——-ビヨンド教始まりの地。だからこそ、あの土地での、神官至上主義、マナ至上主義な価値観は、他の土地とは比べ物にならない所があるよ。あそこの神官と人々は、選民意識の塊さ。差別と古い慣習が未だに根付いている。特に神官は酷いモンさ。
『酷いって?』
俺はそれまで頭の中でしていた会話を両断し、思わず口を開いていた。
神官が酷い。選民意識の強い、差別的な慣習の残った地。
俺は無意識のうちにゴクリと生唾を飲み込んだ。俺の中の嫌な記憶が蘇ってくる。
マナの中なのに、嫌な汗が背中に流れた気がした。呼吸も苦しくなっている気がする。
『マナが少なければ、多いヤツの奴隷として扱われるし、無ければもっと酷い。教会内で自由の無いまま飼い殺されて、強制労働と性欲処理の道具さ。西部地方はマナの大小が全ての人権の礎となるからね』
ヴァイスはそれまでの舞い踊っていた自身の着ていた法服を、いつもの吟遊詩人の私服へと一瞬にして戻した。
まるで『僕を彼らと一緒にしないでくれ』とでも言うように。
そして、今や俺達の会話はきちんと互いの声を通して行われる、通常のモノへと変わっていた。
『……じゃあ、難民って』
『マナの大小によって虐げられていた奴隷達の事だよ。耐えかねて逃げ出すんだ。けれど、その脱走が成功する事は稀だね。道中は険しい山と渓流があるから、途中で死ぬか、国境沿いで軍に殺される』
『神官は子供を、その……』
『犯すよ。子供も大人も。彼らにとって“マナ無し”は秩序や公序良俗に反する者達だからね。だからこそ、彼らの中には自分達の行動に対する大義名分があるし、やっている本人たちも心の底から自分達は正しい行為をしていると思っているから』
吐き気がした。
まさか、こんな話を聞く事になろうとは。この現代において、そんな事が許されていいのだろうか。
そこまで考えて、俺はバカバカしい事を思ってしまったと首を振った。許されているから、俺も“あんな目”に合ったんじゃないか。
『まぁ、この現代において、その慣習があそこまで色濃く残るのは西部くらいだよ。けれど、だからといってそう簡単にはその土地に長い事染み付いた、今や“文化”とも言うべきソレは、正しようがない。一度、全部をぶち壊してゼロにでもしない限りはね』
『ぶち壊してゼロに……』
ヴァイスの言葉に、俺は自身の掌を見た。
もしや、今の俺ならばその文化を壊してゼロにだって出来るんじゃないだろうか、と一瞬、いや、ハッキリと思ってしまったのだ。
『どうしたの、アウト?キミは殺戮破壊兵器にでもなるつもり?』
『……そんな事』
『文化を壊すって事は、そこに生きる人々を殺すって事だよ?文化は“人”なんだからね。分かってる?アウト』
『……ぁ』
ヴァイスの言葉に、俺は見つめていた掌で自身の顔を覆った。何の覚悟も、強い意思もない癖に、自分の中に生まれた嫌悪感だけで、俺は一体何を考えてしまったのだろう。
俺は初めてこの時、自身の中に大量にマナがあるという事の恐ろしさを知った。俺は、自分の意思一つで気に食わない何かを消せるという“選択肢”を持ってしまったのだ。
マナが無ければ、選びようがなかった選択肢。
ただ、俺は選べてしまう。そして、それは誰も止める事が出来ないのである。
もし、俺を止める事が出来る者が居るとしたら、それは――
『……ヴァイス?』
俺は縋るような声でヴァイスの名を呼んだ。
止められるとすれば、俺と同じだけのマナを持つヴァイスしか居ない。けれど、そんな俺の視線を、ヴァイスはまったく見ちゃいなかった。
むしろ、わざとらしく俺から目を合わせぬようにと、狭い部屋の天井を仰ぎ見ている。
まるで、そんな役割などごめんだ、とでも言うように。
『……安心してよ、アウト。数年前に、西部の文化の根源である西部のパステッド本会は、一旦、全て破壊されたから』
『え?』
『既に聖地は消滅しているのさ。当時は凄かったよ。世界が一瞬にしてこの知らせで覆い尽くされたからね』
ヴァイスに言われ、俺は目を瞬かせた。
そういえば、昔、そんなニュースで全ての話題が覆われた事があった。あれは父さんが死んで間もなくだっただろうか。
確かにヴァイスの言うように興味のない俺にすら、そのニュースは連日耳に入ってきた程だ。
『忘れてた』
『そうだろうね。直接関係のなかった人達にとっては、その程度のモノだよ。いくら歴史教本に載る程の事件でも、本当に……それはそれで“そんなモン”なのさ』
歴史を揺るがす大事件も、当時生きていた人間からすれば“その程度”で消え去る事もある。逆に、その人にとって単なる暇つぶしが、世界の在り方を変える事も、また然りだ。
『だから、聖地が消滅した後、難民が諸外国に流れる事が多いに増えた。プラスはきっとその時の難民者じゃないかな。あそこは教会が破壊されて、未だに秩序が完全には戻っていないから』
『じゃあ、プラスはその西部でずっと、子供の頃から……お、俺みたいに』
——-アウト!どうして俺達はこんなに気が合うんだろうな!こんなに一緒に居て楽しい奴は、俺は生まれて初めてだ!
プラスの笑い声と、俺が子供の頃に神官にされた気持ち悪い事が交互に頭の中を駆け巡る。いや、西部は差別や偏見が、この皇国よりずっとずっと酷かったのだ。
きっと、俺の比ではなかったに違いない。
西部は、濃い色眼鏡で覆われた国なのだから。
『ぅえ……っ』
『アウト……よしよし。嫌な事を考えさせちゃったね。ごめんね』
『……ねぇ、ヴァイス。プラスは、どんな風に、生きて、きたのかな』
俺はマナの中ですら俺の腕から染み付いて離れない青白い痕を見つめながら、そう、ハッキリと思った。
こんな痕を俺に残せるプラスは、ヴァイスが言うにはマナが俺と同じくらいあるのだという。けれど、プラスには記憶がない。一見すると、マナもない。
『アウト?それは、もう、プラスしか知らない事だ。僕も、個人の歩んできた人生までは分かりようがないよ?』
『……うん』
この時、俺は初めて心の底から思った。
俺の痕を残したとか、マナを隠してるとか、記憶がないとか、スルーとか、インとか。そんな事もう、どうでも良かった。
『俺、プラスの事が知りたいよ』
『うん、そうだね。だったら、駆けまわるアイツの尻尾を掴んで、二人で思いっきり』
———腹を割って話しておいで。