312:地獄の二者択一

 

「編入……あぁ、聞いてる。貧民街の浮浪児が編入試験を受けるって噂になってたからな。へぇ、お前が?」

「……」

 

 言いながら三人がベストの前へと歩み寄る。ウィズの食事を摂るようになって約一カ月。少しだけ体に肉の付き始めたベストだったが、未だに同年代の子らと比べると、その体はまだまだ頼りない。

 

「さすが浮浪児。ひょろひょろだな」

「あんまり近寄るな。臭いんじゃないか?」

「なぁ、前世も浮浪児だったのか?」

「……」

 

 これは、明らかにバカにされている。しかし、対するベストは三人の言葉など一切意に介した様子はなく、先程まで乱れていた表情も今ではスンとしたいつもの顔に戻っていた。

 

 それにしても、一体どうして編入試験前からこんな“浮浪児”なんて言葉が出回るのだろう。

 入学すら決まっていないのに、こんなのおかしいじゃないか!

 

「まぁ、浮浪児じゃ合格は無理だろうな。教員室で教師達が騒いでたし。ま、どんなに頑張っても、きっと落とされるだろうから。諦めろよ」

「そんな……」

 

 その男の子の言葉に、俺は噂の出所が、まさかの教師である事を知った。

 

 最悪である。

 しかも、もしそれが本当なら、編入試験なんて形式だけのモノで、鼻からベストを入学させる気なんてないのかもしれない。

 

「プラス……」

「まぁまぁ。アウト、一体何をそんなに心配しているんだ」

「だって、そんなこと裏で言われてるんなんて……もしベストが試験で良い点を取っても、これじゃあ……」

「心配するな!“良い点”ではなく、“素晴らしい点”を取れば良い話だろう?なぁ、キミたち!ベストはきっと素晴らしい点数を取って試験に合格をするだろうから、その時は是非、仲良くしてやってくれ!」

 

 そう、言ってプラスがいつもの如く、普通の学窓の廊下を自身の舞台に仕立て上げた。大仰に開かれた両腕に、男の子達は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに俺達の耳には子供特有の甲高い笑い声が響き渡った。

 

「あははっ!さすが浮浪児の親だ!コイツも頭がおかしいぞ!」

「なぁ、なんか見た事あると思ったら、こいつってアレじゃないか?」

「俺も思った!コイツ、いつも夕方に広場でヘンな歌を歌ってるマナ無しの白痴野郎だ!」

「あぁ、アイツか。すぐ子供に寄っていくから、気を付けろって教師どもが口うるさく言ってくる奴だろ?」

「変態小児愛者の子供か……って事は、お前。この変態の“相手”をさせられてるんじゃないか?」

「浮浪児が金に困って変態に寄って行った訳か?カワイソーだな」

「ちょっ!」

 

 聞くに堪えない。

 俺はプラスに向けられる、その余りにも酷い内容に耳を塞ぎたくなった。まさか、プラスが裏でそんな風に言われているなんて。

 

 プラスの歌はヘンな歌なんかじゃない。

 確かに聞き慣れない旋律の曲が多いけれど、どれもこれも素敵な歌だ。こないだだって、二人で皇都で歌って踊った時、多くの人がプラスの歌声を「素敵」と言っていたじゃないか。

 

「君たち。初めて会った人間にそんな態度はよくない!」

「うわ、めんどくせぇな」

「変態と一緒に居るんだ。どうせお前も小児愛好者の変態なんだろ?」

「そんな口を俺達に利いていいのか?お前らに乱暴されそうになったって教師を呼んでやってもいいんだぞ」

「っ!」

 

 この世界の子供は、前世がある分、幼い姿をしていても口が達者だ。昔も、そして今も、俺みたいな上手に言葉を扱えない人間は、すぐに言い負かされてしまう。

 

「……く」

 

 そう、俺が拳を握りしめて口を噤んでいると、傍に立っていたベストが一歩だけ前へと歩み出た。

 

「なんだ?やっとお前も喋るのか」

「口が利けないのかと思ったぜ。変態の稚児!」

「浮浪児が近寄ってくんな。くせぇんだよ」

 

 口々に放たれる汚い言葉は、やっぱりベストに対しても同じように向けられる。

 

「このクソガキ共。俺が編入したら、お前らには二つの道しか残されていないと思え」

「は?」

 

 ベストは一切感情の籠らない声で真ん中に立つ少年の額に自身の人差し指を向けた。まるで、それは銃口でも向けるような気迫があり、指だと分かっているにも関わらず、俺は思わずゴクリと唾を呑み込んでしまった。

 

「俺に屋上から突き落とされるか、俺の下で馬車馬のように働くかのどちらかだ。お前らの顔はもう覚えた。逃げても無駄だぞ」

 

 静かに、淡々と、けれどハッキリと紡がれるその言葉は、一見すると美しい歌の旋律であるかのようでありながら、その実、ただの恫喝であった。

 そう、ベストは脅していた。目の前の自分よりも体の大きな子供達を。

 

「な、なにを」

「いいか。俺が編入する事は既に決まっている。俺が学窓の門を正式にくぐる日までに、自分の未来を選択しておけ」

——いいな?

 

 そう、ベストが言い切った瞬間、学窓中に音声放送を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

 

『お知らせします。本日、秋口編入の試験を受けられる生徒と保護者の皆様は、試験会場にお集まりください』

 

 繰り返します。

 そう言って、二度、同じ内容の放送が俺達の間を駆け巡る。そして、放送が終わったと同時に、シンとした静寂が俺達の中に横たわる。

 しかし、横たわった静寂を解いたのは、それまで黙ってベストの後ろ姿を見ていたプラスだった。

 

「さて、試験が始まるらしいから、俺達はもう行こうか!」

「あ、あぁ。そうだね」

「良かったなぁ!ベスト!編入前から友達が出来たじゃないか!」

「あぁ」

 

 トモダチ。

 プラスの言葉に、俺は“友達”の意味は一体どんなモノだったかな、と少しだけ考えてみた。が、すぐに考えるのを止めた。きっと、この辺は深く突っ込まない方が良いと、本能的に思ったのだ。

 

「ベスト、緊張は解けたか?」

「あぁ、お陰で全力が出せそうだよ。彼らには感謝しないとな」

「友達は大事だからな!」

「そうだな。物事を成す際、自分の手足かのように動く手数は多い方が良い」

「……」

 

 噛み合わない。全然、噛み合わない。

 けれど、ベストには珍しくハッキリとその瞳に雷鳴を鳴り響かせるかのような怒りを感じたので、俺はもう黙って見守る事にした。

 

 ベストとウィズ。

 似ている似ているとは思っていたが、本当にこんな所まで似ているとは。

 

 雷のような轟く怒りを瞳の奥に携え、ベストの編入試験は、今まさに始まらんとしていた。