311:編入試験

 

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「つ、ついに来てしまったな!」

「う、うん!来たな、この日が!」

 

 その日、俺とプラスは大いに緊張していた。

 まぁ、俺達が緊張するのはお門違いも甚だしかったが、それでも俺達は緊張していたのだ。

 

「ベスト、大丈夫だ。俺達がついてる!」

「うん、俺達がついてるよ!ベスト」

「……あぁ」

「アウト、頑張ろうな!」

「そうだな、プラス!親として俺達もいっぱい頑張ろう!」

 

 そんな俺達に、ベストはその真っ黒な目をチラと向けると、静かにコクリと頷いた。

 

 そう、今や季節は晩夏。

 夏季休暇が明けた事により、やっとベストは学窓への編入試験を受けられるようになったのだ。

 

 その為、俺達は元気な子供達の声の響き渡る学窓の中庭の一角で、試験の時間になるまで時間を潰しているところだ。

 余りに落ち着かない為、寮を早めに出たのだ。おかげで、試験までまだ大分時間がある。

 

「……二人は、その、頑張る所は、ないだろうが……まぁ、頑張ってくれ」

「おう!」

「うん!」

 

 その通り。

 実際に頑張るのは俺とプラスではなく、ベストだ。

 けれど、そんな当たり前の事すら完全に頭から抜け落ちてしまう程、俺達は大いに緊張していた。

 

 なにせ、我が子の入学試験なんて、生まれて初めての経験で、最早どんな気持ちでいればいいのか一切分からないのである。まだ、自分の試験である方がよほど緊張しないというものだ。

 

「ベスト、緊張した時のおまじないをアバブから聞いて来たぞ!今から俺がやってやる!」

「……別に、俺は緊張などしていないが」

「ベスト、俺達が緊張してるから……!お願い!おまじないさせて!」

「わかったよ」

 

 そんな俺の懇願に、ベストは苦笑しながら頷いてくれた。これでは、一体どちらが試験を受けに行くのか分かったものではない。

 

「さぁ。ベスト、手を出してくれ。どちらの手でもいいぞ」

「あぁ」

「そしたら、てのひらに、バッテンみたいだけど、バッテンじゃない記号を書く!しかも、一回じゃないぞ!三回だ!」

「……」

 

 プラスは「よし!」と気合を入れると、ベストの掌を、自身の一回り大きな掌で包み込み、もう片方の手でバッテンのような文字を指でサラサラと描いていった。

 アバブによると、このバッテンみたいな記号は「ひと」と読む文字らしい。

 

「ひと、ひと、ひと」

「っ」

「くすぐったいか?我慢だ、ベスト」

「……」

 

 プラスによって掌に三回も「ひと」という記号を書かれたベストは、それまでのスンとした表情から一転して、眉をヒクリと顰めた。髪の毛の隙間から覗く耳が少しだけ赤い。

 けれど、そんなベストの変化にプラスは一切気付く様子はない。

 真剣だ。ともかく、プラスの目はベストの小さな掌をジッと見つめている。

 

「三回書いたら、次は、」

「まだ、あるのか」

「次が大切なんだ」

 

 三回「ひと」を書いたプラスはそのまま、ソッとベストの掌を自身の口へと近づけた。

 そう、次が大切なのだ。三回「ひと」を書いたら次は――。

 

 ちゅっ。

 

 子気味の良い口付けの音が聞こえてくる。

 見てみれば、口付けの際、俯いた拍子にサラリと落ちた髪の毛を、プラスが自身の耳に髪の毛をかけながら「ちゅっ、ちゅっ」と三度の口付けをベストの掌に落としていた。

 

「なっ、なっ、なっ!」

 

 ベストが似合わない大声を上げている。

 あれ、コレはアバブから習ったおまじないと少しだけ違う気がするのだが、一体どういう事だろうか。

 

「なにをするっ!」

「これで、おまじないは終わりだ。ベスト、緊張は解けたか?」

「そっ、そもそも、俺は、きんちょうなどしていないっ!」

「なぁ、プラス。ちょっと、そのおまじない間違ってないか?三回“ひと”を書いたら、それをパクッて食べるんじゃなかったか?」

「そうだったか?でも、俺はベストの手を食べる事なんて出来ないから、コレでいいじゃないか!」

 

 そう言って勝手に改変されたおまじないで、自分一人だけ満足したプラスはカラカラと軽い笑い声を上げながら、ベストの掌から手を離した。

 

 どうやら、無事に緊張は解けたようだ。

 正確に言えば、プラスの緊張が、だが。

 

「くそっ、何なんだ!」

「ベスト。クソなんて言葉は使ってはいけないと言っただろう?それは素敵な言葉じゃないからな!」

「俺の気など知らずに……クソッタレ!」

「なるほど、反抗期だな!もう十歳になるんだもんな!ベストは!」

「俺を子供扱いするな!」

「まぁまぁ。二人共、落ち着いて」

 

 いや、どうやらベストも無事に緊張からは解放されたようだ。

まぁ、そもそも緊張などはしていなかったようなので、肩の力が抜けたと言った方が良いのかもしれない。

 

 すると、そんな俺達の耳に突然、子供特有の甲高い声が響いてきた。

 

「おい!」

「ん?」

 

 それは少しだけ甲高く、なんとも言えず生意気そうな声だった。

 俺は声のする方へと振り返ってみると、その声にはお似合いな程、生意気そうな男の子達が三人並んで此方を見ていた。

 

「お前ら、見慣れない顔だな!どこの奴らだ?」

「マナを測りに来た神官じゃないか?今日は神官の来る日だろ」

「バカ、こんなのが神官な訳ないだろ?」

 

 ちょうどベストと同い年くらいだろうか。学窓の制服を着た彼らは、校舎内に居る私服の大人と子供が珍しいのか、ニヤニヤした顔で俺達の方へと近寄ってくる。

 

「あ、俺達はこの子の編入試験について来た……お、お父さんです」

 

 俺は“お父さん”と自分で言うのが、恥ずかしくてちょっとだけ噛んでしまった。すると、男の子達三人は更に俺達に向かって明らかな好奇の眼差しを向けてきた。