「なぁ、トウ。トウは前世で最後に“スルー”に会ったのはいつなんだ?」
「……なんで、そんな事を聞くんだ?」
「いや、ちょっと“スルー”の事で知りたい事があって」
そう、俺が何の気なしにトウに尋ねてみたが、トウはそれまで疲労に塗れていた瞳の中に、静かにヒヤリとした何かを浮かべた。
「悪いな。あまり、覚えていないんだ」
「そっか」
その言葉に、俺はとっさにそれが嘘だと悟った。なにせ、あのいつも真っ直ぐに相手の目を見て相対するトウが、その時ばかりは俺から目を逸らしたのだ。
まったくもって、トウ“らしく”ない。
これも、俺からトウへの色眼鏡で見た結果なのだろうが、それでも、その眼鏡のお陰で気付ける事もある。
けれど、嘘だと分かっても、俺は追求する術を持たないし、しようとも思わない。
前世でなくとも、人には触れて欲しくないモノの一つや二つ、当たり前のようにあるものだ。
「おいっ!クソガキ!これ、水じゃねぇか!?舐めてんのか!?」
「うるさいなぁ、もう。そろそろ、一旦水でも飲んで落ち着けという兄からの心遣いに気付いてよ」
「兄貴ぶんな。つーか、お前さぁ」
「何だよ」
俺がトウと真面目に話している脇から、またしてもアボードが無法者よろしく絡んでくる。こんなの、自分の弟でなければ既に自警団へ連絡してとっ捕まえてもらっているところだ。
「お前みたいな奴が、なにダチの事でコソコソ嗅ぎまわるような真似してんだよ」
「ぐ」
アボードは俺が水を飲み終わるまで酒を出す気がないと悟ったのか、黙って水の入ったグラスに口を付け始めた。そのせいか、先程まで酔っ払いの無法者のようだったアボードの口調が、少しだけ落ち着いた色を見せ始める。
おかげで耳が痛い事を言われてしまっている。痛い痛い。耳も、気持ちも。全部後ろめたくって、突かれるとたまらない気持ちになる。
「俺はよく部外者だからよくわかんねぇけどよ」
「……」
「お前はいつから裏で画策して立ち回れる器用な奴になったんだ?あ?ウィズが恋人になっても、お前自身はバカなままなんだからな」
「うるさい!うるさい!何も知らない癖に!アボードなんか、あっちでビーエルの話をしてろよ!」
「なんでだよ、お前が行けよ」
アボードの的確な“突き”に俺がフイと視線を逸らすと、逸らした先にはちょうど、黙ってこちらを見ているベストと目があった。
大きなまあるい目が俺を見つめる。ベストは何も言わない。言わないけれど、裏でコソコソこんな事をしている俺を、ベストに見られるのは、それこそ本当に耳どころか、どこもかしこも痛かった。
——-なんでだよ。お前が行けよ。
「そうだな」
「あ?」
俺は手持ち無沙汰に、何度も何度も水で洗い続けていたグラスを棚に仕舞うと、未だにキャッキャッと楽し気にビィエル談義に花を咲かせる三人の方へと目を向けた。
「確かに、俺じゃ無理だ。観察したり、こうじゃないかって予想したり、相手のぎょうかんを読んだり。無理だ!無理!」
俺はカウンターからエプロンを脱ぎながら外へと出ると、通り過ぎ様にジとこちらを見てくるベストの頭をソッと撫でた。
「アウト?」
「ごめんな。俺は保護者なのに、格好悪い所ばっかりだな」
「……」
「ベストは最初から答えを言ってたのにな」
——全ての答えを握るのはプラスに他ならない。
そうだ。いくら本人が知らない事が多いにしても、まずはプラスの事はプラスに聞くのが一番早い。ぎょうかんなんて読むのは、その後の話じゃないか。
「プラス!」
俺はベストの頭から手を離すと、勢いよく三人の、否、プラスの居るテーブルまで歩を進めた。
「なんだ?アウト!お前も俺の舞台を見に来たのか?」
「ちがう!」
「なんだとっ!俺の舞台を見に来る以外にこっちに来る事なんてあるのか!?」
プラスの顔がどうしてそれほどにまで?という程、本気の驚愕の色に塗れた。その脇では、ヴァイスやバイが目を瞬かせて此方を見ている。そりゃあそうだろう。今まで三人は【金持ち父さん、貧乏父さん】の話に楽しく花を咲かせていたのだ。
その花を、俺は大いに踏み荒らしながら乱暴に道をこじ開ける。
「あのさ!」
「ああ!」
けれど、この方が俺にとっては、ここしばらくやっていたコソコソと嗅ぎまわるような毎日よりも随分、胸がスッとして気分が良かった。
その顔に、俺はプラスの両肩に勢いよく手を乗せ、言った。
「嘘ついてもいいから、プラスの事を教えて!」
嘘でもいい。本当じゃなくてもいい。
俺はプラスの口から、たくさんの事が聞きたいんだ!
その瞬間、俺は眼鏡の奥にあるプラスの瞳がユラリと揺れたのを見た気がした。