315:クソの言い換え

 

「ウィズ、俺はツルミの白割でお願い」

「……アウト」

「プラスはもちろん、いつもので。あとヴァイスはどうするの?」

「僕もアウトと同じで大丈夫だよ!」

「……まったく。一体なんなんだ」

 

 ヴァイスの明るい言葉と、俺の「おねがい」というウィズへの気持ちを込めた視線に押され、ウィズは諦めたように肩をすくめた。そして、「ツルミの白割だな?」と俺の頭を一撫ですると、ウィズは颯爽とカウンターへと足を向けた。

 

 さすが、ウィズは俺の恋人だ。“どーき”をしていなくとも、俺の気持ちをいつも分かってくれる。

 分かってくれようとしてくれる。

 

「ありがとう、ウィズ」

 

 そんな俺達のやり取りに、バイやアボードも何かを感じたのだろう。二人は俺達の居るテーブルから、少し離れた隣のテーブルへと酒と共に移動した。

 どうしてこう俺の周囲は“ぎょうかん”が読める人間ばかりなのだろう。バイはともかくとして、あの野蛮なアボードもそうなのだから、本当に堪らない。

 

「一体何なんだ?どうして、バイ達はテーブルを移動した?一緒にお祝いすればいいのに」

「……」

 

 まぁ、このプラスだけは、俺と同じかそれ以上に“ぎょうかん”を読めない。だからこそ、俺はプラスと一緒に居ると、物凄く安心するのだ。

 

 でも、本当に“そう”なのだろうか。

 

「プラス!ほらほら座りな!今日は朗報だよ!【金持ち父さん、貧乏父さん】の続き!出来立てホヤホヤのお話も持って来たからね!」

「おお!そうか!それは素晴らしいな!サヨナラした後、二人が文通をしているところで終わっていたから、どうなったか気になっていたんだ!今日はベストも学窓の入学試験に合格したし、お父さん達の続きも読めるし、本当にめでたいな!」

 

 めでたい、めでたい。

 プラスはその場でクルリと体を一回転させると、そのままストンとヴァイスの隣へと腰かけた。プラスにとっては、椅子に腰かけるだけでもダンスになってしまうらしい。

 

「そうそう!こういうおめでたい日は酒に限るよ!」

「そうだな!俺もちょっとなら飲めるようになったし!今日は酒とお父さんの話で、ベストをお祝いだ!」

「そうこなくっちゃ!」

 

 しかし、「なにせ、酒は百薬の長だからねぇ」と鼻歌を口づさむヴァイスの隣で、次の瞬間プラスがハッとした表情を浮かべた。それはもう、衝撃的な事に気付いてしまいましたと言わんばかりの顔で。

 

「なぁ、ヴァイス」

「なんだい、プラス?」

「耳を貸してくれ」

「いいよ」

 

そう、プラスはチラと横目にベストの姿を映すと、そのままヴァイスの席のすぐ傍まで自身の椅子をガラガラと引き寄せ、コソと耳打ちをした。

 

「なぁ、ベストにはビーエルは早いんじゃないか?バイと席を交代させた方がいいと思うのだが」

 

 耳打ちなのに、向かいに座る俺とベストにも完全に聞こえるソレは、果たして耳打ちと言って良いものなのだろうか。

 

「……」

 

 けれど、そんなプラスに対しベストはもう慣れたと言わんばかりに、自身の前にあるグラスに手をつけ、席を立とうとする。特にベストも、あのお父さん達のビィエル話は聞きたい訳ではないらしい。

 

 確かに、お父さん達の話を聞くベストの姿は、いつもどこか苦しそうだった。

 

「さぁて、待ちなよ。クソガキ」

「なんだと?」

 

 ヴァイスから突然放たれた“クソガキ”と言う呼び名に、ベストはヒクリと眉を寄せ動きをピタリと止めた。

 

「この酒場にガキは君だけだよ。ほら、ク、ソ、ガ、キ」

「……貴様」

 

 圧倒的に揶揄うような色を含んだそのヴァイスの声色に、ベストが完全に瞳の奥に嵐を巻き起こし始めた。これは、その瞳に雷鳴が轟き始めるのは、そう遠くないかもしれない。

 もともと、ベストはヴァイスが苦手……というか、嫌いだ。

 

 それに、先程まで、自分の口にしていた腹の立つ相手に使っていた呼び名を、まさか自分に使われるとは思ってもみなかったに違いない。

 

「今日は君のお祝いでもある。ここに居な?それにもう十歳なんだろう?十分大人だよ。BLだってもうイケるさ」

 

 最早、ガキなのか大人なのか分かったものではない。

 しかし、最早ヴァイスにはそんな事はどうだっていいのだろう。

 

「……お前は本当に碌な奴じゃないな」

「あはっ!褒められてしまったよ!ありがとう!さぁ、しっかり座るんだ!このクソガキ!」

 

 再びヴァイスの口から放たれた“クソガキ”という言葉に、次に反応したのはベストではなくプラスだった。

 

「ヴァイス!だから、クソは素晴らしくないと言っているだろう!まったく、ウィズの影響かと思ったら、犯人はヴァイスだったのか!まったく!まったく!お陰で、うちのベストが夜の王様に相応しくない言葉を覚えてしまったじゃないか!」

 

 そうだ。

 クソは余り素敵な言葉ではないから、ちょうど言い換えの言葉を考えようとしていた所だった。

 

「えぇ、それは冤罪だよ。元々、クソはその子の専売特許だったじゃないか」

「大人が言い訳をするな!罰として、クソと同じくらい気持ちを表せて、でも素晴らしい表現をヴァイスに考えてもらうからな!」

 

 突然の無茶振りにヴァイスは「うーん」と、一応考える仕草をしてみせる。俺の視界の片隅では「お前ら一体何の話をしているんだ」と呆れた表情のアボードとバイの姿が見えた。

 

「よし、じゃあこうしよう!」

「へ?」

 

 ヴァイスはニコニコと笑みを絶やす事なく、人差し指を立てるとその指をベストに向かって突き出した。