、そのマナこそが彼を不死身たらしめている所以さ!
だからこそ、その不死身な男に自身の愛撫の痕を付けたいと日頃から躍起になっている、神官の恋人ですら、口付けの痕ひとつ――
「残す事は出来ない!あの恋人の男の悔しそうな顔は、いつも僕の仕事の疲れを癒してくれる。とても感謝しているよ!」
ヴァイスの言葉にウィズがワザとらしく咳をした。
そんなウィズにベストは視線だけをソッとウィズに向ける。俺の位置からでは、その視線が一体どんな色を含むのかまでは見てとれないが、ともかくウィズは気まずそうだ。
「まぁ、その恋人の男だって腐っても神官さ。いくら、自身の半身を失おうとも――」
通常のマナ保有率は教会内でもトップクラスを誇る。
彼はエリート神官だからね。でも、そんな彼も不死身な男の前には、赤子同然のマナだ。
そんな膨大なマナを持っていたら、きっと遅かれ早かれ不死身な男は教会に連れていかれ、もしかしたら皇国によって身柄を拘束されかねない。
だから、彼の素晴らしい友人である素敵な吟遊詩人が、その膨大なマナを多い隠す“壁”を作ってあげているんだよ。
吟遊詩人の素敵な友は、壁を作り、腹の中を隠す事に長けているからね。
「――そう、これまでの説明で分かるだろう?不死身な彼に難なく傷痕を残せる相手。それすなわち、」
——-同じだけのマナが、貧乏なお父さんの中に眠っているって事さ。
「……だったら、アイツは。プラスはやっぱり」
「あれぇ?どうしたんだい?オトウサン。キミは僕の言葉を信用しないんじゃなかったのかい?」
「……情報による推測を行っているまでだ」
「希望が見えれば、人はその光にこうもあっさり縋り寄るんだねぇ」
「……」
ヴァイスのその皮肉っぽい言葉が、幼いベストに向かって投げつけられる。けれど、そんなのベストは一切気にした様子はなかった。
ベストは自身のその小さな手を、顎に添えブツブツと何かを呟いている。
「でも、ヴァイス。プラスは……」
「貧乏なお父さん!」
「……貧乏なお父さんは、マナがないって、ちゃんと役所でも登録されていたし。西からの難民者だって」
「そうだね。だから僕は言ったのさ。貧乏なお父さんが嘘つきだって」
「でも!」
俺がヴァイスに尚も食い下がろうとした時だ。
ヴァイスは木箱からストンと軽やかに下りると、いつの間にか俺の口元に自身の人差し指を押し付けていた。
風のように。
目にも止まらぬ速さとは、まさにこの事だ。
「ねぇ、アウト。僕はなにも貧乏なお父さんが周囲を欺いてるなんて、一言も口にしちゃいないよ」
「えっ」
「最初に僕が、これは自己嫌悪のお話だよって言った事、覚えてる?」
言った。
確かにヴァイスはお話を始める前に、俺達に言ったのだ。
——-今から語る僕の言葉は、全て僕の自己嫌悪の話だと思って聞いてよ。
ヴァイスの問いかけに、俺は唇に指を押し付けられたまま小さく頷いた。
「良かった。信じられないかもしれないけれど、貧乏なお父さんと、僕はとても似ているのさ。僕は長い時の中で、自身の後悔の根幹を忘れてしまったと嘘をつき、自分を後悔の辛さから自分を守っている。それはきっと彼も同じ」
ヴァイスは俺の唇に押し付けていた人差し指をソッと話すと、その指を自身の唇にスルリと押し付けた。その行為に、ベストの奥に腰かけていたウィズの方から、ガタリと椅子から立ち上がる音が聞こえた気がした。
けれど、俺がウィズの方へと目を向ける事はなかった。
「彼と僕は、身の内に宿る後悔に耐えきれなかった弱虫さ。だから、本当の自分を殺し、欺き、忘れた事にしている。自分の腹の内を、深い深い闇の奥底に隠してね」
そう、歌い上げるようなヴァイスの声と、その細められた瞳に俺は釘付けだったのだ。どうやらそれは、隣に腰かけるベストも同様で、俺の耳に「スルー」という震える幼い声が風を伝って入り込んできた。
「じゃあ、本当のプラスはお腹の奥底に居るってこと?」
「さぁ、そればっかりは僕にも分からない。けど、アウトに傷を負わせられる程の膨大なマナの量から言って、彼の後悔は深く、大きい。それをここまで見事に隠しきるんだ。彼はやっぱりアウトと真反対の男だよ。だから、少し前に僕は言ったよね」
———器は、広さだけじゃない。深さも、見定めなきゃならない。
「アウト。彼については難民というあたりから、少し調べる必要があるよ」
そう、プラスの事を語ったヴァイスの目は、どこか自問自答を繰り返すような、そんな、深い、夜の森の中のような目をしていた。