「ベスト。ベストは夜の王様になるのだから、あまり相応しくない言葉は使ったらいけない」
「……アイツらはお前をバカにした。綺麗な言葉では気持ちが表現できない」
「うーん、気持ちが表現できない、か。それは困ったな」
「なぜ、プラスはあんな事を言われて怒らない。俺は腹が立って仕方がない」
ベストの言葉に、俺も内心深く頷いた。
確かにあれは酷すぎた。プラスの歌を変だと言った事もそうだし、なにより許せないのはプラスとベストの関係を貶めた事だ。
——変態小児愛者の子供か……って事は、お前。この変態の“相手”をさせられてるんじゃないか?
——-浮浪児が金に困って変態に寄って行った訳か?カワイソーだな。
何度思い出しても腹が立つ。
俺は沸々と腹の底から湧き上がってくる感情に、ふと、どこかで聞いた言葉を思い出した。
「確かに。俺もベストと同じで“腹のムシ”が納まらないよ!なんで、プラスはもっと怒らないんだ!」
「……アウト、今は俺とベストは真剣な話をしてるんだ。腹が減ったのなら、ウィズにご飯を作ってもらってくれ」
「ちーがーう!腹のムシはお腹が空いた時に鳴るムシじゃない!腹が立ってるって意味!ヴァイスがそういう新しい表現を教えてくれたんだ!」
「ウィズ。ほら、お前の恋人が腹が減ったそうだ。ご飯を作ってやるといい」
「ちがうったら!」
なんとも不名誉な事に俺の怒りはプラスによって空腹へと挿げ替えられてしまった。これまた“腹のムシ”が納まらない!
「呼んだぁ?」
「ヴァイス!」
そうやって、俺が腹の中のムシやら何やらが沸々していたせいだろうか。いつもの如く、突然、俺のお腹の中からヴァイスが躍り出て来た。
「ほら!腹のムシが納まらないせいで、ヴァイスが出てきちゃったじゃん!」
「アウト……少し落ち着くんだ」
俺が地団駄を踏みながら拳を作っていると、隣に居たウィズが俺の腰に手を添えてきた。そして、落ち着けとでも言うように、スルリと俺の体を撫でる。
ヴァイスはと言えば、そんなウィズのいつもの仕草に「どさくさに紛れて何をやっているんだい」と、途端に嫌そうな表情を浮かべてくる。
「ヴァイス、突然どうしたの?」
「よくぞ聞いてくれたよ!アウト!」
俺は自分のお腹のムシを無理やり宥めすかしてヴァイスに尋ねる。すると、先程まで嫌そうな表情を浮かべていたヴァイスの顔が一気に明るくなった。
「今日、僕はとっても大切な用事でやって来たんだよ!さぁ、酒をおくれ!」
「ヴァイス。お前はいつも突然現れるなぁ。俺はいっつもお前の登場にはビックリだ!」
「そうさ!僕はいつも突然だよ!主役は遅れて、そして派手に現れるモノって相場が決まってるからね!」
「確かにその通りだ!俺もヴァイスを見習わなければ!」
「……まさか、大切な用とは酒を呑む事ではあるまいな?」
ヴァイスとプラスのちょっぴりうるさい会話が、酒場中に大いに響き渡り始めた。この二人は、常に自身の周囲を舞台として扱うような人間なので、いつだってその声は遠くまで通る。
つまりは、うるさいのだ。
おかげで、ウィズの機嫌が一気に急降下し始めたではないか。
「まぁ、確かに今日は大切な仕事も兼ねてはいるけど、おおむね酒を呑みに来た、で合ってるよ!」
ヴァイスは言いたい事だけ言うと、ベストの座っていた椅子の隣に、風が舞うようにストンと腰かけた。そんなヴァイスにベストはあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「どうやら、今日はとってもおめでたい事があったみたいだね?一緒に祝いの酒を酌み交わさせておくれ?」
「……いやだ」
「さぁ、アウト!プラス!君たちもそこに座って!僕は仕事も兼ねて来ている訳だけど、ひとまず一緒に乾杯しよう!そこの石頭、酒をよろしく!」
「……急に来て一体何なんだ。この飲んだくれが」
いつになく気性の明るいヴァイスに、ベストだけでなくウィズまでもが眉間に深い皺を作る。やはり、その顔は今のベストの浮かべる嫌そうな表情とまるきり同じ顔をしていた。
「お酒、何がいい?俺が持ってくるよ」
「アウト!今日、君はこの宴の主役の“お父さん”だろう!ほら、座って!プラスもだよ!ほーら!」
俺がいつものようにカウンターに酒を取りに行こうとすると、俺の手首をヴァイスがガシリと掴んだ。それは、先日プラスによって付けられた痕が未だに残る、あの、手首だった。
「ほら、そこの石頭店主。今日はこの三人のお代は僕が持つからね!プラスにはいつもの!アウトは好きな酒を頼みな!」
「おい、だから!お前は急に」
何なんだ!
そう、ウィズが俺の腕を掴んだヴァイスから手を払いのけようとした時だった。
「ウィズ?僕はね、今日はほんの少しだけど“シゴト”も兼ねていると最初に言っただろう?階級上、僕はキミよりも大いに立場が上である事を忘れないでおくれよ。ほら、分かったら仕事の邪魔は止めて、ここに酒を」
——ほら、早く?
ヴァイスの明るい、けれど有無を言わさない調子の声色がウィズへと降りかかる。そして、それと同時に俺の手首を掴んでいたヴァイスの手がスルリと離れた。
「ぁ」
俺は離された手首を見て、思わず小さな声を上げてしまった。
そこには、薄くなっていた筈のプラスに掴まれた痕が、まるで上書きでもされたかのようにハッキリと痕が色濃くなっている。
——–アウト、君に傷痕を残せる奴ってのは、きっと碌な奴じゃないよ?
いつだったか、ヴァイスの口から放たれた言葉が風に乗って俺の耳の奥に巻き上がった気がした。
ヴァイスが俺に痕を付けた。俺はそれをウィズにバレないように、そっと腕を自身の体の影に隠す。ヴァイスは、今から何かをしようとしている。
“ぎょうかん”の読めない俺だけど、その事だけはハッキリと分かった。